閑話 下
「よし、瑠美。今日はここまでにしておこう」
「えっ? あ、はい!」
声をかけられて、もうそんな時間かと時計を見ると、まだ5時半だ。
「先輩、今日は8時までやるのでは……?」
「ん、まぁ、その、時間的には8時ぐらいまでかかるから……」
もにょもにょと語尾が消えている。そして、なぜか私と目を合わせてくれない。若干落ち込んでいると、「んんっ」と咳払いをした悠馬先輩は、一呼吸おいて私にとって衝撃をもたらす一言を放った。
「瑠美、付き合ってくれないか」
……………
「え、ええええええええええええええ⁉」
「桜の家でなんだけどさ。アイツんち、お母さんが趣味でレストラン経営してるらしくって。夜ご飯、もし瑠美さえよければこの後付き合ってくれると嬉しいんだが……どうかな?」
「………………………………………………………………はい。行きます」
「え、ごめん迷惑だったか? 用事とかあったら全然断ってくれていいんだが……」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……先輩、背後には気を付けて歩いてくださいね」
「俺、誰かに殺されるの⁉」
一瞬の胸の高鳴りを返してください、と言おうとしたがやめておいた。先輩が困るだけだろうし。それにしても、一緒に夕食を食べようと誘われたのは今始めてだ。桜先輩がいるのは残念……ううん、やっぱり嬉しいかもしれない。
「それにしても、どうしたんですか? 先輩って、いつもはご自宅で食べてますよね?」
「あーっと、まぁ気分というか……そう、定期テストも終わったし、一学期の打ち上げみたいな感じでどうかなって思っただけだ。うん」
「そうだったんですね」
なるほど。それなら、ここ最近ずっと一緒にいた桜先輩が誘われるのも納得がいく――
「「瑠美、誕生日おめでとう!!!」」
と思ってたんです。いや本当に。桜先輩が待っていたお店について、案内された席に座るまでは。
なんか桜先輩が気味の悪……いえ、何かを堪えるような笑顔をしたから、恐る恐る席についたのところ、開口一番それだったのだから、唖然としたのもやむを得ないだろう。そもそも、
「え……どうして知ってるんですか……? 私の誕生日が今日だって……」
店(私達のために貸し切りにしてくれていたらしい)が華やかに装飾されており、机の上にケーキが運ばれてくる段になって初めて気づいたが、少なくとも、自分で誕生日を言った覚えはなかった。そもそも私でさえ、今朝久しぶりに思い出したのに、なぜ私の誕生日を知っているのか不思議に思っていると、
「だって……ねぇ?」
「だって……なぁ?」
と悠馬先輩と桜先輩が、おかしいのを堪えられないといった様子で顔を見合わせて笑っている。二人だけが分かっているのが面白くなく、私は思わずふくれっ面になる。それを見た悠馬先輩が、「ごめんごめん」と笑って種明かしをしてくれた。
「瑠美さ、この前桜にメールアドレスを書いた紙を渡したんだろ?」
「紙……あっ!」
「ふふ、思い出した? 悠馬くんがいない図書室で、『何か聞きたいことあればここに連絡ください』って。確か瑠美ちゃん、その日スマホを忘れてたから……」
そうだった。桜先輩とは今でこそLINEを交換しているものの、最初の数回はメールでやりとちをしていたんだった。
「ふふ……にしても、メールアドレスが『rumi.otowa0704』だなんて分かりやすすぎるよ」
「いやぁ、俺がさりげなく食べられないもの聞いたときもさっぱり思い当ってないみたいだったから、もし違ったらどうしようって結構心配だったんだぜ」
「あ、夕食はもうすぐ運ばれてくるよ! 私、オーブンの方見に行ってくるね」
そう言うと、桜先輩はお母さまが色々と準備をしてくださっている厨房に向かった。手伝い慣れているのだろう、エプロン姿がとても様になっている。
「なぁ、瑠美」
まだ呆然としている私に、悠馬先輩が話しかける。ゆっくりと背中から前に回された先輩の手には、丁寧にラッピングされた小包が乗っていた。
「これ、大したものじゃないんだけど」
「え……私に、ですか?」
「ああ。日ごろのお礼っていうか……俺さ、最近受験のこと考えると、憂鬱になるというよりワクワクしてくるんだ。学年で底辺だったような奴が、どこまで上がれるのか試してみたい気分でさ」
言葉を区切ると、照れくさそうに頬をぽりぽりと書く。
「そう思えるのって、瑠美がいたからなんだよな。桜も、似たようなこと言ってたぞ。『瑠美ちゃんと勉強すると、受験への不安とか、そういったのがどっかいっちゃうんだよね~』って」
「……」
「だから、この会は俺たちからのささやかなお礼。まだまだ半人前だけど……これからもよろしくな、瑠美」
途中から、こみ上げてくる何かを抑えるのに必死で、先輩が言ってたことは半分くらい聞き取れていなかった。でも、言いたいことは、言ってくれたことはちゃんと私の心を揺さぶっている。
ママが死んでから、誕生日なんて普通の日だって思い込もうとしていた。お父さんは忙しいし、再婚相手の人はそもそも私の誕生日なんて知りもしないだろう。期待して、裏切られて。「もう誕生日を祝ってもらう年じゃないし」って、祝われなくても平気だって自分に言い聞かせていた。
「あ……ありがとう……ございます……」
ああ、泣き虫な自分が嫌になる。お礼の言葉すら満足に言えないじゃないか。でも悠馬先輩は「仕方がないなぁ」と言っているかのような表情で、そんな私の頭を撫でてくれる。何度も、力強く、それでいて優しく。気づかぬうちに受け取っていたプレゼントをしっかりと胸に抱き込んで、私は先輩に一歩近づいて、それから肩口に自分の額をこつんと当てた。
「おめでとう、瑠美」
戻ってきた桜先輩が、距離の近い私達を慌てて引き離す。憎まれ口をたたく私に、むきーっと普段の大人っぽさを捨てて対抗する桜先輩。それを眺め困った表情をしている悠馬先輩。
来年の今日もこの3人で過ごせますように、と誰かに無性に祈りたい気分になった。
土曜日から第5話です!




