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先生って呼ばないでくださいっ!  作者: 矢崎慎也
第1章 俺、どうやら受験生になったらしい。
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Ep.2 勉強場所を確保せよ!④



『もう間もなく閉館致しますので、皆様、お帰りの準備を始めてください』



 館内放送を通じたアナウンスが流れ、退出を促す静かな音楽がスピーカーから聞こえてきた。



(うわ、もう閉館の時間なのか! 結局国語の復習までは終わらなかったかぁ)



 俺は机の上に広げていた世界史の参考書と模試の解説冊子を鞄にしまいながら、結局手付かずになってしまった国語の問題を名残惜しく見つめる。



 椅子を元の位置に戻し、ふと音羽さんがいたはずの方向を見ると、皆が帰りの支度を進めている中一人だけ、一定のペースでシャーペンを動かし続ける彼女の姿があった。



(こんなに周りがガサゴソしてるのに、まさか気がついてないのか!?)



 イヤホンをしている訳でもないのに。物凄い集中力である。俺なんて、目の前のおっさん(お兄さん?)が不幸せそうな溜息をつく度に思わず顔を上げてたくらいだ。



 とはいえ、このままだと閉館作業の迷惑になってしまう。俺は彼女の方に近づき、彼女の左後ろあたりから「音羽さん、音羽さん」と小声で呼び掛けてみた。……反応なし。



 やむを得ない。右手で彼女の肩口をポンポン、と軽く叩くと、ようやくこちらを振り返りハッとした表情をした。慌てて時計を見て事態を理解し、音羽さんはあわあわと片付けを始めた。



 彼女の準備が整うのを待って、二人で一緒に図書館の外へ出た。やはり4時間近くも室内にこもっていると、外の空気が美味しく感じる。深呼吸をして脳に十分な酸素を送り込でみる。なんだか気持ち良い。



「あの、先輩!」



 歩きながら、音羽さんがこちらを見上げて俺のことを呼んだ。



「ん? どうかしたか?」

「えっと、……そういえば、今日は勉強の方ははかどりました、か?」

「宿題はちゃんと終わらせたぞ。模試の方も……苦戦はしたけど、世界史は終わらせた。一応」



 最後の「16世紀に行われた各国における宗教改革の様相」を書かせる問題は、200字も書かなくてはならないのが大変めんどかったため、後回しにした挙句中々取り組む気になれなかったんだが……まぁ、なんとかなっ



「そうですね! 最後の記述問題は「だれ」が、「何年ごろ」に「どんな方法」で宗教改革を成し遂げたかを理解できているか確かめる、なかなかの良問だったと思います! 文字数的には、最初に『スイスでカルヴァンが予定説を唱えて神権政治を行った』ということから書き……」

「ストップ、音羽さんストーップ!」



 俺が心の中で「なんとかなった」と言い終わるよりも早く、気が付けば音羽さんは「あの」眼鏡を装着し、俺が苦戦していた記述問題の解説を始めていた。なぜ俺の心が読めたんだ。っていうか、



「なんで去年の2年生向けの模試の問題知ってるんだ? まだ音羽さんは1年生だったはずじゃ……」

「学校の先生に頼んだら、なんともらえてしまいました!」



 嬉しそうに、鞄から俺が持っているのと同じ問題を取り出す音羽さん。先生、それ無断譲渡禁止って書いてあるんですけど、いいんすか……



「えーっと、とにかくもう大丈夫だ! この問題については自分でちゃんと理解した!」

「……本当ですか?」

「あぁ、本当だ」



 訝しげに俺の目をじーっと見てくる音羽さん。先ほどまでの、おどおどしていて目を合わせるなんてとんでもない!といった様子だった彼女はどこへ行ってしまったんだろう。



 大丈夫だ(たぶん)と、俺はじっと彼女の目を見つめる。音羽さんの解説を聞いてみたい気はもちろんするが、時刻は既に9時を回っている。音羽さんは女の子だし、これ以上連れ回すのは良くないだろう。



 というか、なんかこれ、端から見たらすごい構図なんじゃないか? 夜に高校生の男女が無言で見つめ合っている。まるでこれから何かをしようとしている予備動作プレモーションような……



「ならよかったです」



 そう言って、先に目線を外したのは音羽さんだった。その声が心なしか残念そうに聞こえたのは、俺の勝手な思い込みだろうか。



 かけていた眼鏡をブレザーの内ポケットから取り出した薄い眼鏡ケースに入れ、再びポケットにしまう。その直後、突然彼女は両手で顔を覆い、頭を左右に小刻みに振った。頭の動きと併せて、一つに結ばれたブロンドの髪が夜の闇を背景に舞い踊る。



「お、音羽さん……?」



 まさか、また彼女を泣かせてしまったのではないか、と俺は不安になった。でも、今度は特に失言はしてないはずだし……



「……いえ、……その……もういっそのこと、消えてしまいたいですぅ…………」



 彼女は泣いてはいなかった。その代わりに、両手で隠しきれない部分から除く、耳元や額は羞恥で朱色に染められていた――



___________



「少しは落ちついたか?」

「……はい、先ほどは見苦しい真似を……」

「いや、それは全然大丈夫だから」



 大学の正門を出て、すぐのところにあるベンチに二人は腰を下ろしていた。音羽さんが落ちつくのを待つためだ。



 放っておけば、いつまでも謝り続けそうな音羽さんをなんとか立ち直らせようと試み、その甲斐あってか、今は少し落ち着きを取り戻したようである。顔の赤みも、今は普段とほとんど変わらない。



「……昔から、そうなんです。周りの人が勉強関係の話題で困っていると、そこまで仲良くない人でも、その、すぐ体が動いちゃって」

「だから、あんなに説明が上手だったのか」

「あはは……褒められたことじゃ、全然ないんですけどね」



 そう言って音羽さんは苦笑する。



「だから、高校では出来る限りその悪い癖を出さないようにしよう、と思って。小学校の頃からずっとかけていた眼鏡を外すことにしたんです」

「眼鏡を?」

「っ、はい。なんだか、眼鏡をかけていると、自分の心が少し強くなった気がして……知らない人に勉強を教えるのも、全然へっちゃらだったんです。眼鏡をかけてない私は、その、あまり人とお話しするのが得意ではないんです……幸い、普段の生活を送る上で困るほど目が悪くはなかったので」



 やはり、あのおっかなびっくりとした様子の音羽さんこそ、彼女の本当の性格だったのか。というか、あの眼鏡は音羽さんなりのマインドセットだったんだな。「これをつけているから大丈夫、私は強い」と思える、心のお守りとも言えるだろうか。



 音羽さんの説明を聞いて、に落ちたような、逆に新しい疑問が浮かびあがってきたような、そんな気がした。



 前に英語を教えてくれたときや、今さっき世界史の解説をしようとしてくれた時、たしかに俺は勉強について「困って」いた。それを察知した音羽さんの「悪い癖」が発動してしまったのだろう。



 でも、そもそも彼女の「異常」なクセはどこから来たのか。



 勉強関連の話題があるとすぐに食いついて説明をするなんて、彼女には失礼だが、どう考えても普通ではない。また、前回俺が「先生」と呼んだときにトラウマがフラッシュバックしたかのような反応を彼女は見せたが、それは彼女が眼鏡を外したのと何か関係があるのではないか。



 気にはなる、でも深掘りが許されるほどの親密な仲ではない俺としては、どう反応したらいいか分からない。ただ、これだけは誤解を招かないように伝えておこうと思い、俺は体を音羽さんの方に向けた。



「さっき、世界史の解説をしてくれようとしてたんだよな?」

「っは、はい。その、なんというか……すみま」

「いや、責めてるんじゃないんだ。実際、音羽さんの説明はすごくわかりやすいだろうし、聞いてみたい気持ちもある。でも、もう時間が時間だろ? あんまり夜遅くに女の子が一人歩きするもの危ないと思って止めたんだ。まぁ、結局だいぶ遅い時間になってるんだが……」



 腕に巻いてある時計を見ると、間もなく21時半に差し掛かろうとしていた。さすがにこれ以上は伸ばせない。俺は言葉を続ける。



「そろそろ帰ろう。ありがとな、今日はこの場所を教えてくれて」

「っい、いえ!こちらこそ、その、色々とご迷惑をおかけしました」



 少し呆けたような顔になっていた音羽さんは、俺の言葉を聞いて慌ててベンチから立ち上がり、ペコリと頭を下げる。俺は彼女の相変わらずな様子に少し呆れた。



「あのさぁ……いや、性格的に難しいのかもしれないが……あんまり気安く頭を下げない方がいいと思うぞ。」

「っはい! えっと、じゃあ……」



 「ごめんなさい」と「すみません」以外の言葉を探し始める音羽さん。偉そうだったかなぁ、柄にもなく先輩風をふかしすぎたかなぁ、と反省している俺に向かって、彼女はこう言葉を続けた。



「えっと、今日はありがとうございました、先輩」

「ああ、こちらこそ改めてありがとう。……あと、その、俺の名前は皐月だ。3年の皐月悠馬」



 いつまでも「先輩」呼びされているのがなんとなく嫌だったので、俺は彼女に自分の名前を伝える。いや、別にせっかくだし名前を覚えてもらいたいとか、そんな思惑は一切ないからな!



「皐月先輩、ですね。……私は、2年の音羽と申します。音羽瑠美です」



 ハルトから聞いたから知っていたが、彼女の口から自己紹介してもらうのは初めてだ。お互いに名前を知り、でもその後に何を言い出すわけでもない、しばしの沈黙が訪れた。



 早く彼女を家に帰したいと思っているはずなのに、もう少しだけ話しをしていたいと思う自分もいることに気づき、なんだか落ち着かない気分だ、と俺は胸の中でつぶやいた。

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