十六話 プルシュガーの討伐7
「うん………ここは?」
第四倉庫奥地、そこに一人で横たわるアンリの姿があった。
頭から血を流して朦朧とする意識の中でゆっくりと立ち上がる。
「…そうだ私、鉄の扉にぶつかって…それで…」
忘れていた記憶を読み覚ましていく内にハッと瞳を大きく見開きながら周りを見渡す。
そして、そこにいるはずの一人の人物の存在に気づいた。
「黒江がいない!」
視界は白く霧のように籠ってはいるが、少なくとも近くにはいないというのはわかる。そしてこれはアンリの勝手な思い込みかも知れないが瀕死の仲間を置いて遠くまで行くような人ではないと黒江のいる場所の検討を探る。
「この先から霧が出てる」
目の前にうっすらと写る扉がない通路、その奥から沸き出る白い霧。
プルシュガー関連の任務をやったことがあるアンリはすぐにこの先に黒江がいることが分かった。
気付けば足は動いていた。おぼつかない足取り、血の流れで左目は開かない、頭を打った衝撃で焦点が合わない。
それでもなお進んでいき、その右手を第五倉庫の壁に置いた。
「……あ、ぁぁぁぁああ!?………黒江!?」
そこには周りを血の海に変えてうっすらと瞼を開けて倒れている青ざめた黒江の姿があった。
すぐに駆け寄り抱き抱える私は冷たくなった身体に心音を早めながら首もとに手を置く。
「ない…うそ………脈が…」
涙を流しそうになる瞳をぐっと堪えて呼吸の確認をするがやはり息は出ておらず、それはまるで…。
「嫌だ、嫌だよぉ……起きて黒江…」
ぎゅっと冷たくなった身体を抱き寄せて泣いてしまったアンリは霧を出し続けているプルシュガーに気づくこともなく、ただ目の前の出来事が信じられなくて動けないでいた。
きっと目を覚ましてくれると、黒江は強いんだとそんな意味のない思いを込めて抱き締めるが手足は力なく伸びて顔は上を向いたまま。
いっさい動かないその身体には意味のない思いなど届かない。
思うより行動に示さなくては。
「ーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
突如甲高い女性の悲鳴のような声に耳を塞ぐアンリが次に見たものは燃え盛るプルシュガーの姿だった。
部屋の奥で抵抗も出来ずに燃える様はキャンプファイアーのように炎が天井に舞い上がっていた。
「泣いている暇があるなら今できることをしてください!」
そしてプルシュガーが炎に包まれているのは彼女の火炎放射機のおかげである。大きなリュックを背負う眼鏡少女、千香の後ろ姿を見て何事かと思考が停止していた。
「二人とも大丈夫……じゃないよね?」
そこに血塗れのシルビィが心配そうに駆け寄る。
一体どれ程の感染者を倒したのか分からないが服は赤く染まり、顔は血を拭った後が至るところにあった。
そんなこんなで色んな情報や出来事が重なりあってアンリの頭では理解するのに時間がかかった。
「……あ、シルビィ…シルビィ!あれない!?えっ…と、感染用の薬!」
「千香が持ってるはずだよ!」
そう言われてアンリは黒江をシルビィに任せて千香の方へ走っていく。感染用の薬は「IM」と呼ばれており、これを飲めば感染スピードを軽減することが出来る。
しかし、軽減するだけで感染を治すことは出来ない。
「千香!、感染用の薬は何処に!?」
「リュックの中にある!」
未だプルシュガーを燃やし続ける千香の額には汗が滲んでいる。やはり暑いのかいつもつけているマフラーは外していた。
数メートル級の大きさともなれば燃え尽きるのに時間がかかるのは道理だが前よりは小さくなっていた。
アンリはそんな千香のリュックの中を探っていくと一つの白い箱を手に取る。
「これだ」
それを持って急いで黒江の元へ戻る。
暑くなる室内に木霊するプルシュガーの悲鳴、そして目の前で倒れている友達。精神的にも肉体的にも疲労しているが出てくる汗を拭いで黒江の隣に座る。
「アンリ…これ…死んでるんじゃ…」
「まだ大丈夫よ!恐らく仮死状態だと思う」
脈も呼吸もない青白の黒江を膝の上に寝かせていたシルビィは動揺しきった声で現状の状態を明確に簡潔に伝えてくるが、それを根拠のない台詞で否定する。
急いで白の箱を開けると一本の細長いケースに入った青い液体が出てきた。これがIM、プルシュガーの感染を遅らせる唯一の方法。生産が難しく本当なら手に入らないが、誰でもない黒江が仲間のために有り金を使って一本を買っていた。
「でもアンリ、黒江は呼吸をしていない。動いていないんだよ…どうやって飲ませるの?」
「…大丈夫」
そう言うとIMが入ったケースの蓋を開けるとそれをくいっと口の中に含んだ。膨らませ顔になっているアンリに驚きの顔を見せるが次にはさらに驚愕した顔になった。
黒江の顎を引いて口を少し開かせてそこから口に含んだIMを黒江に送るために自分の唇と黒江の唇をそっと合わせる。恥ずかしさからか瞼を閉じて液体を流し込んだ。
そして少しの躊躇もなく行った行為にシルビィは目の前で起きている展開についていけなかった。
「む……んくっ…んくっ…ジュル!…んぐっ……んむ」
声を漏らしながら口に含んでいたIMを互いの口を通して黒江の口内へ送り込む。口元を動かし勢いよく液体を流し込み続ける。しかしどうしてもアンリの桜色の唇が動いてしまうため互いの唇の隙間から青色の液体が唾液と共に流れ出てくる。
それでもなるべく送り込めるように強く唇を押し付けながら口移しをしていく。鼻息が黒江の顔にかかっても、私の唾液を液体と共に黒江の中に流し込むことになっても絶対に止めなかった。
これで救えるのなら、大好きな人が助かるのなら、と小さく唾液音を鳴らしながら液体を全て流し込んだ。
「んくっ……ぷはぁ!……く、黒江?」
その時間、僅か八秒という短い時だったがアンリにとっては長々としたものだった。
互いの唇が離れていやらしく唾液の線が二人の唇から伸びてツンッと切れた。息を切らしながら黒江の顔を覗き込むアンリはそっと手を首もとに置いた。
………ドクンッ………ドクンッ………………ドクンッ………。
鳴っていた。
弱々しく今にも消えてしまいそうなものではあったが確かに鳴っていた。
鼓動が。
「シルビィ……やったよ生き返ったよ」
「はぁ……良かった。心配したよぉ…」
お互いの顔を眺めて安堵のため息を漏らす二人は取り敢えずの窮地を乗り越えたのだ。
微かだが呼吸もしている。今の所は安全だ。
「でも、いずれまた心肺は止まって死んでしまう」
その言葉に現実へ帰された二人は後ろから近付いてくる千香に顔を向ける。
小さく丸焦げになったプルシュガーは黒煙を焚かせながら絶命したことを伝えていた。
「IMはただの時間稼ぎ、このままでは後三十分でまた死ぬ…」
瞑っている瞼を開いてライトを当てたり脈拍を計ったりと色々作業している千香はこちらに目を会わせずに淡々と事実だけを言ってくる。
いつもまにか二人から安堵の表情は消えていた。
「でも、助ける方法はある」
「それって本体を…」
助ける方法。それについてはアンリは勿論、バカなシルビィも勘づいていた。
ある意味それしかないと言わんばかりの方法に二人は決まりきった答え合わせを千香に尋ねた。
「えぇ、感染源…巨大プルシュガーを倒す」




