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先生って呼ばないでくださいっ!  作者: 矢崎慎也
第1章 俺、どうやら受験生になったらしい。
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Ep.2 勉強場所を確保せよ!⑥



「俺が? 予備校に?」

「はい。兄さんの周りの人も、そろそろ予備校に通い始める時期ではないのかな、と」



 驚いた。ちょうど今日の放課後、ハルトから「予備校の体験に来てみないか」と提案を受けたばかりである。だが、彼女にそれがバレないよう、俺はなんとか誤魔化せないか試みた。



「まぁ、確かに通い始める人も増えてるみたいだな。だけど俺は」

「兄さん、私に遠慮して『俺は通わないでおこう』なんて考えていないですよね?」



 ギクリ、と今度は思わず顔に動揺が出てしまった。「やっぱり……」と汐音が呆れたようにため息をつく。どうやら、妹君に俺の考えはスルッと丸ごとお見通しだったようだ。



___________



 誤解のないように言うが、俺たちの家庭は決して貧乏ではない。



 もちろん、食べるものに困ったことは今まで一度も無かったし、俺も汐音も誕生日とクリスマスのプレゼントは毎年欠かさずもらえていたくらいには豊かだった。



 ただ、今年に限っていえば我が家の経済状況はかなり厳しい。不況のあおりを受け父親のボーナスが大幅に削減されたばかりか、高校3年生の俺と中学3年生の汐音は、二人とも受験の年なのだ。



 つい先日「予備校の費用どうしようかしら」「できる限りローンには頼りたくないよな」「おばあちゃんたちに事情を説明して少しの間借りるとか……」「額が額だし、うちの家庭の事情で両親たちに迷惑はかけるべきじゃないだろう」などなど、深夜に母親と父親が声を潜めて相談していたのを、俺も汐音もこっそりと聞いてしまっていた。



 両親は口にこそ出していないが、家計を考えると俺か汐音のどちらかには塾・予備校通いを諦めてくれると助かる、というのが本音だろう。



「兄さん、この際だからはっきり言いますが私は塾に通うつもりはありません。この前の模試の結果も、白河に受かるには十分すぎるほど余裕がありましたし」

「お前、本当に白河を受けるつもりなのか?」

「ええ。可愛い妹が自分と同じ高校を受験しようとしてるんですよ? 兄さんはもっと喜んでくれて……」

「へぇ。じゃあ一昨日、居間の机の上に放置されてたあの学校紹介パンフレットは誰がチェックを入れたんだろな」

「あっ……兄さん、勝手に見ましたね? あんな所に置きっぱなしにしてた私も悪いのですが」



 ご丁寧にも岡里高校・・・・のページのところに付箋がつけられ、募集要項にラインマーカーが引かれていたのはしっかり確認していた。岡里高校は、白河高校よりも偏差値が5ポイントほど高い、県内でトップクラスの進学校だ。



 汐音が恨みがましい視線を向けてくるのに構わず、俺は話を続ける。



「汐音。お前ほんとは岡里に行きたいんだろ? あそこは塾を使わずに合格できるほど甘くはないんじゃないか?」

「……兄さんには関係のないことです。そんなことより、兄さんが浪人しないかの方がよっぽど心配するべきことだと思うのですが。知ってますよね? 一年浪人すると、だいたい100万円から150万円ほど予備校につぎ込む必要があるんですよ?」



 だから兄さんが予備校に行くべきで、自分は塾なしでも構わないと、汐音は一向に自分の主張を曲げない。



 だが俺も、「ありがとう。それじゃあ遠慮なく!」なんて言うつもりはさらさらない。



 汐音は非常に良くできた妹だ。勉強についても、その他の面でも。そんな汐音が自分の志望を諦めてまで塾に通う権利を俺に譲るなど、兄としてのプライドが絶対に認めない。



 しかし、二人の話し合いはこのままでは平行線で、いつまで経っても解決しないだろう。もし両親が子どもたちのこんな会話に気づいたら、「家計のことは2人とも心配しなくていいから!」と、多少の無理をしてでも俺たちに塾通いをさせようとするに違いない。



 それだけなんとしても避けたい、と考えていた俺は一つの案を思いついた。



「汐音、やっぱり、塾にはお前が通った方がいいと思う」

「はぁ……兄さん、さっきの私の話を聞いてました? 私は別に」

「とりあえず聞けって。いいか。俺は今、特別行きたいと思ってる大学はない。それにな、ハルトのことは知ってるだろ?」

「兄さんの友達のことですよね? あの顔立ちだけは整っている」

「……うん、まぁそうだ。そいつだ」



 友人への思わぬ辛辣な評価に、一瞬言葉が止まったが構わず続ける。すまんハルト。



「あいつの通っている予備校がな、体験期間を設けているらしいんだ。俺はその期間に無料で講座を受講して、なんとか勉強方法だけでも身につけてくる。それで、最終的には自分の学力でいける一番上の大学を受験するつもりだ」

「でもそういう無料の体験って、終わった後の勧誘がかなりしつこいって聞きますが……」

「ああ。だからもし俺が勧誘に負けた時は、申し訳ないけど予備校に行く権利は俺に譲ってくれ。でも、俺が全部の体験講座を終わらせて入塾を断ることができたら、代わりに汐音が塾に通うんだ。体験期間はどんなに延びてもゴールデンウィーク明けまでだから、1学期の中間テストには間に合うはずだ」



 なるほど、と汐音は考えるような、それでいて面白がるような表情を浮かべた。こいつは昔から勝負事が大好きだからな。こういう一種の「賭け」のような形を取れば、きっと乗ってくるに違いないと思ったんだ。



「流されやすい兄さんに、プロの営業マンの勧誘を断るなんてできますかね? いいんですよ、そのまま入塾してしまっても。私は兄さんと違って自分の力でもなんとかできますし」

「そう言っていられるのも今のうちだぞ。可愛い妹のためだからな、どんな勧誘だって防ぎきってみせるさ」



 少し芝居がかった口調でそう言うと、可愛い妹、のあたりで汐音の表情が微妙に歪んだ気がしたが、たぶん気のせいだろう。にやけそうになるのを必死に隠そうとしたように見えなくもなかったが、瞬きのうちにいつものツンとした表情に戻ってしまっていたので、勘違いだと自分を納得させる。



 ひとまず話も終わったので、汐音は「夜ももう遅いですし。今日はこの辺りで」と妙に慌てて自分の部屋に戻っていった。



 俺はベッドの上に転がり、寝る前にLINEやメールのチェックだけはしておこうと、スマホを鞄から取り出してスリープを解除する。



 スマホを開くと、「おとわ」というアカウントから何かメッセージが送られてきているのが見えた。次の瞬間、それが音羽さんからのメッセージであることに気づき、急いでトークルームを開く。



 そこには、「音羽です。今日はありがとうございました。これからよろしくお願いします」というシンプルなメッセージと、それとは雰囲気が全然違う、可愛らしいあざらしがピースサインをしているスタンプが残されていた。



 どう返信するか迷ったが、「こちらこそありがとう。よろしくな」と無難なメッセージを書き込み、迷ったすえに自分が持っている中では一番女子受けが良いであろう、デフォルメされたクマが「よろしく!」と言っているスタンプを押した。



 30秒ほど画面を見ていたが、既読のつく気配はない。悠馬はスマホの電源を落として充電器につなぎ、部屋の電気を落として睡眠の姿勢をとる。



 相当疲れていたのか、1分もしないうちに、悠馬の思考はまどろみの中に溶けていった。


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