Ep.1 E判定と秀才美少女⑦
「え、あの……音羽さん!?」
「……ひっ……す、……すみませっ……ごめ……なさいっ……」
そこには、先ほどまでハキハキとした授業を進めていた彼女の姿はもう無い。突然泣き出してしまった音羽さんを前にどうすればいいか分からない俺は、彼女が落ち着くのをひたすら待つことしかできなかった。
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「……っく……すみっ……すみません。大変……お見苦しいところを、お見せしてしまい……」
2、3分が経過した頃だろうか。ようやく自力で落ち着いた音羽さんは、まだ少ししゃくりあげている様子であったが、へたり込んでいた教壇の上から立ち上がると、そこから降りてこちらに向かって深々と頭を下げた。
何もできず、また何故彼女が泣き出したのかさえ理解していない俺は、ただ「気にするな」の意を込めて頷くことしかできない。
気まずい沈黙が数分の間訪れた。元気に授業をしていた音羽さんが作っていた、教室内の明るくはつらつとした雰囲気は、既に霧散してしまっている。
(教えてもらっておきながら、いったい俺は何をやってるんだ……)
「本当にそれでもお前は先輩か?」と、自分を責める声が自分の中から湧き上がってくるのを悠馬は感じる。彼女の貴重な時間を奪っておきながら、泣かせて、謝らせて、気まずい思いをさせて。
少なくとも、このまま黙ってみていることだけは、自分が自分を許せなくなりそうで、嫌だった。
「音羽さん!」
「っ!」
「いや、その、驚かせてすまない。……もし先生って呼んだことで、不快な思いをさせてしまったのなら謝る。教えてもらっておいて、音羽さんに嫌な思いをさせてしまうなんて。本当に申し訳ない」
「い、いえ! 先輩は全く悪くないです! その……私の、私の勝手な事情なので……先輩には関係ないことですので……」
突然俺に頭を下げられ、慌てて否定する音羽さん。
勝手な事情、といったとき少し顔が曇ったのには気が付いたが、俺と彼女とは初対面だ。細かな個人の事情を詮索するのは避けるべきだろう。
だからその代り、悠馬は自分が感じた想いを彼女に伝えるべく、誤解を生まないよう、彼女を傷つけないように慎重に言葉を選んで紡いだ。
「先生って言ったのは、音羽さんの教え方があまりに分かり易くて、他に的確な言葉が思いつかなかったからなんだ。恥ずかしい話、俺ほんとに勉強はニガテだし、最近は学校の授業に全く付いていけてないレベルだからさ」
「……」
俺が何を言おうとしているのか、音羽さんは泣き止んだばかりの赤く腫れあがった目で、しっかりとこちらを見て聞こうとしてくれている。
本当にいい子なんだな、と改めて思う。
「だから、音羽さんが俺のために説明してくれたのは、本当に嬉しかった。自分で間違いに気づけたこともそうだし、ただ単に『see off』を『見送る』って覚えるんじゃなくて、どうして人がseeの後ろに来るのかの理由まで分かった瞬間、なんかこう、すごくワクワクしたんだ」
体に電撃が流れたような衝撃が走ったのを、今でも覚えている。そうか、だからこの答えになるんだ。ここ最近、分からない問題は答えを見て書き写すばかりだったが、今日は違った。「分からない」が「分かる」に変わるときの喜びを、確かに感じた。
「それが、あんな言葉でしか表せなかったけど、俺が伝えたかった気持ちだ。本当に、本当にありがとう」
再び頭を下げる。今度は、謝罪ではなく感謝の気持ちを表すために。
言いたいことは言えた。「許してもらえるだろうか」とか、「これで音羽さんの気持ちが晴れるなら」とか、そんなことは途中から一切考えていなかった。
ただ、伝えたかったことを伝えることができた満足感が悠馬の中にはあった。自分勝手な話だが、絶対に伝えるべきことだと思ったし、伝えてよかったと思っている。
顔をあげた俺の前で、彼女は少し呆けたような表情をしていた。瞬きをしてからようやく目元を緩め、「なんだか久しぶりだな、こういうの……」と呟く。
「え?」
「あ、いえ! なんでもないです!」
どういうことだろう、と首を傾げた俺に向かって慌てて手を横に振る音羽さん。よくわからないが、少し涙の痕が残る目元以外は、もう最初にあったときの雰囲気に戻っていた。安堵から、思わず頬が緩んだ俺と目が合うと、音羽さんもクスっと笑う。
「先輩、今日は色々……ありがとうございました」
「こちらこそ、本当に助かったよ」
そう言うと、二人の間にはしばしの沈黙が訪れた。
春とはいえこの時間にもなると、だいぶ太陽は地平線の近くまで下りてきている。あと1時間もあれば、辺りはだいぶ夕闇に包まれるだろう。
そろそろ帰らなきゃな、と沈黙を破ったのは俺の方だった。
「それじゃあ、音羽さん。その……」
「はい……。えっと……」
お互い、最後になんと言葉を続ければいいのか分からず、再び沈黙が訪れる。
友達だったら躊躇うことなく「じゃあまた!」と言えるのに。俺らはまだ友達ではないし、「次」があるのかも分からない。
もどかしさと奇妙なくすぐったさを感じる。二人の口から言葉が飛び出たのは、ほとんど同時だった。
「それじゃあ、また」「それでは、また」