Ep.1 E判定と秀才美少女④
今日はツイてない。朝の星座占いは見逃したが、間違いなくおとめ座は12位だったに違いない。
体育の授業で空腹と疲れからヘトヘトになった俺を待ち受けていたのは、6限の古文演習の授業だった。基本となる古典の文法やら古典単語やらを覚えていない俺にとって、長い古文を読んで問題に答えるなんて高度なことができるはずもない。
頭をポケ〇ンのコ〇ックのように抱えているうちに6限の授業は終了し、放課後になっていた。
いつも一緒に帰っていたハルトが「今日は用事があるから! んじゃ!」と先に帰ってしまったため、悠馬はまだ放課後の教室に残っていた。周囲には雑談に興じるクラスメートが数人いたが、会話に加わろうという気にはならなかった。
することもなく、ぼーっとしていた悠馬は、朝返却されたばかりの模試結果の存在を唐突に思い出し、鞄から取り出す。
何度見ても、そこに記載されてる順位や偏差値に変わりはない。私立文系大学志望の俺は国語、世界史、英語と3科目だけで大学を受験することができる分、理系や国立志望の受験生より勉強する教科は少なくて済むのだが、
(まず、どこの科目から手をつけたらいいか分かんないんだよな)
国語、世界史、英語。中でも一番マシなのが世界史で、これだけは受験者全体に対する偏差値が50を超えていた。しかし、校内順位で見れば半分よりも下だったし、国語と英語に至ってはビリから数えても両手の指があれば足りてしまう。
(受験勉強っていっても、何をすればいいんだ?)
志望校の過去問なんて、授業の演習にすら付いていけてない現状では何の効果もないだろう。何か参考書を買おうと思って近くの本屋に行ったことがあるが、ずらりと並ぶ予備校等の問題集に恐れをなして、早々に退散してきてしまった。
じっと見つめていても点数が変わることはないと分かっているのだが、それでも悠馬は穴が開くくらい模試結果を見つめ続けた。このままじゃヤバい、という焦燥感だけが募っていく。
気が付くと、教室には悠馬一人だけになっていた。
「……帰るか」
椅子から立ち上がり、机の引き出しに入っている教科書などを鞄に入れ、帰りの支度をしていると、
(ん?)
ふと、誰かに見られているような気がした。教室を見回したが、やはり誰もいない。視線を動かし教室前方の扉の方に向けると、そこには見覚えのあるブロンドの髪が揺れていた。
「えーっと、俺に何か用か?」
「っ!」
予想通り、そこにいたのは購買部であった少女、音羽瑠美だった。いきなり声をかけられ少し驚いた様子だったが、体を半分くらい教室にのぞかせ、俺の方に向けて首をちょこんと縦に振る。そのまま俺の方を見上げて、何か言いたげな様子を醸し出している。
しばらく黙って話し出すのを待ってみたが、一向に切り出さないので、俺の方から声をかけてみた。
「その、なんだ。今日の昼休みはすまなかった。決して譲らせようとか、そんなことを思ってた訳じゃないんだが、気を使わせてしまって」
あの時、すぐに音羽さんが走り去ってしまったために言えなかった言葉を俺は伝える。
それを聞いた音羽さんは、
「そ、その、違うんです!」
白く滑らかな頬を少し上気させつつ、今度は首を横に振る。
「違う? どういうことだ?」
「そ……その、あのときの様子を見てたクラスの友達が、先輩が買わずに置いてってくれた焼きそばパンを私のために買ってくれて……。私、先輩に気を使わせちゃったなって思ったら、申し訳なくて……」
俺が首を傾げて問うと、一瞬びくっとした後に、ところどころつっかえつつも音羽さんはそう説明した。
「それで御礼を言いたいと思っていたところに、お昼にあった先輩とよく似た方が教室にいらっしゃったので……その、すみません!」
なるほど、理解が追い付いた。
つまり俺が買わなかった「あらびき焼きそばソーセージパン」は、無事本来の購入予定者である音羽さんのお腹に収まったということだろう。きっとパンとしても、俺なんかに食われるよりも音羽さんみたいな可愛い子に食べられるほうが何万倍も嬉しかったに違いない。
「そっか。それは良かった。君が俺のせいで昼食を食べ損ねてたらって心配してたんだ」
「はいっ……おかげ様で! あの、パン……とっても美味しかった、です」
そう言ってほほ笑む音羽さんの顔を見てると、たかがパン一つ食べれなかったことなんて、どうってことないように思えてきたから不思議なものだ。
思い出せば、確かラスト1個のパンに手を伸ばしたときも、喜びも顕わな歓声をあげていたような気がする。実は、結構楽しみにしてたんじゃないだろうか。人気商品でなかなか手に入らないものだから、無理もない。
なんとなく照れくささを感じて、目線を明後日の方向に向ける。そのまま教科書を鞄に詰め込む作業を再開した瞬間、
「うわっ」
手元を見てなかったのが災いして、詰め込もうとしていた教科書によって鞄が机から押し出され、床に落ちてしまった。床に落ちた鞄からは、教科書、筆箱、プリント類が入ったクリアファイルが飛び出ている。
「あっ……手伝います!」
教室の扉付近にいた音羽さんがこちらへ駆け寄ってきて、散乱した教科書たちを拾い上げるのを手伝ってくれた。優しい子なんだな。
2人でしばらくガサゴソと床に散乱したものを回収していると、
「……? これは……? あっ……」
戸惑いのような声をあげた音羽さんの方を見ると、彼女の手にあるのは、
(……って、模試の結果じゃないか!)
しかも、さっきまで見ていたものを無造作に突っ込んだため、点数や偏差値が記載されている面が思いっきりご開帳されてしまっている。
「す、すみませんすみません! 決して見ようとしたわけじゃなくて、えっと、そうじゃなくて、あの!」
情けない成績を見せてしまった俺よりもテンパってしまった音羽さんは、しきりに謝罪を繰り返してくる。さっきから思ってたけど、音羽さんって「ごめんなさい」とか「すみません」が多い子だな。
「いや、大丈夫。不用心に入れてた俺が悪いから気にしないでいいよ」
「っ……」
気にしなくていいとの意を込めて声をかけると、音羽さんも少しようやく落ち着いたようで、ペコペコしながらではあるがようやく謝罪は止めてくれた。
今回は少し柔らかな口調で言えたんじゃないだろうか、と僅かながらの自分の成長に感心する。
音羽さんは中身がオープンな状態になっていた俺の成績表を閉じて、俺の方に差し出し……
「……あれっ……?」
「ん? どうかしたか?」
途中まで差し出してきた模試結果を、俺の手に渡る直前で再び自分の方に引き寄せた音羽さんは、俺のことが目に入っていないんじゃないかと思えるほどそれを見つめている。見ている面は……表紙の裏側だろうか。そこには確か、
「えっと、音羽さん? 俺の英語の解答に何か?」
「っひゃ、ひゃい! すみません!」
音羽さんが見ていた面には、たしか俺が記入した英語の記述揉んだの解答のコピーが載せられていたはずだ。最近は、記述型の模試でも解答用紙の原本は返却してくれないところがほとんどである。その場合、採点官が丸つけをした解答用紙がスキャンされて、スキャンされたものが成績表と一緒に本人に返却される仕組みになっている。
声をかけると、音羽さんはようやく我に返ったようで、慌てて成績表から目を離し、再び俺に差し出した。しかし、俺がそれを取ろうとした瞬間、音羽さんはこう言った。
「えっと、あの、すごく差しでがましくて……本当にごめんなさい! でも、採点が一か所間違っているな……って……」
……なんですと?