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先生って呼ばないでくださいっ!  作者: 矢崎慎也
第2章 ライバルは増える?
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Ep.5 夏休みはリゾートで⑦(授業⑥和訳⑵)

「……ダメだ、全くわからん」



 しばらく頭を捻ってみたが、全く正解に近づけた気がしない。縋るような思いで瑠美の方へ視線を送る。



「ん……そうですね、確かにこれはちょっと難しいかもしれません」

「じゃあ……」

「でも、答えまでは教えませんからねっ! 一つだけ、ヒントを教えます」



 そう言うと、瑠美は先ほどメモを取ったルーズリーフを再度手元に引き寄せペンを持った。文字を書く度に、彼女の細い右腕が俺の左肩のあたりに軽く当たって、なんだか落ち着かない気分になる。



 クーラーがついてるにも関わらず自分の頬が少し熱くなってきているのを感じていると、瑠美はペンを机の上に置き説明を始めた。



「先輩、『ドウカク名詞』という文法用語を聞いたことはありますか?」

「ドウカク名詞? ……あぁ、同格ね。後ろの内容が前の内容を説明している、って奴だっけ」

「はい、その通りです。“I know that you are a student.”という文の中にある”that”は、『~という』と訳し、『私はあなたが生徒であるということを知っている』なんて風に訳しますね」



 『同格のthat』というのは聞いたことがある。確か、ゴールデンウィークくらいに取り組んでいた文法書で問題として出てきたのではなかったか。後で副主するため、瑠美が言ってくれた例文も一応メモに残す。



「話を戻しますね。今回の文章で出てきたのは『同格のthat』ではなく、『同格名詞』というものなんです」

「名詞ってことは、”a condition”の部分がその『同格名詞』ってやつなのか?」

「せーかいですっ!」



 わふっと目をキラキラさせる瑠美。なぜそんなに喜んでいるのかは分からないが、尻尾がついていたら確実にふりふりとせわしなく揺れていたことだろう。



「つまりですね、この文章は大きく2つの部分に分けられているんです。前半はさっき先輩が訳した部分、『Health and well-being for each of us requires, among other things, being satisfied and secure in our bonds with other people』の部分です。そして、後半部分は”a condition”から始まる節で、これが前半の部分をより詳しく説明しているんですよ」

「……………お、おう」

「む。さては先輩、まだまだ理解が十分じゃありませんね?」



 速攻でバレた。体を縮こまらせながら、一応主張を……というより、言い訳を試みた。



「そもそもこの文章がさ、「健康」とか「幸福」とか、抽象的な言葉が多いんだよな。ストーリーがあるのとか、もっと面白ければ分かるのかもしれないけどさぁ」

「もうっ。皐月先輩、知ってますか? 文系の大学でいわゆる社会学系……文学部とか政治学部みたいなところだと、『道徳』とか『倫理』をテーマにした文章は頻出なんですよ? それに、大学に入ってからも単位を取ろうと思ったら『哲学概論』とか『倫理学概論』みたいな講義は必須科目として設置されていることがほとんどで――」

「わ、分かった! 分かったから! ちゃんとやりますよく読みます!」



 放って置くといつまでもお説教が続きそうな瑠美を慌てて制止し、再び視線を問題文に向けた。とりあえず、前半と後半の二つに分けられるということは、先ほど確認した前半部分を訳してしまえば少し分かりやすくなるかもしれない。



 そう考えた俺は、瑠美が言ったことをメモしたルーズリーフと問題用紙を交互に見やりつつ、つっかえつっかえ日本語訳を完成させていく。



「『我々一人一人にとっての健康と幸福は、特に他人との結びつきの中にある満足と安心を感じることを必要とする』……前半の訳、こんな感じでどうだ?」

「うん、すごく良いと思います。要するに、友達や家族と一緒にいて、安心するときに『健康』とか『幸福』を感じるということですよね」

「で、問題の後半部分だが……」



 改めて問題用紙に視点を落とす。ついさっきまではどう訳したら良いか見当もつかなかったが、後半部分だけを見れば文法的にはさほど難しくはなさそうだ。



「“a condition of “not being lonely””の部分は、”A of B”で『BのA』って訳すんだから――」

「……“not being lonely”は『孤独ではない』という風に訳していいですよ」

「さ、さんきゅーべりーまっち……」



 “lonely”なんて超初歩的な単語の意味をど忘れし、言葉を詰まらせた俺に助け船を出してくれた瑠美の視線は冷たい。年下の美少女に向けられるジト目……いかんいかん、変な扉を開きそうだ。



「で、後ろの“that”は“we call social connection.”に繋がってるんだよな……? ってことは、間に挟まってる“for want of a better world”は……挿入、でいいんだよな?」



 自信なさげに文の構造を確認していく。瑠美は言葉を発さず黙って見守ってくれている。



 「ええい、なるようになれ!」と自分の考えた「答え」を俺はルーズリーフに記入した。



「瑠美、これでどうだ⁉」

「見せてもらいます! ふむふむ、『それは、よりふさわしい単語が見つからないので私たちが社会的つながりと呼んでいる「孤独ではない」という状態なのである』……」



 ごくり、と生唾を飲み込む音が自分の喉元から聞こえた。祈るような気持ちで瑠美の次の言葉を待つ。



「……ん。全く文句の付け所がないです。先輩、これなら模試でも満点を貰えます!」

「……ッツ!」



 試行錯誤の末に問題が解けた快感で、叫び声が言葉にならなかった。たまらずガッツポーズをとってしまった俺を、やはり瑠美は暖かい目で見つめてくれている。



「本当にありがとな、瑠美」



 心からの俺の言葉に、瑠美は今までとは違う、満面の笑顔を浮かべてくれた。


宿題の解答は以下の通りです。


我々一人一人にとっての健康と幸福には、とりわけ、他人と結びつきの中で満足と安心を感じることを必要とするが、そのことが(よりふさわしい単語がないので)我々が社会的つながりと呼んでいる「孤独ではない」という状態なのだ。

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