Ep.3 はじめての中間テスト⑤
「なんだったんだろうな、さっきの……」
俺は、最寄り駅から自宅への道のりを一人で歩いていた。頭の中では先ほどの駅前での一幕が何度も再生されている。
あの後、「あやちゃん」と呼ばれていた女子高校生は、「やっば、早く行かなきゃパフェ売り切れちゃうじゃん!」と唐突に会話を切り上げ、去り際に「るみー? また今度、皆で遊ぼうねー?」と一方的に言い残してその場を去っていった。俯いたまま、顔を上げない音羽さんを残して。
「昔の友達……ってことはないだろうな、あの様子だと」
少なくとも、「あやちゃん」から音羽さんに対する友情―気遣いや思いやりといったものは一切感じられなかった。むしろ、積極的に音羽さんが嫌がるようなことを言おうとしていたようにさえ思われる。
「「音羽先生」、ねぇ」
あのとき、彼女は確かにそう言った。初めて会った日、俺も音羽さんに対して同じ発言をしたが、そのときとは訳が違う。あれは、間違いなく彼女を傷つけることを、トラウマを攻撃することを目的としていた。
(音羽さんが「先生」って呼ばれて泣き出したのは、もしかしてあの子が……中学校時代に何かあったのか?)
「あやちゃん」は音羽さんのことをビッチと言っていた。でも、毎日のように会っている俺相手でさえ未だにあわあわしている、あの音羽さんが男性関係にだらしがないなんてことがあり得るだろうか? 少なくとも、にわかには信じがたい。
結局、彼女が帰った後に音羽さんと会話らしい会話はできなかった。何と声をかけたらいいか分からなかったし、彼女自身も話しかけて欲しくないという雰囲気だったから、無理に会話をしようとは思わなかった。駅前で別れるときも「またな」と言ったら、弱弱しく頷いてくれただけだった。
考えごとをしていると、家の目の前まで帰ってきていた。
「ただいま-」
ドアを開けて靴を脱ぎ、自室に荷物を置いてから居間に向かう。ちょうど父親たちは夕食を食べ終えたところだったらしい。母親が食器を洗う音と、父親が見るテレビの音声が聞こえてくる。
「あら悠馬お帰りなさい。なんか食べる?」
「あれば野菜とご飯くらい欲しい。……ん? 汐音は?」
「あー。しーちゃんなら食べ終わったらさっさと部屋に戻ったわよ。学校の宿題でもやってるんじゃないかしら」
そっか、と返事をしつつ、別に用事があったわけではないのでこの話題はそれっきりになる。母親がマカロニサラダと白米をよそってくれている傍らで、俺はスマホを開いて溜まっていたメッセージを確認していく、が特に重要なものは来ていない。
ふぅ、と一息ついて再びスマホの画面に視線を戻すと、画面の端には音羽さんとのトーク画面が映っていた。開くと、俺が別れた直後に送った「今日もありがとう。パフェ、美味しかった。来週もまた頑張ろう」というメッセージの横には、まだ既読のマークがついていない。
見ていないのだろうか、それとも……
「もうできるわよー」
「ああ、了解。ありがとう」
食事中のスマホは行儀が悪い、という両親の考えにより、我が家の食卓では電子機器類は一切使用禁止だ。部屋にスマホを戻しに行く途中、もう一度画面を確認したが、通知欄は更新されていなかった。
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「どうしたもんかなぁ」
「お、どうしたんだよ悠馬。恋患いか?」
ゴールデンウィーク明け久々の授業は、それはそれはかったるいものだった。しかも一限は英語、つまりあの「公開処刑人」小川先生の授業なのだ。
だが、そんなことは今はどうでもいい。俺はもっと重大な問題に直面しているのだ。
「音羽さんからの返信が昨日の夜から来ないんだけどさ、俺何かやらかしたかな」
「…………………」
深く考えることなく、偽りなき俺の悩みを打ち明けたにも関わらず、ハルトの表情はジトッとした視線をこちらに向けている。
「な、なんだよ」
「いいやー別にー? ゴールデンウィークもメッセージのやり取りをするなんて、お二人は大層仲がよろしいようだな、っと思ってさ」
「ったく、時間の問題かねぇ、これは」などとよくわからないことを呟いている。
(まぁ、放課後に図書館に行ったら会えるよな)
と一瞬思ったが、半日以上時間が経っているのに既読すらつかないというのは、今までには無かったことだ。体調でも崩してるのではないか、と昨日の帰り際の様子が思い出され、心配になる。
「……ん? 悠馬、アレ件の音羽さんじゃねえか? 今廊下通り過ぎた金髪の子」
「!?」
ハルトが指さす方向を見ると……ほんとだ、音羽さんが急ぎ足で俺たちの教室沿いの廊下を歩いている。
次の授業まではまだ5分以上時間があるし、彼女と俺では足の長さが違うから、追いかければ余裕で間に合うだろう。ただ、既読のつかないメッセージや昨日の出来事を思い出すと、椅子から立ち上がるべきかどうか迷った。
「……いや、後でいいか。急ぎの話では無いし」
「お、おう。そうか……」
やや引き攣った笑みを浮かべるハルト。「後って何だ……? コイツ、学校一の美少女と自分が無茶苦茶お近づきになってるって自覚あんのか……?」とかなんとか呟いていた気がするが、良く聞き取れなかった。聞き返そうとするも、授業の予鈴がなってしまったので、有耶無耶になってしまう。
昼休みに、そして放課後になる度にスマホは確認したが、音羽さんの既読が付く気配はない。
そして、放課後の図書館にも、彼女の姿は無かった。
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「ただいま……」
玄関から一応声をかけてみるが、反応はない。唯一の家族である父親が、今は勤務中だから、当たり前か。もっとも、家にいたところで「おかえり」なんて言葉をかけてくれるとは思えないけど。
自室に入って鞄を肩から下ろすと、すぐにベッドの上に大の字になって転がった。「はしたないわよ、良いレディになりなさい」と言っていた母親が見たら、なんと言うだろうか。悲しむ? 呆れる? どっちだろう。
今日は、どうも体調が優れず勉強をしようという気になれなかった。日課の図書館にも行かず、早く帰ってきてしまったが、皐月先輩はどうしてるだろうか。
「……あっ」
何気なく鞄に入っていたスマートフォンを取り出すと、LINEの通知何件かが来ていることに気づく。
(そういえば、昨日の夜から開いてなかったんだった)
昨日は、散々な……ううん、とっても楽しい一日だった。いつものように、私が楽しいからお手伝いしていただけなのに、先輩は私のことを気遣って、前から気になっていたパフェを一緒に食べに行った。貴重な時間を奪っている罪悪感はあったけど、先輩も楽しそうにしていたし、良い息抜きになってたら嬉しいな、と思う。
(でも、まさかあやちゃんがこっちに来てるなんて……)
思い出したくもない中学校時代のことが、彼女に会っただけでフラッシュバックした。いや、彼女は意図的にフラッシュバックさせてきたように思える。それも、皐月先輩の前で。
「どうして……?」
思わず思いが口に出る。
今の彼女との関係は、「友達」と呼べるようなものではないだろう。少なくとも、向こうは私を友達だと思っていないに違いない。でも、中学校に入りたての頃は、きっと本当の友達だったはず。何で? 何が悪かったんだろう?
考えても考えても、思考はまとまらない。私は手に持ったスマートフォンをぎゅっと胸に抱いて目を閉じた。




