Ep.4 心機一転?形勢逆転?⑧
昼休みも終わり、教室で5時限目の授業が始まるのを待っているときに、飾森さんが俺に話しかけてきた。
「ねえ、皐月くん」
「ん? どうした」
「……ううん、やっぱりなんでもない」
そう言うと、飾森さんは再び視線を黒板の方に向け、何をするでもなくぼうっと虚空を見つめている。
「(まぁ、瑠美のことだろうな)」
図書室から教室に戻ってきた後、俺たち二人の間には気まずいような雰囲気が立ち込めていた。あの時の瑠美の反応を見て、飾森さんはきっと違和感を覚えただろう。
「(だからといって、気軽に話していい内容じゃないんだけど)」
瑠美が中学時代にいじめられていたという情報を、本人の許可無く他人に伝えるなんて真似は俺にはできない。かといって、「飾森さんに伝えないままでいていいのか」と言われると、それも違う気がする。
どうしたもんかと頭を抱えていると、
「……皐月くん、あのね」
そう切り出した飾森さんは、一度躊躇ったあと、周囲に気を使ったのか、俺の耳に顔を近づけて何かを囁いた。
「……し、瑠美ちゃんのこと、……いじゃないから……」
「……っ!」
飾森さんの吐息が耳にあたり、くすぐったい気分になる。というか、耳に気を取られて肝心な部分が聞き取れなかった。
「すまん、よく聞き取れなかった!」
「え、いや、その……だからね、私……」
うぅ、と恥ずかしそうに言うか言わないかしばしの逡巡を経て、耳まで真っ赤になった飾森さんは、今度は先ほどより大きな声で――
「私、瑠美ちゃんのこと好きだからっ!」
「「「……へ?」」」
とぼけた声を出してしまったのは俺だけじゃない。飾森さんの声が聞こえた周りのクラスメイトたちも自分たちの会話をやめてこちらへ注目する。
「ち、違うの! 友達として! 友達としてだから!」
飾森さんは手をモンキーダンスのようにぶんぶんと振って慌てて否定を重ねるが……うん、恐ろしいほどに説得力がない。一連の流れを見ていたクラスの奴らも、
「え、桜ってそっち系の人だったの……? だから彼氏いないんだ……」
「というか瑠美って……二年生の金髪の子だよな? こないだうちのクラスにも来た」
「それをわざわざ皐月に言うってことは……三角関係か⁉」
ああもう、大盛り上がりになってるし! というか、俺と瑠美はそういう関係じゃないって納得したんじゃなかったのかお前ら!
にしても、ちょっと意外だったのは―飾森さんが瑠美を嫌っていなかったということだ。いや、下の名前で呼び合ってる時点で仲が悪い訳ではないと思ってたけど、むしろ好感すら持っていたとは。
「(瑠美の方は、飾森さんのことどう思ってるんだろうな)」
基本的に人見知りな、というか引っ込み思案な瑠美がああも感情を顕わにして接している相手は、俺と飾森さんくらいだろう。中学時代の反省から、クラスの人とは必要以上に踏み込まない関係を保っているらしいし。
「うぅ……絶対皆に誤解されたよ……」
「ま、まぁ元気出せよ。人の趣味はそれぞれだし、俺は全然いいと思うぞ。末永くお幸せにな」
「もう! 皐月くんまで! そんなこと言ってると本当に瑠美ちゃんとっちゃうからね!」
「え、マジでそっち系でしたか……瑠美にさっきの熱い愛のメッセージ、伝えとこうか?」
「ちーがーうーかーらー!」
頭から湯気が出そうなくらい真っ赤な顔をした飾森さんをからかってると、廊下からカツカツと靴の音が聞こえてきた。騒いでいた連中もピタッと雑談をやめ、教科書を取り出したり机の上を片付けたりと準備を始める。
「(ついこの前までは、先生が来ても気にせずしゃべってたのにな)」
受験が近づいてきたからか、クラスの雰囲気も少しずつピリッとした、受験を皆が意識していることが伝わってくるものになってきた気がする。そんな中、未だに隣の席で頬も耳も赤くして悶えている飾森さんは――皆の息抜きになったようだな。不本意だろうけど。
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その日の夕方――
「せ、先輩? どうしたんですか?」
いつもの図書館の休憩室で頭を抱えてうずくまる俺に、心配そうに瑠美が声をかけてくれるが、
「いや、自分の愚かしさでちょっと絶望して……もう俺はダメだ」
「そんな! えっと大丈夫です、まだあと5日もありますから!」
「あと5日……あああああああああああ」
「せ、先輩が壊れたカセットテープのように……」
「瑠美ってカセットテープを使ったことないよな?」という突っ込みをする余裕は、今の俺には皆無だった。だって、
「なんで世界史のテスト範囲が“今までやったこと全て”なんだよ……」
今日の夕方のHRの時間に配られたテスト範囲表の世界史の欄には、そう一言だけ記されていた。中間試験後に扱ったところから出題されるものだとばかり思っていた俺にとって、予想が外れたのは非常に痛い。
「2年生の頃にやった範囲、正直ニガテなんだよな……」
口を開けば文句ばかり出てくる。そもそも、俺が去年から真面目にやっていればよかっただけの話なんだけどな!
「はぁ……5日間で第一次世界大戦まで……」
「うーん……確かに、歴史科目は覚えること多いから、今から復習を終わらせるというのは難しいですね……」
少し考えるような素振りをしたあと、瑠美は机の上のルーズリーフを一枚とって、俺に見せてくる。
「ただ、考えようによってはチャンスかもしれません」
「……チャンス? どうしてだ?」
「先輩は既に中間テスト以降に授業で扱った範囲については、ある程度テスト勉強をしてましたよね?」
「ああ。そこが出ると思ってたからな」
「おそらく、定期テストですからその範囲の問題が出ないということはないと思うんです。すると……」
そう言いながら、瑠美はルーズリーフにシャーペンで表を書いていく。左の欄に「帝国主義~第一次世界大戦」と、俺が予想していた範囲を記すと、
「先生が受験を意識して定期テストを作っているんだとすれば、ある程度問題のヤマを張ることはできます」
「本当か⁉」
「たぶん、ですけどね。キリスト教の歴史、ルネサンス、明や清の時代の中国史、イスラーム国家と十字軍の遠征……入試で頻出な範囲なので、このあたりを復習しておくだけでも点数は変わると思います」
そういって、ルーズリーフの表に俺が勉強して置くべき範囲を書いて、右の欄には日付を書いてくれている。なるほど、5日間しかないから「いつ」「どの範囲を勉強するか」は予め決めておかないとな。
「で、チャンスってのはどういうことだ?」
「定期テストの勉強が受験勉強になるんです。悠馬先輩、去年受けた定期テストの問題用紙って持ってますよね?」
「ああ、たぶん家にある」
「それをもう一回解き直してみることで、昨年勉強したことがまるまる復習できちゃうんです!」
確かに。そう考えると、全部が範囲に指定されているのもそんなに悪いことじゃないように思えてくる。
「すると、去年の1学期の中間試験はこの日で……学年末は日曜日に終わらせて……」と俺のためにスケジュールを引いてくれている瑠美を見ていると、どうしても今日の昼休みのことが思い出される。今の瑠美は、いつも通りで特に変わった様子はないが――
「(気にしてないわけないよな)」
言わなきゃ伝わらないこともあるんだ。うじうじしてたって仕方がない。定期テスト勉強と一緒で、な。




