エピローグ
「悠馬くーん! こっちこっち!」
四月半ばの某日。二限の授業を終えてから向かった大学のカフェテリアは、文字通り人で溢れていた。
そんな中でも俺に向かって手を振る桜は、はっきり言って目立っている。大学生になってからメイクをするようになったからだろうか、高校生のときよりも大人っぽさが増している気がする。その上、その辺のグラビアアイドルにも負けず劣らずのプロポーション。入学式の直後に会ったときには、既に色んなサークルからの山のような勧誘ビラを受け取っていた。
そんなこんなで注目されている桜に呼ばれている自分に向けられた、いくつかの感情を含んだ視線を肌で感じながら、桜が取っておいてくれた席に腰をかける。
「悪い悪い、講義がちょっと長引いてて」
「全然大丈夫だよ。私は空きコマだったからここで課題進めてただけだし。それにしてもすごい人だねぇ」
講義だの空きコマだの、すっかり大学生らしい言葉を使うようになったなぁなんて会話をしながら、お互い持参してきた昼ご飯を食べる。ちなみに、俺のは汐音曰く、「私が自分用に作ったものの余りを、仕方ないから入れてあげた」ものらしい。
汐音と言えば、今年の春の受験で無事第一志望の岡里高校に合格していた。塾の先生には「危うさ一切なしの、最初から最後までつまらん優等生」とまで言われたらしい。まぁ、塾で出されている課題をしっかりこなした上で、俺が使っていたテキストなんかも引っ張り出して自主的に解いていたもんな。それに、年明けに瑠美が教えていた箇所がほぼそっくり入試問題として出たらしく、受験後にうちに遊びに来た時に感謝を伝えていた。
そんなことを思い出しながら、余りものという割にはハンバーグ、からあげ、シュウマイと割と凝ったもの(しかもなぜか俺の好物ばかり)が詰まった弁当を平らげていると、一足早く食べ終えた桜が話しかけてきた。
「そういえば悠馬くん。浅野目くんのこの前の投稿見た?」
「ああ。ハルトの奴、あんだけ俺のことを羨ましいだのなんだの言ってたくせに……」
ハルト──俺の友人で、三年生のときは俺や桜と同じクラスだった──は、センター試験での成功から急きょ志望校を変更。なんと日本最難関と呼ばれる東大の文科一類に出願し、まさかの合格をしてしまったのだ。白河高校としても過去に例がない快挙だったらしく、一躍有名人になったハルトだったが、アイツの普段からの奇行は学年を越えて広まっていたらしく、「浅野目君? ああ、天才かバカで言ったら天才の方だったんだ。変態だけど」と女子生徒からの評価は意外と辛辣なままだったりする。
そんなハルトも、大学に入ってついに春が来たらしい。春休みのうちから入ってたサークルでフランスからの留学生の子と仲良くなったらしく、つい先日交際に至ったそうだ。幸せそうな二人の写真が投稿されているのをSNSで見つけた日は、そりゃあもう唖然としたものだ。
「綺麗な人だったよねぇ。おっぱいも大きいし……」
うっとりしながらそんなことを言う桜に、俺は思わずむせ返りそうになる。「いやいや、あなたも結構なものをお持ちで」と言えないあたりが、19年間童貞のゆえんなのだろうか。
「んんっ。桜、花見って明日でいいんだよな?」
「うん! 紅葉も大丈夫だって! 汐音ちゃんも来れるのかな?」
「ああ。久々にお前たちに会えるって、嬉しそうにしてたぞ」
「えへへ~。汐音ちゃんと会うの久しぶりだなぁ。あ、もちろん瑠美ちゃんも来れるんだよね?」
「なんだかんだ最近会えてないんだよね。元気にしてるかなぁ」とぼやく桜。俺は勿論来るぞという意味を込めて一度頷き、こう答えた。
「瑠美は──」
_________
まだ春にも関わらず、夜になると冷え込む。
薄手のコートを羽織った俺が少しでも寒さを和らげるべくコートのポケットに手を突っ込んで歩いていると、
「ゆ、悠馬さん!」
という声が前方から聞こえてきた。昨年一年間、ずっと一緒にいた声だ。間違えるはずがない。
「おっす、瑠美。今日はもう終わりか?」
「は、はい! そろそろいらっしゃるかなと思ったので、早めに抜けてきちゃいました」
てへへ、と瑠美が恥ずかしそうに笑う。つられて少しくすぐったいような気持ちになった俺は、誤魔化しをはかるべく話題を逸らした。
「勉強の方は順調か? ……って、瑠美に聞くのも変な話だけど」
「ふふっ。この前返ってきた模試、何位だったと思います?」
「……全国でだよな? 三位とか?」
「ぶっぶー! なんと、全国で一位だったんです!」
珍しくどやぁ! という顔で見せてきた成績表は……本当だ。国数英の順位が、全国で一位になっている。国語と英語は科目別でも全国一位のようだ。
「うわぁ、すげぇな。志望校全部がA判定って存在するのか……なぁ瑠美。瑠美って本当に予備校に行く必要あるのか?」
「もちろんです! 私もまだまだ理解が十分でないところはありますし、特に数学にはニガテな分野だってあるので。それに……」
そう。なんと瑠美は今年の四月から予備校に入塾した。俺が去年のゴールデンウィーク頃に体験で行った武蔵野予備校だ。
実は今さっきまで、瑠美は予備校で授業を受けていたところだ。瑠美が自宅に帰る際に使うバス停は駅を挟んで予備校の反対側にあり、その移動の際に人通りがかなり少ない道を歩かなくてはいけないと相談されたのが先々週あたり。それ以来、都合のつく日は瑠美が予備校から出る時間に迎えに行き、バス停まで送ることにしている。最近何かと物騒だし、俺自身バイトやサークル活動をしておらず、暇を持て余していたのが幸いした。
ぽつり、と言葉が漏れる。
「なんか、すげぇな」
「?」
「いや。俺たちって、勉強に関してはほんと正反対だなって」
当時の自分の成績をしみじみと思い出す。E判定のみが並んだ成績表は、瑠美が見せてくれたのとは対極のものだ。
そんな二人が、何の偶然か出会って、ここにいる。たまらなく不思議で、しかしそれが心地よくもあった。
隣を歩きながら、瑠美は恥ずかしそうに俯いた。
「ゆ、悠馬さんは。すごいですよ」
「え?」
「だって、やり通したんですもん。ほとんどの人だったら諦めちゃうような、予備校の先生も止めておいた方がいいって言うようなことを、ちゃんと」
「……」
「だから結果が……明央大学合格っていう結果も、ちゃんとついてきたんです」
唐突に褒められ、照れ隠しにそっぽを向く。チラッと見えた瑠美の頬は、淡い桃色に染まっていた。自分じゃ見えないが、鏡を見たら俺も同じようなものかもしれないが。
二人して無言のままバス停への道を歩いていく。さっきまで感じていた春夜の冷え込みも、すっかり気にならなくなっていた。
ふと、瑠美がこう言った。
「そう言えば! 悠馬さんって再来週TOEIC受けなきゃって言ってませんでした? 勉強はちゃんと進めてます?」
「うぐっ。こ、今週の花見が終わったら、ちゃんとやるよ。たぶん」
「ダメですよー! TOEICは一問一問の難度は高くないですが、問題量はかなりあるんですからね! 特にPart5、6あたりは……」
すっかりおなじみになった瑠美の解説。ふと「去年の今頃は教えるとき眼鏡をかけていたなぁ」と思い出し、それから一年経ったことを感慨深く思う。
「悠馬さん! 聞いてるんですか!」
「……悪い悪い。ちょっとぼーっとしてた。もう一度初めから教えてくれるか、瑠美先生?」
からかうような口調で俺が頼むと、瑠美は一瞬驚いたような顔をした後、暗い夜道を照らし出すような満面の笑みでこう言った。
「もうっ! 先生って呼ばないでくださいっ!」
五か月ほど、本当に楽しく執筆することができました。
積る話は活動報告に記したいと思います。
お付き合いいただきまして、本当にありがとうございました!
2018年12月31日 矢崎慎也




