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二章 風の王の子供達

 金色の硬質な光が閃いた。

不思議な青い光を返す黒い髪を三つ編みにした、二十にはまだ手の届かない容姿の少女は、巨大な人影のような魔物を斬り伏せた。一番大きな魔物を倒したことで、一瞬気が緩んでいた。背後に迫った魔物が斬られる音で、インリーはハッとして振り返った。

「詰めが甘い」

「ごめんなさい……」

背後を守ったノインに短く叱責され、インリーはがっかりして俯いた。レイシのお守り役から外されたインリーは、ノインについて魔物狩りに出かけるようになっていた。

レイシとはあれ以来、まともに顔を合わせていなかった。風の城の雰囲気は、相変わらず騒がしくて明るいが、どことなく変わってしまった。

インファの地獄の特訓……ケルゥが城に来た頃、触れる物触れる物壊すので、霊力の使い方を学ばせる為に考え出された特別な訓練だった。当時、乱暴者の猛犬だったケルディアスを震え上がらせた、雷帝の厳しい特訓。レイシは今、その特訓を受けている。と、聞いている。

大丈夫なのだろうか。生まれてから今まで、霊力のれの字も知らなかったレイシが、いきなりそんな訓練をして大丈夫なのだろうか。

「心ここにあらずだな」

「そんなことないよ!」

「気になるのなら、見に行け」

「……」

迷っているなと、答えられないインリーの様子にノインは思った。

彼女にとって、レイシとはどんな存在なのだろうか。兄だといいながら、インリーはレイシを決して兄とは呼ばない。侮っているとか、下に見ているとかそういう感じもなく、ただただベッタリくっついていた。かといって、若い恋人のようにベタベタはしていない。

リティルの息子と娘だという事実から、皆、二人は兄妹だと認識しているだけだった。

ほぼ常に一緒にいて、仲良く笑っている。この二人の関係に名をつけるなら、どんな言葉が妥当なのだろうか。

おそらく、風の王夫妻の息子と娘だと言わなければ、二人を兄妹と思う者はいないのでは?と、ノインは漠然と思っていた。

「インリー、怪我をする前に決着をつけろ。我が主君の手を煩わせることは、オレが許さない」

「……はい」

インリーは素直に頷いた。厳しいことを言われているようだが、ノインの言い分は最もだった。きっと、インファが相手でも同じ事を言われる。魔物狩りは命のやり取りだ。一瞬の判断ミスで自分の身どころか、共に闘う仲間にも危険が及んでしまう。

「ノイン、レイシに会った?」

風の城を目指して前を飛ぶノインに、インリーはやっと尋ねた。

この問い、やっとだなと、ノインはインリーの子供っぽい葛藤が終わるのを感じた。全く今更しかたのないと、ノインは彼女の背を押してやることにした。

「毎日ぐったりしている。あれは、相当絞られているな。インファとリティルが相手では、仕方ないことか」

「大丈夫なの?」

「混血精霊の力は危険だ。甘いことは言っていられない。ナシャが帰ってきているのを知っているか?」

ナシャは毒の精霊で風の王の協力精霊の一人だ。幽閉されていたが、解放され、今は風の城を拠点に世界を放浪して、毒や薬の研究に精を出している。

今、風の城で治癒を操れるのは、インリーとケルゥだけだ。ケルゥは狩りの仕事で、城にいる時間は少ない。レイシからインリーが遠ざかってしまった今、治療薬の作れるナシャをリティルが呼び戻したのだろうかと、レイシのことしか頭にないインリーが、思うのは自然なことだった。

「レイシ、怪我してるの?」

「ハルが包帯を大量に用意していたな」

ぬぐるみの体で、包帯にまみれていたハルを思い出して、ノインは思わず笑みを浮かべた。

「ノイン!わたし、先に帰るね!」

インリーは血相を変えると、白鳥の華奢な翼をはためかせて風の城へ一直線に飛んでいった。それを見送りながら、ノインは独りごちた。

「ナシャが次の旅に出るのに、包帯がほしいとハルに頼んだだけなのだがな……」

あの守られた空間で、優秀な指導者が二人もついていて、レイシの身が危険にさらされる心配など、現段階では皆無だ。そんなこともわからないくらい、レイシが心配なのかとノインは苦笑した。

 インリーとレイシ。あの二人の関係に名をつけるなら、なんと呼ぶのだろう。

おそらく、兄妹ではない。ノインには、二人を兄妹とは欠片も思えなかった。

ただただ、隣にいたいと思っているような二人の姿を見ていると、リティルに寄り添っていたシェラを思い出す。シェラを思い出して、ノインは、ああ、インリーはシェラの娘なのだなとなぜか納得した。

 風の城では、一つの旅を終えたナシャがリティルと話に花を咲かせていた。

「ハハハ、楽しそうでよかったぜ。また旅に出るのかよ?」

小さな六才くらいの少年の姿をしたナシャは、額に短いねじれた一本の角、尻に馬の白い尾を持つ精霊だった。

「んー、どうしよっかな?ねえねえ、リティル、城にいてほしい?」

ナシャはたまに城に帰ってきて、薬倉庫に治療薬を補充したり、新たに作ったりして置いていく。彼が旅をしているのも、彼は認めたがらないが、常に脅威にさらされている風の城の面々を手助けするためだった。風の城の主力の皆には、超回復能力が備わっているが、その能力は傷を徐々に治すだけだ。毒などの状態異常は治せない。ナシャはその部分を補おうとしてくれているのだった。

彼の薬には大いに助けられている。防御魔法の苦手なリティルは、昔から超回復能力頼みな無茶な戦い方をする。シェラのいない今、リティルは再び皆に命を心配されていた。

「そりゃ、助かるけどな。おまえの邪魔はできねーよ。次の旅、決めてるんだろ?ハルに包帯頼んだりして」

「うん、そのつもりだったんだけどね……シェラだけじゃなくて、原初の風のこととか、レイシのこととか、抱えすぎじゃない?」

「心配してくれてるのか?可愛い奴だなー」

「べ、べつに心配してるわけじゃ!ふーんだ」

ナシャは照れ隠しにそっぽを向いた。しかし、すぐにチロリと緑色の視線を、リティルに戻した。

「猛風鬼神って、呼ばれてるよ?」

「台風大王より格好良くないか?」

「そういう問題じゃないでしょ!猛風鬼神だよ!猛・風・鬼・神!」

ナシャは身を乗り出すと、噛みつく勢いでリティルに迫った。そんな様子に、リティルはまるで気にした様子もなく笑っていた。

「ただの異名だろ?初代と同じってだけで」

「リティル、死なないよね?」

「ああ?シェラを残して逝くわけねーだろ?」

「今のリティル、原初の風と共通点が多すぎるんだよ。花の姫と離れ離れになったり、幻夢帝と仲良かったり、猛風鬼神って呼ばれてたり」

「三つだろ?多いうちに入らねーよ」

「そうかな?十分でしょ。でも、リティルに会って、安心したけどさ」

ナシャは気がついているのだろうか。安心したなどと言ってしまっては、心配していたと言っているようなものだ。リティルは照れたように笑った。

「原初の風のこと、オイラも調べてみたけど、全然手がかりがないんだよね。古参の精霊自体少ないっていうのはあるんだけど、原初の風ってさ、本当に風の王なの?」

原初の風に関する記録の類いは、全滅だった。彼と同じ時代から生きている精霊は、ただでさえ多くはないのに、彼を知っている精霊は語りたがらない者も多かった。

記憶の精霊・レジナリネイも、彼については一切口を閉ざしてしまう。

ナシャも長く生きている精霊の一人だが、残念ながら原初の風が幽閉されたあとの生まれで、彼のことは全く知らないのだった。

ルキの前の幻夢帝であるガルビークとの死闘の話は、それでも多くの精霊が語ってくれた。

三日三晩、錯乱した夜の王と渡り合い、殺さず封印して終止符を打った。その戦いが元で幽閉されてしまったが、皆大っぴらには言わないが感謝していた。

ナシャが疑問に思っているのは、原初の風のずば抜けた強さだった。ナシャから見て、リティルも、先代で強さに定評のあったインでさえ、原初の風の足下にも及ばない。というか、持っている力自体が違うような気がするのだ。それはもう、別の精霊のように。

「どういう意味だよ?オレの記憶じゃ、初代風の王だぜ?」

 ナシャが口を開こうとしたとき、玄関ホールに続く扉が勢いよく開いた。息を切らして入ってきたのは、インリーだった。

「お父さん!レイシは?」

「インファと修練の間にいるぜ?おい、ノインは一緒じゃねーのかよ?」

「先に帰ってきたの!大丈夫、お仕事ちゃんと終わらせてきたからー!」

天井の高い応接間を、バサバサッと飛び越えてインリーは廊下に続く扉に飛び込んでいった。口を挟む間もなく、ナシャはあっちからこっちまでインリーを追って、視線を動かすことしかできなかった。

「……どうしたの?」

「さあな」

呆気にとられるナシャを尻目に、リティルはニヤニヤしていた。


 修練の間は、何代か前の風の王が、魔法を開発するために作った部屋らしい。

四角いだけの殺風景な部屋で、中心に円柱型の柱に乗った水晶球があるだけだ。

レイシは意識を集中して、その水晶球に手をかざしていた。水晶球の中心に、光が不安定に明滅している。その様子を、腕を組んでインファが見守っていた。

「……っはあ、はあ……」

光が弱くなったかと思うと、レイシはその場に頽れて、荒く息を吐いた。

「不安定ですね。何か別の事考えてますか?」

「ええ?そんな余裕、あると、思う?」

レイシは恨めしげな視線を、兄に送った。インファはそうですかとつぶやくと、スッと片手を水晶球にかざした。

とたんに、ゴッと金色の風が水晶球の中に渦巻いたかと思うと、風でできた巨大なイヌワシが部屋いっぱいに雄々しく翼を広げた。

「これが最低ラインです」

雄々しく美しい。インファを表すような魔法だなと、レイシは圧倒されていた。今までレイシは、霊力のみならず魔力にすら触れてこなかった。触れさせてもらえなかったというべきかもしれない。それは、魔法修行をしようにも媒体となる霊力も魔力も少なすぎて、何の力にも触れられなかったからだ。グロウタース風に言うと、才能がないということだ。

「焦らずやりましょう。無意識下で、あれだけの魔法が発現しているんです。心が乱れれば危険ですよ」

「また、あれが出てくる……?」

「ルキの贈り物のおかげで、その心配はありませんよ。精々倒れる程度で済みます。そうですね……恐れの克服の方が先ですかね……」

インファはフムと、腕を組みながら顎に触れた。しかし、レイシの場合、恐れの克服は容易ではない。初回の暴走時、風の城を壊滅させてしまった。恐怖どころか拒絶してもおかしくないトラウマを植え付けられている。自分の力への恐れが、自分自身の不審になっていた。

インリーがそばにいれば、少しは違うのだがと、インファは思った。レイシにとって、自覚があるかどうかはわからないが、インリーは精神安定剤のようなものだ。ずっとそばにあった存在を失って、レイシの精神はかなり不安定だった。

「もう一度、あれを呼び出してみましょうか?」

「え?」

ビクリと、レイシの目に恐れが色濃く浮かぶのを、インファは見た。これは相当に根深い。だが、やるしかない。

「力とは、それを振るう者の心で善きにも悪しきにもなります。結局、自分次第なんですよ。恐れるべきは、自分の感情――例えば、怒りや憎しみです。再現してみましょうか?」

インファは水晶球に片手をかざして、瞳を閉じた。

インファも一度、怒りにまかせて力を振るったことがある。怒りは、通常よりも強力な力を引き出すが、その分消耗も激しい。インファの怒りは、あの時、次元を切り裂いた。身に余る力を使ったために、インファは消滅の危機に陥ってしまい、助けられたがその後二ヶ月間眠りを強いられた。苦い思い出だ。

「!」

レイシは身の危険を感じて、咄嗟に逃げようとした。だが、腰が抜けて動けなかった。瞳を閉じたインファの周りの空気が、ピリピリと電気を帯びて、彼の肩甲骨のあたりから、緩く三つ編みに結った、腰まである髪が浮き上がる。白い閃光が不規則に、部屋中で閃いた。その一つがインファの髪を束ねる紐を焼き切り、長い金色の髪が、空気を染めるように荒れ狂う風にたゆたう。感情一つでこんなに力の形が変わってしまうことに、レイシは驚いていた。

精霊は力の化身。強大な力を司る者ほど、その心が強くなくては自分も周りも滅ぼしてしまう。いつも飄々として見える兄の中に、こんな狂気が潜んでいることが恐ろしいと同時に、力に飲まれずに生きている兄の強さを今更ながら尊敬する。

「レイシ!」

バンッと扉を開いて飛び込んできたインリーは、怒気を帯びた風に一瞬立ち竦んだ。が、尻餅をついて恐れおののいているレイシの姿を見て、叫んでいた。

「お兄ちゃん!」

インファがスッと目を開くと、風と閃光は唐突に止んでいた。

「インリー、お帰りなさい。狩りはどうでした?」

インファはニッコリ笑って、息を切らす妹に尋ねた。あれだけの凶悪な力を振るったあととは思えないくらい、インファの表情は穏やかだった。

「そんなことより、危ないことしないで!レイシが怪我したらどうするの?」

わたし達と違って、超回復能力ないんだよ?とインリーは怒っていた。

「インリー、レイシが心配で、飛んで帰ってきたんですか?」

インファは小首を傾げた。インファの言葉に、インリーよりもレイシの方が大きく反応していた。レイシは、本当に?と問いかけるような視線を、インリーに送っていた。そんなレイシの顔を、インリーは見られなかった。

 あの日以来、レイシは徹底的にインリーに避けられていた。ずっと、インリーが母を傷付けたモノに憤り、許せないことを知っていたレイシは、仕方のない事だと諦め、自分から近づくことはなかった。父と兄の特訓が始まったこと、インリーが見習いとしてノインについて魔物狩りに行くことが多くなり、二人は完全にすれ違ってしまっていた。

 答えられない妹をこれ以上虐めるのも酷かと、インファはレイシに手を差し伸べて立たせると、練習するように言った。レイシは素直に頷くと、インリーに後ろ髪を引かれながらも、水晶球に向かった。

「インリー、何をそんなに心配しているんですか?」

インファはインリーの後ろにある扉を閉めると、尋ねた。

「だって、ナシャが帰ってきて、ハルが包帯用意してるって、ノインが……」

ナシャ?包帯?ああ、なるほどと、インファは合点がいった。

「ああ、見事にノインに謀られましたね。ナシャは父さんに会いに来たんですよ。ハルには、次の旅に必要な包帯作りを頼んでいました」

「えー?」

インリーはその場にうずくまって顔を膝頭に埋めた。そんな妹の前に、インファは膝を折った。

「もう、意地を張るのはやめませんか?あの力を振るったのがレイシだったとしても、あなたにはレイシを憎めないでしょう?」

インファはインリーの腕を取ると、立ち上がらせてレイシの背中を見せる。

「あなたが関わってくれるのであれば、父さんは通常業務に戻ることができます。コブ付きノインも本来の力を振るえますし、カルシーは楽しそうですが、ケルゥは無理をしなくて済みます。最近、魔物が多いですからね。そのうち、ケルゥは発狂しますよ」

ただでさえ、魔物狩りのはしごを、ルキルース組――ケルゥとカルシエーナはしていた。そこへ、インリーがノインにつけられてしまった為、彼は魔物狩りのはしごから外された。ノインが行っていた狩りまで、ルキルース組は肩代わりを余儀なくされているのだった。

「それは、ケルゥ可哀相……」

「オレはまだまだ、レイシから離れられません。父さんだけでも前線に復帰してもらわなければ、先行き不安です。防御特化のあなたのほうが霊力修業の指導者としては、オレより優れているんですよ?」

それだけではないことを、インファは言わなかった。レイシにインリーが必要なことを伝えて、これ以上二人の関係が悪化してしまったら、逆効果だと思ったからだった。

 パキンッと音がして。驚いたようにレイシが尻餅をついた。見れば、水晶球から、力の一部が具現化していた。それを見たインファは、すぐにレイシのもとへ行ってしまう。そして、何事かを説明してやっているようだった。レイシは怯えた瞳で、それでも兄の話を熱心に聞いていた。

レイシは怖いのだ。キラキラしたあの力を恐れている。それでも、立ち向かおうとしている。あんなに弱かったレイシが、戦いとは無縁のフワフワしたレイシが闘おうとしている。レイシの存在は、戦いに明け暮れる風の城の中で異質だった。ほぼ人間だったということもあるが、風の城で手の汚れていないのはレイシだけだ。あの力を手にしたら、レイシも命を奪うのだろうか。それを、レイシは望むのだろうか。

 レイシは背後に立った気配に、思わず見上げた。

「レイシ、見て!」

インリーは何の力も内包していない、どこまでも透明な水晶球をみつめて叫んだ。レイシは、彼女の敵を睨む鋭い視線に息を飲んだ。突き出された右手が、水晶球の中に力を発現させる。ゴオッと立ち上った風が、優美な白鳥を食い殺し梟へと転じた。

「わたしの中にも、こんな怖い自分がいるよ!だから、だからね、その力に食い殺されないように、わたしが助ける!」

インリーの尻まである長い三つ編みが、風の消失と共にバサリと背中に落ちた。

どんなに目を背けても、わたしの居場所はレイシの隣にしかないから!それがわかってしまった。インリーは、今まで通りレイシのそばにいようと思った。たとえ、レイシが変わっていってしまったとしても、彼の隣にいられるだけいたかった。

「自分を恐れないで。レイシが優しいこと、わたし、よく知ってるよ?だから、大丈夫だよ」

ね?と小首を傾げて、インリーは優しく微笑んだ。そして、立ち上がれないでいるレイシに、手を差し出す。レイシは、躊躇いながら、でも頷いてその手を取った。


 真夜中、目を覚ましたレイシは、何となく修練の間を目指していた。

一人で練習を行うことは禁じられていたが、なぜか足がそちらに向いてしまった。ふと、修練の間の扉の隙間から、光が細く廊下に落ちているのが見えた。誰かがいる?

レイシはそっと近づいた。中から話し声が聞こえる。

「──インファ、おまえには向かないぜ?これ以上やったら、怪我するぜ?」

父と兄?レイシは扉に耳をくっつけて、聞き耳を立てた。

「あの力をモノにできれば、大いに助けになります。父さん、もう一度、お願いします!怪我は覚悟の上ですから!」

「やめろって!おまえは言い出したら聞かねーな。あのなインファ、おまえは理性がかなり強いだろ?だから、感情の一部を引き出して力を使うなんて芸当、はっきり言って無理なんだよ!ちょっとは操れるようになってるみてーだけど、その程度だ。あの力はぶち切れた先にあった力だろ?そんな感情引き出したら、飲まれて終わりだぜ?」

「不可能なことなど、ないですよ!実際に発現してるじゃないですか!」

「その力を使ってどうなった?おまえ、二ヶ月意識が戻らなかったんだぜ?性格なんだよ。諦めろよ。まあ、待てよ!落ち着けよ。おまえ、今日は感情的だな。あのな、発現したってことは、どこかにあるはずなんだ。だから別の切り口を探すんだよ」

「別の切り口、ですか?」

「次元を切り裂く力ってことは、風と次元の力だろ?オレとシェラの血の力だ。おまえは、風の方が色濃く出てるからな、今まで見落としてたんだよ。おまえの中にある花の姫の力を、感じる事ができれば、使えるんじゃねーか?おまえに、感情的なのは似合わねーよ。論理的に行こうぜ」

「母さんの力……ですか」

「珍しいな、イメージが湧かないって顔してるぜ?」

「白い光の力が、オレの中にある母さんの力です。ですが……よくわからないんです。風と合わさって雷のような姿で発現するのか、単体なのか……」

「そっか、シェラがいればな……」

「父さん、もうオレ一人で大丈夫です。先に休んでください」

「インファ……ごめんな。おまえに無理させて悪いと思ってるよ。オレもまさか、自分があんな風に暴走するなんて思わなかったんだ。シェラもオレも、死に別れるかもしれねーことなんて、とっくに覚悟してたんだ。それなのに、いざ目の前に突きつけられたら、もう止まらなかった。殺してやるなんて叫んだのは、風の王になってから初めてだよ。情けねーな」

「父さん……」

「大丈夫だ、そんな顔するなよ。あの力を使ったのが、レイシだってわかったときは、シェラの顔がちらついて、ちょっとやばかったな。けどな、オレ達にとってレイシは、大事な息子だ。怒りも憎しみも湧かねーよ。オレがちゃんと気がついてやれてれば、誰も傷つかずに済んだんだ。これは、オレの責任なんだよ。弱気なこと言って悪かった。だからなインファ、オレを遠ざけるなよな。さてと、やるか?雷にだけ集中してやってみようぜ?」

「はい。……あ、ちょっ!」

「うわ!バカ!……っぶねーな。大丈夫か?わかってると思うけどな、あえて言うぜ?力を分解するときは暴走しやすいからな、いつも以上に注意しろよ?」

「す、すみません……気を付けます……」

「ハハハ、おまえ今、焦ってただろ?可愛いところ、まだ残ってるじゃねーか」

「笑い事ではありません」

「そういうなよ。たまにはいいだろ?おまえ、あんまりオレ達に甘えてなかったしな。オレ今、嬉しいんだよ。まだおまえに、頼ってもらえるところがあるってな」

「父さんに比べたら、オレなんてまだまだ幼鳥ですよ……」

「そんな謙遜するなよインファ、おまえはすげーよ。こんな父さんのそばにいてくれて、ありがとな」

「やめてくださいよ、父さん!オレがそばにいるのは、当たり前じゃないですか。副官ですよ?あなたの右腕ですよ?今更、何なんですか?」

「いやな、今日のおまえ、可愛いなと思ってな」

「本当に、やめてください。気持ち悪いですよ!」

「だな。いらねーよな?ハハハ。じゃあ、雷帝、もう一回だ」

「はい!」

レイシは、そっと部屋を離れた。

あんなに強い兄が、父を頼り、父と一緒に自分はまだまだ未熟だといいながら修業する姿に、素直に驚いていた。いつも自信ありげにリティルを操っているようなインファ。だが、実態は違ったのだ。リティルは風の城の業務が滞りなく回るように、インファに任せているにすぎなかったのだ。やはり、風の城はリティルを中心に動いていることを、レイシは思い知った。

闘う力を持たないレイシは、あまりリティルと関われないで過ごしていた。尊敬はしているが、雲の上というか、インファやシェラの方が近い存在だった。

精霊としての力を手に入れたら、オレも親父に近づけるのだろうかと、レイシは、とっくに諦めていた幼い頃の夢を思い出した。

 翌朝、修練の間に行くと、すでにリティルが来ていた。

「おはよう、親父。よろしくお願いします!」

「ああ、レイシ、おはよう。今日もよろしくされてやるぜ?しっかし、おまえと、こういうことができる日がくるとはな……」

感慨深そうなリティルを尻目に、レイシは水晶球に向かった。

「できない方が、よかった?」

「いや。やっと、本当のおまえと向き合えると思うと、嬉しいんだよ」

リティルは本当に嬉しそうに笑っていた。

「親父……父さん!オレも、不謹慎だけど嬉しいって言っていいかな?オレにはずっと、父さんが遠い存在だった。だけどこうして今、父さんといられることが、嬉しいんだ」

「ハハ、そりゃよかった。じゃあ、レイシ、オレを信じてくれよな?オレの特訓はきついぜ?」

リティルがそう言って、水晶球にかざしているレイシの手に手を重ねた。目の前に浮かび上がってくるモノに、レイシは恐れに瞳を見開いた。

水晶球から立ち上ってくるのは、キラキラ光るあの靄だった。リティルは、逃げ出しそうなレイシを押さえ込む。

後ろから抱きかかえられるように押さえられ、レイシは逃げ道を塞がれて叫び出しそうだった。その耳元に、リティルの普段とは違う、落ち着いた低い声が聞こえる。

「オレを信じろレイシ」

信じる──レイシは、つばを飲み込むと、ゆっくりとキラキラの靄に視線を合わせた。

「よしよし、レベル一クリアだな。さて次だけどな……」

「父さん、先に始めないでくださいよ」

扉が開いて、少し不満げなインファが姿を現した。

「お、インファいいところに。とりあえず呼び出してみたけどな、おまえの考えを聞かせてやってくれよ」

いきなりこれですか?と、相変わらず荒っぽい父に、インファは呆れた。しかし、このトラウマの力がもの凄く安定していて、一体どんな魔法を使ったのかと、思わずにはいられなかった。

 さて、と、インファはジッとキラキラする靄を観察した。

「光が、反射と屈折を繰り返しているんですね。これは物体ではありません。光です。こうして見ると、綺麗ですね」

「そうなんだよな。水銀みてーなものにも見えるし、硬そうにも見える。これで物体じゃねーなんて、誰も思わねーよな。ホントに妖精の女王だぜ」

綺麗?妖精の女王?二人は何を言っているのだろうか。レイシには、とても綺麗で華奢なモノには見えなかった。得たいが知れなくて、残虐だ。だってこれは、母を殺したのだから。そう思った瞬間、滑らかだった靄がイガグリのようにトゲトゲと波打った。

「おっと」

グニャリと硬質に輝く靄は触手のように形を変えて、リティルを攻撃していた。リティルは興味深そうに、それを腕に巻き付かせて止めた。

「レイシ、怖がるな。大丈夫だ。でもな、オレを傷付けたって全然いいんだぜ?これくらいじゃ、オレは死なねーからな。インファもインリーも、通った道だからな」

危うい。レイシにとって、あれはトラウマだ。いきなりトラウマを克服しろだなんて、父は相変わらず荒療治だなとインファは思った。あれに少しでも父が傷つけられたら、逆効果なのにと。

インファはいつでもあれを消し去れるように、背に隠した右手に風を集めていた。

「これはな、おまえ自身なんだぜ?おまえは、どうなりたいんだ?」

「どうって……言われても……」

レイシの息が上がってきていた。今日は、もうダメだなと、リティルは思った。リティルはインファに目配せした。視線を受けてインファは頷くと、風を放って靄を吹き飛ばした。

「レイシ、よく頑張ったな。父さんこれから仕事なんだ。帰ったらまたやろうな」

「は、はい!」

ズルッとその場にへたり込んで息を切らしたレイシは、慌てて顔を上げて返事をした。

じゃあなと笑って、リティルは部屋を出て行った。

 その背を見送り、ハア~とレイシは息を吐いた。心臓がドキドキしていた。とても緊張していたことを、レイシはやっと気がついた。

「おっはよー!お父さんからバトンタッチされてきたよ!レイシ大丈夫?」

ヒョコッとインリーが扉を開けて元気に入ってきた。彼女の姿を見て、レイシはあからさまに安堵した表情をした。

「インリー、レイシと図書室へ行って、蜃気楼、妖精の女王と聞いてピンとくる本を調べてください」

「蜃気楼と妖精の女王?なんだか、物語のタイトルみたい。うん、わかった。レイシ、立てる?」

「う、うん……行くよ。でも兄貴、なんで?」

「魔法は発想力です。どんな姿を描くのか、想像してください。父さんが帰ってくるまでの宿題です。レイシ、倒れない程度に励みなさい」

 元気に返事をするインリーと、疲れ切っているレイシを送りだして、インファは一人水晶球と向き合った。

魔法は発想力──インファの力が発現したころに、リティルから教えられた事だった。

それを教えてくれたのは、十四代目風の王・インだと、リティルは言った。あの頃も父は、魔法は苦手だー苦手だーと言っていた。リティルが魔法が苦手なのは本当のことなのだろうが、突然とんでもない魔法を使うから、インファには父は天才なのではないかと思えていた。

今回も、当然のように別の切り口を見出す。リティルには、危険だから一人で行うなと言われていたが、忙しい父を待ってはいられない。

次元の刃は、きっと両親の助けになる。

インファは水晶球に両手をかざした。パリパリと小さな白い閃光が生まれた。花の姫の力は無限の癒やしだが、神樹に咲く光の力も備わっていた。太陽とは異なる白い光の力を、インファは雷の姿で使っていた。と、ここまではインファも理解していた。

 花の姫・シェラの力はそれだけではない。神樹の精霊の使う、世界のどこへでも行ける次元の扉を開く力も、自在にとはいかないが備わっている。そして、花の姫となる前、水の国の姫君だった頃の名残ともいうのか、冷気も操ることができた。

インリーがお腹にいた頃、風の城は一度魔物の大群に襲われたことがあった。尚悪いことに、その時リティルは不在で、精霊王の守護精霊である有限の星が駆けつけてくるまでの間、シェラは一人で持ち堪えた。

その時使った魔法は、絶対零度の防壁。城全体を凍り付かせ、侵入を拒んだのだ。

風の王の両翼の鳥達である、クジャクのインサーリーズとフクロウのインスレイズに守られながら、身重の母は不安な顔一つ見せずに、凛としていた。その美しい横顔に見とれていた、当時十才くらいまで成長していたインファに、シェラは優しく微笑んだ。

──大丈夫。お父さんがすぐに来てくれるわ

おそらく、インファが不安がっていると思ったのだろう。当時シェラはつわりで苦しんでいた時期で、自分のことだけで精一杯だった。それでも、インファのことを気にかけ、不在の夫を曇りなく信じていた。

有限の星の方が早く到着したが、魔物の数が多く、焼け石に水のような状態だった。

シェラの精神も保たない。そんなギリギリで、やっとリティルは帰還した。

その後は一瞬だった。リティルの放った強烈な風が、魔物の大群を一撃で消し去っていた。風の城は谷のような地形の中にある。リティルがその時放った風の刃の傷痕は、まだ谷に刻まれたままになっている。

猛風鬼神──その異名は今更だと、インファは思っている。

十五代目風の王・リティルは、ずっと昔から猛風鬼神だ。一体皆は、これまで父の何を見てきたというのか、インファは冷ややかにそう思う。

 インファは水晶球に意識を集中した。研究熱心なインファでさえ、花の姫の力とこんなに向き合い、掘り下げようとしたことはない。リティルが言ったように、インファは風に傾倒している。防御の魔法も咄嗟に風の障壁を使ってしまうくらいだ。白い光を使うのは、雷としてだけでそれ以上何も考えていなかった。

水晶球の中で、白い光は、シェラの髪に咲く丸い形に落ち着いていく。同じ”光”なのに、レイシのそれとはまったく違う姿をしていた。

儚くて優しい輝き。シェラは本来そういう女性なのだ。夫として選んだ男が、風の王ではなかったら、戦姫などとは呼ばれてはいなかっただろう。

いや、違うかと、インファは首を横に振った。原初の風の妻であるハルは、遊風天女と呼ばれ闘わない姫だった。そういう選択も、シェラにはできたはずなのだ。それをしなかったのは、なぜなのか。

──明日がないかもしれないから、わたしはお父さんに触れられる時に触れておくのよ

インリーが両親の抱擁を狡いと言って邪魔したとき、シェラは困ったように微笑みながらそう言っていた。インリーは甘えたいお年頃で、なぜかシェラに触れるリティルに反発していた。そんなインリーをリティルは叱らなかったが、少し寂しそうにしていた。

──明日はあるさ。オレを信じろよ

シェラの憂いを、インファもよくわからなかった。インファも、リティルが消えてなくなってしまうかもしれないことを、考えられなかったのだ。それくらい、インファの中で、父は揺るぎなく強かった。

リティルの存在は、今でも大きく揺るぎない。それでも、インファはシェラの憂いが現実なのだと知った。

リティルが、人質に取られたインファの為に、存在を賭けそうになったとき、明日がなくなるかもしれない恐怖を知った。

「!」

水晶球の中の光が不安定に動いた。インファは慌てて意識を集中し直す。が、間に合わずに水晶球から真上に、剣のような姿で飛びだしていた。部屋を揺るがす轟音を立てて、光の剣は天井に突き刺さっていた。この部屋の強度は見た目以上に高い。腕力だけは無駄にある、ケルゥにも壊せなかった部屋なのだ。それを傷付けてしまった事実に、インファはしばらく呆然としてしまった。

「お、おい!兄ちゃん大丈夫かぁ?レイシが──って、いねぇし」

バタバタバタと足音が響き、ケルゥが廊下を滑りながら部屋に入ってきた。レイシが何かをしでかしたと思ったらしかったが、彼の姿はなく、何が起こったのか把握できていない顔をしていた。

「大丈夫です。ですが、父さんにしれたら大目玉ですね」

一度ケルゥを振り向いたインファは、すぐに天井へ視線を戻した。のっそりとケルゥは部屋に入ると、インファの見上げる高い天井を見上げた。そこには、白く発光する長剣が突き刺さっていた。

「ありゃりゃ、これ兄ちゃんが?この部屋ってよぉ、応接間並に壊れねぇ部屋じゃぁなかったかぁ?」

応接間は、この城で一番戦場になりやすい場所だ。その為、天井まであるガラス窓もかなりの強度で、一度も壊れたことがない。

「そうです」

「兄ちゃん……怖ぇ……」

「そうですね」

「……大丈夫かぁ?」

天井を見上げて反応の薄いインファの様子を、ケルゥはやっと窺った。そんなケルゥに、インファは視線をゆっくりと合わせた。

「ケルゥ、はっきり言います。兄は、大丈夫ではありません。今日、父さんどこへ行きました?」

「ああん?……今日は緩かったはずだぜぇ?夜には戻るって、そう言ってたぜぇ?お、おい!兄ちゃん!」

「出かけます」

インファはスタスタと、言葉少なく部屋を出て行ってしまった。残されたケルゥは、ポリポリと首の後ろを掻きながら、再び天井を見上げる。術者が部屋を出たことで、天井に突き刺さっていた剣は姿を消した。このひび割れも、雀たちがすぐに直してしまうだろう。

「兄ちゃんでも、動揺するんだなぁ……そんで、リティルを頼ったりするんだなぁ」

ケルゥは何やら笑いが込み上げてきて、笑い出した。いつも飄々として隙のないインファが、あんなにわかりやすく父親に助けを求める姿が新鮮だった。そして、リティルはどんな失態をしでかしても、この城のみんなの父親として君臨しているのだなと思った。

ケルゥはリティルを口が裂けても父とは呼ばないが、父性を感じていた。彼が父親だったら、こんなに長い間迷わなくてすんだだろうなと思った。今は友人としてそばに、居候させたままにしてくれているリティルに、心の底から感謝していた。

今迷いの中にあるレイシは、本当に幸運だなと思う。


 リティルは家路を急いでいた。

今回の魔物は、場所こそグロウタースだったが、王が出るまでもないくらいの小者だった。

小一時間ほどの交戦で決着をつけた後、生き死にを繰り返す守るべき世界である、グロウタースを見回ろうかと思っていた。久しぶりに、双子の風鳥にいる友人達に会いに行ってもいいかと、思っていた。

そこへ、ツバメが飛んできたのだ。メッセージはハルからで、インファの様子がおかしいからすぐに帰ってきて!との事だった。

今日は緩い仕事だと言っておいたが、すぐに帰ってこいとは穏やかではない。

しかも、インファ?リティルは思わぬ者の名に、驚いていた。ハルは引き留めておくから、早く!と切羽詰まった様子だ。

何があった?魔物との交戦中に、一瞬風の城の風がゆらいだような気がしたが、それと関係があるのだろうか。風の城にリティルが不在時に侵入者があると、リティルにはわかるようになっている。侵入とは違う感じだったが、よくないことが起こったのだろうか。

今城には、ケルゥとカルシエーナがいるはずだ。インファ一人が、背負うことにはならないはずなのだが……。

リティルはすぐ戻ると、ツバメを飛ばし、グロウタースの神樹へ踵を返した。

 リティルは城門を抜け、風の鳥達の住まいである、無数の柱の立ち並ぶ玄関ホールを抜けて、応接間への扉を開いた。

「インファ!何が──へ?」

リティルは応接間に入ったところで、インファの姿を見つけて何があった?と声をかけようとした。リティルの声に反応したインファが駆け寄ってきて、抱きつかれていた。

「お、おい、ど、どうした?」

「すみません、父さん……言いつけを破り、一人で力の分解を行ってしまいました」

自分より頭一つ分以上違う息子に、しかも精神年齢の高い彼に縋るように抱きつかれて、リティルは大いに混乱していた。ハルが言うように、確かにこれはおかしいどころの騒ぎではない。

「力の分解って……怪我したのか?誰か巻き込んだとか?」

インファはリティルの肩に顔を埋めたまま、首を横に振った。

「部屋に傷をつけました」

「あの部屋に傷?嘘だろ?」

「本当です。もう、雀たちが修復してしまっているでしょうけどね」

「そいつは、大事だな……インファ……あの力を引き出す切っ掛けになったことは、おまえにとって心の傷だ。だから、一人でやるなって言ったんだよ。父さんが付き合うから待ってろって言っただろ?ほら、顔上げろよ」

「嫌です……」

「しょうがねーな……ほら、オレはここにいるだろ?オレは消えたりしねーよ」

「わかって、いますよ……けれども……父さん……」

「大丈夫だ。明日は必ずくるさ。オレが保証する。オレを誰だと思ってるんだよ?十五代目風の王・リティルは不死身なんだぜ?」

「母さんがいない今、そんな保証、どこにもないじゃないですか!」

顔を上げたインファの瞳から、涙が流れていた。リティルは驚いた。だが、すぐに真剣な眼差しになった。

「それでも、オレは生き残る。今代なんて言わせねーよ。唯一無二の風の王だ。そうだろ?雷帝・インファ」

インファの弱った心を射貫く、生き生きとした金色の瞳。この、立ち上る金色の光を持つ瞳の強さが、風の王・リティルだ。この輝きで、沢山のモノを導いてきた。そして、これからも。その小さな体を傷つけて、それでも王として飛ぶのだ。美しく雄々しい、オオタカの翼を広げて。

「そうです……そうですよ!あなたは、永遠に風の王ですよ!わかっています……わかっているんです……」

インファはリティルから手を放すと、その足下にくずおれた。

「怖いんです……自分自身が!心を平気で裏切る、感情が!オレはあのとき、命を捨てました……死んではいけないことを、わかっていたのに、あっけなく手放したんです」

「インファ……オレ達風は、自分で死を選べない。それは、おまえの錯覚だぜ?」

「嘘です。父さんだって、ノインが止めていなかったら、死んでいましたよ?怒り、憎しみ、哀しみ!オレ達風をも引き裂く感情です。あのときのオレの心には、そのすべてがありました。オレの為に、存在を賭けようとした父さんに怒りが湧いて、父さんに捨てられるのだと哀しくなって、そんな父さんが憎くなったんです!気がついたら、オレは……」

「インファ、もう、やめろ」

「父さん!オレはあなたを許せない!あんなことで、命を捨てようとしたあなたを……許せません……!」

前幻夢帝・ガルビークと対峙したとき、ガルビークに存在を奪われそうになったリティルは、目の前で拷問されたインファの姿に耐えかねて、脅しに屈しそうになった。その選択に怒り狂ったインファに救われたが、その後、その事でインファがリティルを責めることはなかった。あんな風に、感情を爆発させてしまったことを恥じている息子に、リティルも何も言えなかった。

そんなインファが、あの時窮地を救った、次元の刃を会得したいと言い出したときには、リティルは正直迷った。あれは、普段冷静なインファが、初めて見せた感情の先にあった力だ。その力と向き合うことが、彼の心にどんな結果をもたらすのか、怖かった。

結果がこれか……リティルは首を横に振った。あのインファが涙を流すほど再び傷ついた。それでも、インファは会得するまでやめないだろう。

どれだけ傷つけばいい?インファも、オレも……。

「あんなことじゃねーよ……そんなこというなよ……。おまえの命が懸かってただろ?オレにとって、おまえの存在はあんなことじゃねーんだよ。おまえ、言ってること支離滅裂だぜ?自分は死んじゃいけねーっていいながら、オレには助けるなって?無理だぜ?そんなこと。理屈じゃねーよな?わかってるよ。インファ、今までよく我慢してたな……おまえ、理性強すぎだろ?バカ野郎。責めたいなら、責めていいんだぜ?言いたいこと、言ってくれよ!いつも、そうしてるだろ?」

こちらを見上げているインファの前に膝を折ったリティルは、息子の肩に手を置いた。もう、抱きしめるにはインファは大人すぎる。

「全部吐き出せよインファ。責められて当然だからな。おまえの為に、なんて命賭けられても嬉しくないよな」

ツウッと一滴の涙が流れたのを最後に、インファの涙は止まっていた。

「そうですよ……父さんは自分のこととなると、軽々しいんです。補佐するこっちの身にもなってください。あのときは、人質に取られて、すみませんでした」

「ハハ、どっちが人質だ?って状況だったけどな。もう、ああいうのには巻き込まねーでほしいよな」

「まったくです。迷惑極まりないです」

親子は顔を見合わせると、吹きだして笑い出した。

「ここにシェラがいたら、オレ達二人とも怒られてるぜ?」

「そうですね。でも、オレは母さんにそろそろ怒られたいです」

インファは、怒らせると怖いんですが……と肩を竦めた。

「そうだな。シェラがいたら、次元の刃が何なのか、わかるかもしれねーのにな……」

シェラがいたら?リティルとインファは同時に互いの顔を見ると、部屋中に視線を巡らせた。

シェラは花の姫だ。今、この城には、もう一人花の姫がいる。

「ハル!ハル!いねーのか?」

「ハル!どこですか?」

二人は立ち上がると、白い扉に視線を向けた。ハルがいるところと言えば、シェラの寝所か温室だ。二人は同じ方を向いて、歩き出した。

 ハルは鼻歌を歌いながら、花の姫の寝所の花の世話をしていた。

インファが、出かけると言って応接間に現れた時は驚いた。リティルもノインもいないのに、インファが出かけてしまったら、王の代理を努める者が誰もいなくなってしまう。それをわからない彼ではないはずなのに、おかしいと思ったハルは、どこへ行くのかと引き留めた。するとインファはリティルの所に行くという。

とりあえず引き留め、リティルにツバメを飛ばしてみた。返事はすぐに返ってきた。

答えは『すぐに戻る』だった。

 インファは表面上は普段通りだったが、どこか違った。インファは努めて理性的でいるような気がしていたハルは、その仮面が外れそうなのでは?と案じつつ、出しゃばらずにリティルに任せることにして、この部屋に引っ込んだのだった。

「ハル!」

バンッと扉が開かれ、ヒッと悲鳴を上げたハルは、じょうろを取り落としてしまった。

『あー!脅かすから水こぼしちゃったじゃない!』

ヒューンッとリティルの鼻先に飛んだハルは、腰に手を当ててプンプンした。

「ごめん。なあ、ハル、聞きてーことがあるんだ」

『なに?二人とも、なんか怖いんですけど?』

「おまえ、花の姫だよな?」

『ちょ、ちょっと、声がデカイ!そうだけど、何?今何の力にもなれないわよ?』

リティルはインファの振るった次元の刃の事を、事細かにハルに話した。ハルは、最初首を傾げていたが、次第に雰囲気が真剣になった。

『インファの使った力は、確かに神樹の力よ。でも、わたし達は開くで、斬るじゃないわ。斬るのは風の力でしょう?』

「斬るのは風……?でも、あの時斬ったのは、次元……」

リティルはつぶやいた。

「インファ、やっぱり足し算なんだ」

「足し算……しかし、雷は風と光の力ですよ?」

「オレの風とシェラの花の姫の力を、合わせて使うんだよ。力を分解してわかったんだ。おまえの雷は、光が風を纏ってるだけなんだ。もっとこう……同時にっていうのか?」

「同時に……ですか?力の質が違いすぎて、どう使っていいのかわかりません。オレの理解力では、今のように纏わせるのが精一杯です」

『そうでしょうね……風と花は、本来子供はできない組み合わせだものね』

「そうなのか?シェラ、結構簡単に孕んだぜ?」

『そういう言い方しないの!インファの前で。風と花は相性悪いこと知ってるでしょう?花の姫に散るっていう概念がないから、風相手でも平気なだけなのよ』

「散る概念がないんですか?」

『神樹の花、見たことある?あれね、花じゃないのよ。葉から放出される魔力が、空気との摩擦で燃えてるの。わたしとシェラは、その燃える魔力の化身よ。その魔力はドゥガリーヤから吸い上げられたモノ。すべての源である透明な力。それが花の姫の力よ』

「命の源の力だな。それで、花の姫の基本能力は無限の癒やしなんだったよな?」

ドゥガリーヤは、命の始まりと終わりの場所。すべての生命はドゥガリーヤから世界にばらまかれ、死して再び帰る。神樹はすべての世界を貫き立ち、ドゥガリーヤから吸い上げた力を世界に供給している。異なる世界に存在しなければならないため、すべての世界へ行き来できるゲートを開く能力を持っているのだ。

『そうよ。シェラは、本当にリティルが大好きなのね。だって、そういう力の使い方してるもの』

「それは否定しねーけど、そういう力の使い方ってなんだよ?」

『散る概念がなくても、花の姫は花の精霊なの。風と子供は作れないのよ。でも、なぜかインファとインリーは生まれてきた。さて、なぜでしょう?』

「ドゥガリーヤの水は、魂と体の素でしたよね?花の姫の透明な力は水と同じものなんですか?」

『正解よ。シェラはね、自分の意志でインファとインリーを作ったのよ。体に入ったリティルの遺伝子を使ってね』

「おい、おまえのほうが生々しいぜ?」

『照れてるの?可愛い~!やあねえ、インファがそういうこと、知らないはずないじゃないの!あのね、インファとインリーは、世界に望まれて目覚めたわけじゃないの。グロウタースの民みたいな、本当にあなた達の子供なのよ』

「……待てよ!待てよ。じゃあ、なにか?インファとインリーは、世界から何の役割も与えられてねーってことか?」

精霊は、世界に望まれて目覚める。力が意識と魂を持って具現化した存在だ。それは、純血二世であっても同じだ。力が具現化するか、誰かの腹を借りて具現化するかだけだ。

雷帝という名の精霊のインファは、雷を司っているというわけではなかった。そのことに気がついていたインファは、自分は何者なんだろうかと思っていた。

風の王の副官だと思うとしっくりくる。しっくりきてしまうから、疑問だった。

『そうよ。花の姫は、唯一そういう精霊を生み出せる存在なのよ。インファとインリーはね、あなたにだけ、存在を左右される精霊なのよ』

「わかる気がします。オレは、世界にもうおまえはいらないと言われても、消滅しないと言い切れます。しかし、父さんに死ねと言われたら、できます」

「おい!」

「例えですよ。父さんの望まないことはしません。ハル、ずっと疑問だったことが解けました。オレはやはり、父さんの為に存在しているんですね」

『そうよ、インファ。あなたは、風の王の為に目覚めた精霊よ。シェラがそういう風に、目覚めさせたのよ。だからね、リティル、インファがあの時怒ったのは当然なの。インファにとってあなたは、世界なんだもの。それがなくなったら、存在している意味がない。だから、あなたの選択を受け入れられなかったのよ』

ガルビークに取り込まれ、存在を失うかもしれない危機にリティルが陥り、インファの心は暴走した。本能が、インファ自身の存在理由を守る為、リティルの選択を拒絶したのだ。

『あなたはあの時、存在を諦めてたわけじゃなかったみたいだけど、追い詰められてたインファには、恐ろしい選択だったのよ。感謝してほしいわね!わたしが助けてなかったら、インファ、死んじゃってたわよ!』

フンッとハルは、腰に両手を当てた。

「うっ反省してるよ……ありがとな、ハル。あの時、信じろって、言ってやれなかったんだ……」

「父さん……もう、自分を責めないでください。父さんなら、ガルビーク如きの精神ねじ伏せたと思います。オレはあの時、信じ抜くことができなかった。副官失格です。父さんが無茶苦茶なことは、今に始まったことではありませんからね」

必ず帰るとシェラに誓っているリティルが、諦めることはあり得ない。知っているはずなのに、リティルがガルビークに、存在を取り込め!と叫んだことが、受け入れがたかった。

「ごめんな。でもな、信じてくれ。オレは、絶対にこの城に帰ってくる。どんな傷を負っても、どんな選択をしてもな。おまえは、オレを未来に向かって生かす翼なんだ。オレのインサーリーズなんだ。もう、死んだりするなよな」

インサーリーズ――風の王の右の片翼。優しいクジャクの姿の生を司る翼だ。死して肉体を離れた魂を、次なる生へ送る為、ドゥガリーヤへ導いている。

「オレが、インサーリーズですか?彼女のように穢れなき者と同列にされると、戸惑いますね」

沢山命を奪ってきているのにと、そう言いながら、インファは嬉しそうに微笑んだ。

『穢れなき者?そう言ってもらえると、嬉しいわね。インサーとインスは、わたしとルディルが作ったのよ』

「どうして、産んでやらなかったんだよ?あいつら、分類的には召使いだろ?」

インサーリーズとインスレイズは、召使いにしては珍しく思考能力が備わっている。自分達で考え、言葉を話すことができた。召使いであるために、彼女達は一羽ではない。呼び出そうと思えば、何羽も呼び出すことができる。複数呼び出しても、その思考は並列化されていて個性はない。

『子供はね、ルディルが嫌がったのよね。特に、意志でしか産めないから。できちゃった、えへって言うわけにもいかなかったし』

「そっか、その理由、オレには何となくわかるぜ。インファができたとき、喜びと、恐れがあったこと今でも覚えてるよ。ルディルは自分の生き死にを、誰かにゆだねたくなかったんだろ?」

リティルの言葉に、ハルは俯いてしまった。

『だったら、わたしのことも選んじゃダメじゃないの?』

「どうせ、おまえが押して押して押しまくったんだろ?そんなこと、ちょっと考えればわかるぜ?」

おまえ、遊風天馬だからな!と言って、リティルは笑った。

「それは、父さんも同じだからですか?」

「うっ、インファ、ばらすなよ。捕まったのは捕まったけどな、オレ、追いかけられてる時から、ちゃんとシェラの事好きだったぜ?」

『ルディルはどうだったのかしらね……』

ハルはますます自信なさげに、俯いていた。

「おいおい、疑ってやるなよ。でもまあ、逢ったら全部ぶつけてやればいいじゃねーか。未だにどこにいるのかわからねーけど。なあ、どこにいるのか見当もつかねーのかよ?」

『わからないわ。ゲートは感じるけど、ここではないどこかって感じ?』

実はハルには、試していないことがあった。ゲートを使って、ルディルに直接話しかけるということだ。しかし、ルディルを裏切ってしまった罪悪感から、自分からはとても話しかけることができなかった。ルディルがどういう状態なのかもわからず、正気でなかったら……と思うと、余計に怖くて話しかけられなかった。

「オレも、気配は感じるんだよな……うーん、どこにいるんだ?原初の風」

「前から疑問に思っていたんですが、原初の風というのは、どういう意味なんですか?」

『原初の風?最初の風っていう意味じゃないの?』

「おまえ、旦那のこと何も知らねーのかよ?」

『なによ!リティルだって、シェラのこと何も知らないじゃないの!』

「ああ、知らねーな。あいつは一人で、オレの事守ってばっかりだったな。だから早く目覚めさせてやりてーんだよ。ハル、何かないのかよ?」

『封印を解いたら死んじゃうでしょう?だから、困ってるのよ。やられたのが、あなただったらよかったのに!』

リティルが瀕死になってたら、話が早かったのに!と無体なことを言われ、リティルは笑うしかなかった。

「ハハ、まあ、そうだけどな。なあ、オレの中にあるゲート、使えねーか?」

『あなた達も繋がってるんだったわね。ねえ、シェラに刺さった矢はそのままなの?』

「抜いたら死ぬだろ?だから、抜けなかったんだよ。まだ、刺さったままだよ」

『封印したまま矢が抜ければ、もしかするとって思うのよね……。シェラはたぶん、わかってるから、矢さえなければ自力で何とかしちゃうと思うのよね』

「なんとかできるものなのかよ?封印される寸前、もう殆ど意識なかったんだぜ?」

「父さん、ゲートでは話はできないんですか?千里の鏡では、ナーガニアと話ができますよね?」

神樹の精霊・ナーガニア。風の城には、ゲートとなる鏡が存在している。その鏡に話しかければ、神樹に行かなくとも、ナーガニアにどこへでもゲートを開いてもらえるのだ。

『シェラが制限してたのよ。わたし、ゲートを通してルディルがどこにいるかまで、わかったわよ?どういう状況なのかもね。……今は、わからないけど……』

「シェラは、オレのプライベートまで守ってくれてたのか……。ルディルのこと覗き見してたおまえとは、大違いだな」

『悪うございました!だって、気になるじゃない!ルディル、殆ど城にいないのよ?何してるのかな?て、つい……。そういえば、シェラもよくボンヤリしてたわね。見てるの?って聞いたら、見えないし、状況もわからないって。でも、リティルをそばに感じるから、ずっとこうしてたいって……やだ!言ってて恥ずかしい!』

ハルはきゃー!と悲鳴を上げて、ぬいぐるみの小さな手で顔を覆って身悶えた。

「たまに、あいつをそばに感じてたのは、そういうわけか。オレも一緒にいるみてーで、背中を守られてるみてーで闘いやすかったな。って、どこから脱線したんだ?次元の刃の話だろ!ハル、今暇か?ちょっと付き合えよ」

シェラを想って思いを馳せたリティルは、ハッと我に返って、ごまかすように強引に本題に引き戻した。

『暇暇言わないでよ!でも、付き合うわ。何すればいいの?』

「修練の間で霊力修業だよ。インファ、いけるか?」

「はい。大丈夫です。さっきは、見苦しいところをお見せしてすみませんでした」

「見苦しくねーから、もう隠すなよな!……悪い、先行っててくれ、オレ、シェラに逢ってから行くよ」

「はい、先に行っていますね」

 インファはハルを肩に乗せると、部屋を後にした。

修練の間に向かいながら、インファはふと疑問を口にした。

「原初の風は、元風の王ですよね?目覚めさせて、存在を保てるんですか?」

『どういう状況で眠ったかがわからないから、何とも言えないわ。でも、リティルもノインも生きてるって疑ってないのよね……。……ねえ、インファ、ルディルを目覚めさせてもいいと思う?』

ハルは最近、ルディルの話になると浮かない顔をした。

「どうしたんですか?それを目的に、あなたは今ここにいるんですよ?」

『そうなんだけどね……ルディルに限ってとは思うけど……目覚めさせたら、リティルが消えちゃったりしないかとか、闘う羽目になるんじゃないかとか……』

ハルが、ルディルのことよりもリティルのことを心配していることに、インファは少し驚いた。だが、リティルとノインが生きていると確信している時点で、戦う羽目にはならないのではないかとインファは思っていた。なぜなら、風の王の証は今リティルの中にある。その証だけが存在理由なら、それを失った時点で、ルディルは消滅しているからだ。彼はまだ、自分の存在を保つ何かを持っている。だとしたら、それはもう、別の精霊だといえる。

「どんな可能性があっても、父さんは捜すことを止めないと思います。オレはずっと疑問なんです。原初の風は最上級精霊ですよね?けれども、二代目以降風の王は上級精霊でしかないんです。原初の風は、何を持って最上級だったのか、この城にも何も残っていないのでわからないんですよ。父さんやノインにも、原初の風の姿形すらわからないんです」

『ルディルがすべてを抹消したのかしら?それとも、誰かが?』

「原初の風本人だとしたら、まだいいんです。けれども、もし別の精霊だったとしたら、かなり危険な状況です。オレ達は原初の風を捜していることを、隠していませんからね」

ハルは黙り込んでしまった。

「オレは、もっと強くならなければなりません。せめて、父さんやノインの足を引っ張らない程度には」

ハルは、前を向くインファの横顔を見上げた。

「オレはもう、倒れるわけにはいかないんです」

インファの睨む横顔を見ていたハルは、不安になった。こんなに自分を追い詰めて、この子は大丈夫なのだろうか。ハルのメッセージを聞いて、すぐに戻ると返してきたリティルは、きっとインファのこの状況に気がついている。気がついているが、どうすることもできないでいるのだ。

──レシェラ、おまえと子は作れん。オレと一緒に背負うのは、おまえだけで十分だ

精霊の中でも最強の力を持っていたルディルでさえ、消滅を意識していた。血を分けた者の存在は、枷となる。リティルが言っていたとおり、生き死にを誰かに左右されたくないと、ルディルは考えたのだ。魂を葬送する役目を持つ風の王が、未練で逝ききれないということはあってはならない。そうなっては、一緒に滅ぶしかなくなるかもしれないから。

 シェラは、意志でしか子を成せないことをリティルに告げなかった。告げれば、拒否されることをわかっていたからだ。けれども、リティルは戦い続けるには弱すぎる。インファとインリーはそんな彼を助け、生き残るための枷にと、シェラはリティルの為に命を創ったのだ。

シェラの選択は正しかったと思う。リティルは、インファにかなり助けられていると思うからだ。

──明日がないかもしれないから、わたしは守るの

──明日を必ず繋いでみせる。だから、信じてくれ

──明日を繋ぎたいから、オレは強くなりたいんです

シェラが眠ってしまったことで、彼女の想いはインファにのし掛かってしまった。リティルは今までどおり、戦い続けるしかないから。

でも、でもとハルは思う。

 インファは、修練の間の扉を開いた。

「やっと戻ってきやがったぁ!兄ちゃん、オレ様暇だから付き合ってやるよ。暴走なんかなぁ、気にすんなぁ。オレ様、止めてやるぜぇ?」

水晶球の前に胡座を掻いていたケルゥが、のっそりと立ち上がった。ケルゥがまだいたことに、インファは驚いている様子だった。

「お、ケルゥ、おまえな、親子水入らず邪魔するなよな」

追いついてきたリティルが、インファの後ろからヒョイッと顔を覗かせた。

「なんでぇ、兄ちゃんが大変なときにいなかったくせしてよぉ!おめぇ、しばらく城にいろやぁ!フラフラしてんじゃぁねぇ」

「この!痛てーところを突きやがって!オレだってな、今はインファのそばにいてやりてーんだよ!それができねーから、しかたねーだろ?」

「あんな魔物なんてなぁ、ノインにハシゴさせときゃいいんだよ!そんでよぉ、おめぇは兄ちゃんといてやれやぁ!」

「オレがどうした?」

ノインの冷ややかな声で、ケルゥはピッと背筋を正した。ノインは今日、三体の魔物を狩りに行ったはずだ。すでにハシゴしているのだ。

「ノイン、ご苦労さん。早かったな」

「城の風が一瞬乱れた」

前王その者であるノインにも、当然のように城の異変を感じる事ができる。ハルからツバメがこなかったため、大事ないとは思っていたようだが、城にいる不安要素を思ってくれたのだろう。

「それで気になって、早く帰ってきたのか?ノイン……聞いてくれよ……インファの奴、この部屋の天井、割ったらしいぜ?」

「それは、一大事だな。オレも手伝おう」

疲れているはずなのに、ノインはさっさと部屋の中へ入って行った。

「ほら、インファ、このメンツなら何が起こっても平気だぜ?始めるぞ!」

リティルに促され、インファは少し居心地悪そうだった。

ハルはピョンッとリティルの頭に乗っかった。

そして、頼りになる精霊達の顔を、微笑みながら見回した。そして思う。

──でもねインファ、あなたは一人じゃないのよ?一人で、いなくていいのよ?


 風の城の図書室は、底が見えないくらい広い。司書を務めるコマドリたちが本の特徴を伝えると、図書館中から本を集めてくれる。

広い机の上は、本の山になっていた。

カルシエーナは本が好きらしく、レイシとインリーと一緒になって調べてくれていた。

「蜃気楼、面白い。これで自然現象なんだな」

図鑑のような厚く重い本を、自在に動く髪で広げてカルシエーナはレイシの前に浮かべた。

「太陽の光でこんなことができるんだ……」

「蜃気楼は妖精の女王が起こしてるとか、貝が霞を吐いて起こしてるとか、グロウタースの人達って面白いこと考えるんだね」

「妖精?貝?それいい。レイシ、水晶球の中に再現して!」

「ええ?できるかな……」

「水晶球は素直だ。怒るとそういう形になるし、喜ぶとそういう形になる。お父さんに見せてもらえばいい。リティルは、感情豊かだから。お兄ちゃんは、そういうの苦手」

「お父さんの力は本当に綺麗だよ?レイシ、見せてもらった?」

「……どうだっけ……」

「見てないのか?わたしはいっぱい見せてもらった。花が舞ったり、小鳥が無数に飛んだり、お父さんは本当に魔法が苦手なのか?」

信じられないと、カルシエーナは言った。

「言ってるだけだよ。それか、使うのを避けてるのかな?どうしてなのか、わからないよ。でも、防御系が苦手なのは本当だよ?強度がいつもまちまちなの。その辺は、お兄ちゃんのが得意かな?」

「ね、ねえ、さっき城の風が乱れたけど、大丈夫なのかな?」

レイシは昔から敏感だった。精神を研ぎ澄ませたら、この城のどこに誰がいるのか、そこまでわかるようになるかもなと、カルシエーナは思った。

「ああ、ケルゥが見に行った。わたしを呼ばないから、大丈夫」

「カルシー、ケルゥと通信できるの?」

「わたし達の力は対なんだ。親子とか兄弟とか恋人とか夫婦?とか、繋がりのある関係でいなければならない。元々一つだったモノが別れた形だから。元々一つだったんだから、声くらい届く」

「へー、なんだかロマンチック。お父さんが聞いたら、羨ましがるかな?」

「なんで?母さんとあんなに仲いいんだから、羨ましいかな?」

「だって、花と風は相性悪いから」

インリーは肩を竦めた。

「え?」

「ああ、そうだ。相性激悪」

それはそれは、最悪だとカルシエーナは淡々と言った。

「えええ?だって、ええー?」

「それでも、花は風に恋をする。お母さんが散らない花でホントよかったねー」

「よく風を捕まえたな。風は逃げるの得意だから。レイシ、これ貸してあげる」

カルシエーナの髪がザワザワと波打ち、その黒い波の中から一冊の小ぶりな本が姿を現した。

「何?ワイルドウインド?」

「あー!なんでカルシー持ってるの?」

インリーが途端に色めきだった。

「内緒だけど、お兄ちゃんが貸してくれた。読んだ?」

「うんうん!どこが好き?」

「インスレイズと会った後」

「あーお母さん大混乱で可哀相な?そっかー、わたしはやっぱり、最後!お父さん、格好いいよね!」

ねー!と盛り上がる女の子二人に、置いてけぼりなレイシは尋ねた。

「あのさ、この本、何の話なの?」

お父さん?お母さんに、インスレイズ?歴史書なのか?だが、そんなもので、女の子が喜ぶわけがない。レイシには、内容がまるでわからなかった。

「「風の王夫妻の馴れ初め」」

女の子二人は、声を揃えて言った。それはそれは、楽しそうに。

「ええー?それ、オレ、読んでいいのかな?」

「だって、この本、双子の風鳥島で未だに売られてるよ?」

「双子の……グロウタースの神樹が生えてる島?」

「そう、お父さんとお母さん、その島の英雄なんだよ?」

「英雄?父さんと母さんは、初めから格好良かったんだ……」

「初めから?読めばわかるけど、二人とも、とても困難な道だったぞ?だから、レイシ、二人の子供だから大丈夫!」

「そうだよ。わたしも、二人の子供だから大丈夫だもん。あ、レイシ、これ見て?」

インリーはある本の挿絵を見せてきた。

そこには、笛を吹く男と、花咲く大樹の絵があった。レイシには、男が笛の音で風を操っているように見えた。そして、笛を吹く男の前に舞い降りる、トンボのような透明な翼を背負った女の絵。

少女趣味だと思ったが、笛を吹いて操るという発想はいいかもと思った。あとは、どんな形にするかだった。

「ハマグリ」

カルシエーナはどうやら、貝が霞を吐き出して、木造の複雑な建物の幻を作り出す絵に、はまっているようだった。楽しそうに笑っていた。

──こうして見ると、綺麗ですね

──そうなんだよな。妖精の女王だぜ

父と兄の声が甦った。二人は他意なく、レイシの力を客観視して感想を述べた。

母を傷付けた力のどこが?と思ったが、二人が綺麗だと認めてくれるなら許したい。

形なくキラキラと輝いていたそれは、二人が一生懸命おまえ自身だと教えてくれたように、認めたくなくても、レイシ自身なのだと受け入れなければならないのだろう。

なら、どういう姿だったら、自分はあれを受け入れられるのだろうか?レイシは考え込んでいた。

──心に 風を 魂に 歌を 君といられるなら 怖いモノなど 何もない

──花の香りが この身を包む 叫べ 風に攫われぬうちに

──痛みと 涙が 君を曇らせても 歌え この旋律を 心のままに――……

インリーが歌っていた。とても楽しそうに。

風の奏でる歌。歌う者によって、まるで表情の変わる不思議な歌だ。

この歌を、リティルがくれた魔水晶の笛でなら、レイシは奏でることができた。

──痛みと涙が君を曇らせても、歌え、この旋律を心のままに

オレはたぶん、父さん達と肩を並べて戦えない。レイシは薄々そう感じていた。

精霊の力を手に入れても、このか弱い肉体はそのままだ。けれども、前線に立つだけが戦いではないことを、シェラは教えてくれた。自分は全然前線に立てるというのに、後衛の戦い方も心得ていた。

インリーが、優しいと言ってくれた自分自身を信じたかった。ずっと守られるだけだったレイシが、今度はみんなを守れたのなら……。

本物の父は、精霊王――彼がもし、襲ってきたら、風の城の皆は、当たり前のように迎え撃つ。家族を守る為に。

イシュラース──精霊の世界の半分を支配する王が、どれほど強大でも、戦争になってしまったとしても、風の城はレイシを差し出したりしないだろう。

なら、シェラのいない今、みんなを守れる力を手に入れよう。

父と兄が、綺麗だと言ってくれたこの力を使って。

「修練の間に戻ってもいい?インリー、カルシー、二人がいたら、やってみても怒られないかな?」

「怒られるなら、わたしも一緒に怒られる」

「うん、一緒に怒られてあげる!」

血の繋がらない姉妹はそう言って、笑った。

暖かいなと、レイシは二人に感謝した。

 三人は修練の間に戻ってきた。

どうやら、中に誰か居るようだ。開けてもいいのかな?とレイシは躊躇った。

「──いいぞ!安定してる!インファ、ゆっくり行けよ!」

「はい!」

「うお!この、暴れやがる!」

「ケルゥ、力みすぎだ」

『みんな、頑張れー!』

「ハル!うるせぇ」

『何よ!応援してあげてるのに!』

「気が散るだろうがぁ!」

「落ち着け、二人とも……。まったく」

「ハハ、見ろよ、ノイン!すげー斬れそうだぜ?今度は城ごと一刀両断!ってな?」

「父さん!やめてください。本当に斬れたらどうするんですか!」

中に居るのは、主力四人とハル?レイシは扉に伸ばしていた手を引っ込めた。なかなか入らないレイシに痺れを切らしたのか、インリーが止める間もなく開けてしまった。

「!」

瞬間、ドンッと扉すれすれの壁に、白い刃が突き刺さった。

「レイシ、大丈夫ですか?すみません……手元が狂ってしまって……」

インファが申し訳なさそうに近寄ってきた。レイシはカルシエーナの髪がシュルシュルと去ったその場所に、目線の高さに突き刺さる刃を見て、ヘナヘナとその場にへたり込んだ。

「インリー、あのタイミングで開けるか?咄嗟に軌道そらしてなかったら、危なかったぜ?カルシー、ありがとな」

ハアとため息を付きながら、リティルがどこかガッカリした顔でインリーを窘めた。

礼を言われたカルシエーナは、髪を操って、飛んでくる刃がレイシに当たらないように、防御してくれたのだった。

「ごめんなさい……でも、何してたの?」

インリーは、部屋の中の面々の顔を見回した。

『お兄ちゃんも、修行中よ!』

「え?兄貴も?」

インファに立たせてもらいながら、レイシは声を上げてしまった。昨夜、リティルと修業している会話を聞いたというのに。

「……いけませんか?」

インファに睨まれて、レイシは慌てて首を横に振った。インファの瞳は、疲れていて余裕なく見えた。主力四人が首を揃えて、いったいどんな修業をしていたのだろうか。オレのとはレベルが違いそうだなと、レイシは息を飲んだ。

「おめぇら、どうしたよぉ?」

「レイシが、水晶球で作りたいモノがあるって。お父さんがいるなら、ちょうどいい」

カルシエーナの言葉に、リティルの視線がレイシに合わさった。その視線を受けて、レイシはとたんに緊張してしまう。

「でも、上手くいくかどうか……」

レイシは自信なさげに、リティルの視線から逃げるように俯いてしまった。

「上手くいかねーから、特訓するんだぜ?サポートいるか?」

最初はみんなそうだと言ったリティルの言葉に、皆が頷いて笑った。

「う、うん、そのほうが安心だから、父さん、お願いします」

レイシの言葉に、リティルは嬉しそうに笑った。リティルの頭に乗っていたハルが、ピョンッとノインの肩に鞍替えする。

 暖かい城だなぁと、ハルは思った。シェラを傷つけたのが、レイシだとわかったときはどうなるのかと思っていたが、皆はレイシを少しも責めず、それどころか彼を心配していた。レイシをとっくに許しているのに、向き合えなくて、意地を張っていたインリーも戻ってきて、風の城はいつもの結束を取り戻していた。

「父さん、キラキラのあれ、呼び出してほしいんだ」

「いきなりあれか?わかった。意識を集中してみろ、行くぜ?」

レイシは水晶球に向かい、両手をかざして意識を集中した。その手に、後ろから父の手が重ねられた。レイシよりも背の低いリティル。だが、リティルが後ろにいてくれるだけで、安心できた。こんなに背負って、凄いなとレイシは素直にそう思っていた。

 水晶球の上に、キラキラと輝く鏡のような幻が姿を現した。

形のないそれに、形を……

「え?」

「レイシ!イメージと違っても驚くな!意識を集中して修正するんだよ!大丈夫、まだいけるぜ!」

キラキラの靄は、巨大な女性の腕となって、覆い被さってきた。それに向かいリティルは片手をつきだした。放たれた風が掴み掛かってくる手を押し戻す。リティルの片手は相変わらずレイシの手に重ねられ、背後には父の体がある。安心感の中で、レイシはもう一度意識を集中する。

巨大だった腕が萎んで、一匹の小さな妖精の姿になった。銀細工のような妖精だった。

「……っはあ……はあ……」

その姿はすぐに消えてしまった。無意識に息を止めてしまっていたレイシは、耐えきれなくなって荒く息を吐いていた。

「最低ライン、クリアか?」

ノインがぽつりとつぶやいた。

「ああ、上出来だぜ」

リティルのホッとした声が背後でした。レイシは恐る恐る父を振り返る。

「よく頑張ったな。最低ライン、クリアだぜ?」

ポンと頭に手が置かれ、レイシは力なく微笑むと、その場に尻餅をついた。そんなレイシに、インリーがわあっと駆け寄ってきて、明るい笑顔をくれた。

「次ぎは、一人で妖精の形を保てるまで、霊力を高めることだな……」

「父さん、我が儘言っていい?」

レイシはリティルを見上げると、意を決して言った。リティルは瞳を瞬くと、レイシを見下ろした。

「父さんの魔法が見たいんだ」

「オレの?魔法は苦手なんだぜ?うーん、じゃあ、ハルもいることだし、あれにするか」

リティルは独りごちると、水晶球に片手をかざした。

フワリと金色の風が立ち上ったかと思うと、雄々しく翼を広げた大鷹が、天井へ舞い上がる。その後を金色の花びらが追いかけた。花びらが大鷹を包むと、風が弾けて、部屋全体に花びらと羽根が降った。なんて綺麗な魔法なんだろうか。レイシは思わず泣きそうになって、グッと堪えた。隣でインリーが、降ってくる羽根と花びらを、楽しそうに捕まえていた。

『大鷹が花びらに捕まっちゃったわね』

ハルのからかうようなつぶやきに、リティルは笑っていた。眩しそうに、降ってくる花びらと羽根を見上げて。

――シェラ、オレ達は大丈夫だぜ?けど、早く君に逢いてーよ

リティルはそっと手に花びらを受けると、今度はそれを蝶に変えて放った。わあっと皆は喜んだ。だがインファは、父が何を思って蝶を放ったかを思い、一人思い詰めるように空を睨んだ。


 幻夢帝・ルキは、玉座に寝そべりながら瞳を閉じていた。

「ちっ、精霊王……あいつはいったい何なのさ?戦争になっても構うもんか。ボクは、リティルを守る。ねえ?ガルビーク、いいよね?」

ルキは虚空を見上げて独りごちると、風の城への門を躊躇いなく開いた。


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