Ep.6 停滞、そして。②
「…………輩。悠馬先輩!」
「っ!」
放課後、いつものように図書館の休憩室で勉強していると、ふいに瑠美から声をかけられた。机の上にセンター試験の過去問は広げていたものの、さっきから1ページも進んでいない。
「……すまん、ボケッとしてたみたいだ」
「いえ、私は大丈夫ですけど……。悠馬先輩、今日は体調が悪いとか……?」
「いや、ただ疲れが溜まってたみたいだ。すまない、心配をかけて」
「……」
一方的にそう告げると、瑠美が何かを言いたそうとしているのには気づいていたが、それを無視して開いていた参考書に意識を集中する。問題のレベルとしては、センター試験と同形式の、至極標準レベルの問題。夏休みに何回も解いた問題とほとんど同じだ、と自分に言い聞かせ、手早く解答欄を埋める。
「(そうだ、たった一回の模試で自分の能力を測るなんて、できる訳がないんだ。その日たまたま調子が悪かったのかもしれないし、ニガテな問題がたくさん出されただけ。きっとそうだ……)」
気にしているだけバカバカしい、と頭の中のモヤモヤしたものを振り払うべく、俺は軽快なリズムで自分の答案に丸をつけていく。第1問、第2問と調子よく丸が続いていたが、問題が長文読解の単元に差し掛かった途端、1問、そしてもう1問とミスが散見されるようになった。
――148点。
「明央大学を目指すんだったら、9割。つまり180点程度は取っておける実力が必要です」と、夏休みに入る前に瑠美が言っていた。実際、夏休みの期間に解いた問題では、160点代から180点の間を推移することに成功していたため、150点を下回ったのは実に数か月ぶりのことだった。
「……クソッ!」
「ッ!」
自分で制御のできない何かに突き動かされ、手に持っていたテキストを叩きつけるように卓上においた俺を見て、瑠美は驚いたような、そしてまた怯えたような眼差しをこちらに向けてきた。
「あ……すまない」
「い、いえ……」
最悪だ、と心の中で自分を詰る。たかが試験で失敗した程度で、モノにあたって後輩を怖がらせるなんて。
「(そうだ、たかが試験……それも本番じゃなくて模試だ。これで入試の結果が変わる訳じゃないんだ。)」
何をくよくよしていたのだろうか。悪かった結果にいつまでも囚われていても仕方がないではないか。
「(……忘れよう、あんなの)」
頭を振って、先ほど解いた問題の解き直しをすべくルーズリーフを鞄から取り出す。いざ、シャーペンを持って間違えたところの解説を片っ端から読み込もうとしたその時。
「先輩」
静かな、それでいてはっきりとした口調で、瑠美が言った。
「先輩。今日、模試の結果が返ってきたんですよね?」
「……ああ」
瑠美には、そろそろ結果が返ってくるということを伝えていた。それを覚えていたのだろう。そして気づいたのだろう。俺の様子がおかしい原因が、そこにあることを。
「見せて、くれますか?」
「…………」
後になって――本当にずっと後になって思い返せば、瑠美に成績表を見せることには、何一つ抵抗するような理由はなかった。4月の初めの出会ってまだ間もないころに、学年でも底辺を争っていたころの成績表を隈なく見られているのだから。
――それでも。
「……すまない」
「……っ」
俺の言葉を聞き、瑠美ははっきりと傷つけられたような表情になった。
俺自身、深く考えるより先にその言葉が出ていた。何故彼女の御願いを拒否したのか。今までだって、成績が返ってくる度に見せていたではないか。自分に問いかけても、先ほどの行動の理由が分からない。
「……わか、りました。すみません、変なこと言って……」
震えるようなその声を聞き、俺はハッとして顔を上げた。目の前の瑠美の目は、涙こそ湛えていないものの、うっすらと充血していた。「すみません……ちょっと、お手洗いに行きますね」と言い残し、瑠美は休憩室から出て行こうとする。
慌てて呼び止めようと手を前に伸ばそうとしたが、寸前のところで堪えた。傷つけた張本人である俺には、彼女を引き留める資格も権利もない。
沈黙で満たされた部屋は、空調の音だけが空しく微かに反響していた。




