人形の夢
夢を、見た。古ぼけた洋館で、老人と出会う夢。少し薄暗い部屋の中で、老人は何かを作っては捨て、作っては捨てを繰り返していた。
「……勿体無い」
その老人は、出来損ないと判断した人形はその辺に捨ててしまっているようだった。
「おや、君は……?」
老人がこちらに気づいたようで、不思議そうな顔をした。まるで、ありえないものでも見ているかのような夢だ。
「この人形、捨てちゃうんですか?」
「ああそうだとも。人形はね、放っておくと魂が宿ってしまうから、その前にお疲れ様って供養してあげないといけないからね」
彼はすぐにこちらの事情を察したのか、あまり深く尋ねてくるような事はしなかった。
「わしはこうして何年も人形を作っておるが、どうしても思った通りのが作れなくてな。せめて、その失敗作は自分の手で弔ってやろうと思っておるのじゃ」
「こんなに良く出来てるのに?」
「ああ、そうとも」
足元に転がってきた人形を拾い上げる。それは非常に良くできていて、遠目から見ればただの女の子にしか見えない。しかし、こうして拾い上げて見ればただの人形にしか見えない。
「死んだ娘に会いたい。たったそれだけで人形を作り上げた哀れな老人。それがワシじゃよ」
老人は自嘲するようにそう言った。
覚えているのは、それだけ。少なくとも夢であったと今では思っているが、本当は夢じゃなくて昔の記憶なのかもしれないと疑っている自分もいる。
でもその答えは出ないのだろう。何故なら、どこからが夢で、どこまでが現実なのか、それを証明する手立てなんてないのだから。
「……ボツ」
部室棟にある『演劇部』と下がった部屋の中で、一人の少女の声が響いた。彼女の前には、おどおどとした雰囲気の少年が立っている。
「もうちょっとパンチが欲しいわね。こう、もうちょっと」
そう言って彼女が放り投げたのは、台本の草案だった。ジャンルは恋愛もの、演者は志願者を募ってやるという条件で、行う予定だ。
「でも先輩、前回言われたことを直したんですが……」
「確かに前回は主人公が猪突猛進すぎて、イライラするって言ったけど、主人公がこんなヘタレじゃ、面白くないわ」
彼女は演劇部の部長である鳥羽 風香。2人しかいない演劇部だが、腐っても部長なのだ。
「いい?観客をあっと驚かせるような展開じゃないと、ウケないの。あなたもクリエイターの端くれなんだから、もうちょっと引き寄せるってことを意識しなさい」
部長に指摘され、台本を書いた少年、蓮沼 悠斗はその場を後にした。こうして書き直しを食らったのはもう何度目になるだろうか。彼女の演劇に対する熱意は本物で、別に意地悪をしているわけではないというのが始末に負えない。
「……はあ」
自分には才能がないのかもしれない。そう思って帰るのは何度目になるだろうか。部長と一緒に台本の手直しをしていたら、もう日が暮れようとしていた。
家に入ろうとしたその時、ふと視界に、見知らぬ人影が目に入った。悠斗が歩いてきた方向とは逆方向にある、少し急な短い坂の上に誰かが立っていた。
まるでその人物の周りだけ、まるで世界から切り取られたかのようなそんな違和感を感じたのだ。
「……誰?」
思わず悠斗はその人物に声をかけてしまった。沈みかけた夕焼けに照らされてよく分からなかったが、それが少女であることはシルエットで分かった。
「私?私は、美花。鹿月 美花。あなたは?」
少女は声をかけられて、あっさりと答えを返してきた。特にこちらを不審がる様子さえない。
「蓮沼、悠斗、です……」
「そう。悠斗くん、ね。ねえ、ちょっとこっちに来てみない?」
美花に手招きをされて、彼女の隣に立つ。普段は来ない場所なので、見たこともない景色に圧倒された。
「どう?綺麗でしょ?」
美花は少し嬉しそうな表情で、こちらを見ている。
暗がりで不鮮明だった、美花の顔もここまで近づけば、ハッキリと見える。
彼女の顔を見て、悠斗は唖然せざるを得なかった。
何故なら―――
「……と!悠斗!」
ふと声をかけられて、我に返る。目の前には、幼馴染の猪瀬 恋歌が退屈そうな表情で立っていた。
「ああ、ごめんごめん。ちょっとぼうっとしてた」
一瞬何をしていたのか忘れてしまったが、すぐに思い出せた。今、彼女に宿題を教わっている最中だったのだ。提出が明日までなので、急いで片付けなければならない。
「じゃあ、さっさと片付けるよ」
夕暮れの教室で、2人の声だけが響く。見た目こそふざけているように見えるが、これでも恋歌は学年でも成績は上位に入る。オマケに努力家でもあるので、分からないところはしっかりと教えてくれる。良い幼馴染を持って、悠斗は感謝するばかりだった。
「そういやさ」
宿題が一段落したところで、恋歌が話題を切り替えてきた。
「さっきぼうっとしてたけど、どうしたの?」
「え?ああ……。夢を見てた、のかなぁ?」
「なにそれ、変なの」
悠斗自身、自分が何をしていたのかというのは非常におぼろげである。
「なんかさ、夢なんだけど妙に現実味があったんだよ。俺はそこで演劇部の台本を書いてて、怖い先輩に指導されててさ。向こうが現実なような気もしたし。こっちが現実っていうのは分かってるんだけど」
「へえ、胡蝶の夢でも読んだ?」
「なんだって?」
自分の話を聞いて、恋歌は半信半疑といった風だった。そしていきなり切り出してきた聞き慣れない単語に思わず聞き返してしまった。恋歌は自慢気に解説を続けた。
「昔の中国のお話だよ。偉い思想家の人が蝶になる夢を見て、自分は自分が蝶の見ている夢なんじゃないかって疑うってお話。現実と夢の境目が曖昧で分からなくなったって事」
恋歌の言っていることはよくわからないが、伝えたいことはなんとなく分かる。
「まあ、今見てる現実が現実であるということを証明することなんてできないって言うものね。ちょっと疲れてたのかも。じゃ、宿題の続き、やっちゃおうか」
恋歌はさっさと話題を切り替えて宿題の続きに戻った。こういう切り替えの速さは逆に見習いたいものだ。
そして宿題に取り掛かること数十分後、宿題も無事終わった。下校時刻ギリギリまでかかってしまったので、もう薄暗くなり始めている。
「それじゃ、今日やったとこ忘れないでよ。宿題ばっかできて、テストができませんでしたって悲しすぎるし」
「分かってるって。復習ぐらいしっかりやるさ」
自転車にまたがる恋歌と別れ、悠斗も家路につく。もうすっかり暗くなっているので、少し焦って足取りも思わず早くなってしまう。しかし家の近くの踏切だけは間に合わず、仕方なく待たされることになった。幸い、ここはすぐ開くので大して時間はかからない。
電車が踏切に差し掛かる寸前、突然人影が電車の向こうに現れた。電車が通り過ぎ、踏切が開くとその人物は踏切を渡ってきた。
「こんばんは、渡らないの?」
踏切を渡ってきたのは、美花だった。
「どうして、君が……?」
「なんでって、だって私はそっちに行きたいんだもん」
あり得ない。悠斗が抱いた感想はそれだった。もし仮に彼女と出会ったことが夢であるならば、彼女がここにいないはずなのだから。
「君は、誰なんだ……?」
「私?自己紹介しなかったっけ。私は……」
「そんなことを聞いているんじゃない!俺は、お前の正体について聞いてるんだよ!」
思わず声を荒げてしまった。それも仕方がない、何故なら彼女は―――
人形、だったのだから。
遠目では分からなかった。最初会った時も一瞬だったので確証は得られなかった。しかし、こうして対面してみると分かる。彼女は人間によく似た人形なのだ。
「だって、君は人形なんだろう?」
「そう?私からすれば、君の方が人形に見えるけど」
美花が一回転すると、周囲の景色が一変した。なにもない真っ暗な空間に、色んな映像が浮かんでいる。
ある映像では、演劇部の脚本家。
ある映像では、陸上部の落ちこぼれ。
ある映像では、ただの冴えない高校生。
ある映像では、事故で亡くなった悲劇の主人公。
無数のありとあらゆる映像が浮かんでは消えている。どれも共通しているのは、すべて『蓮沼悠斗』が主人公であるということだった。
「なんだよ、これ……」
「あなた一人だけに絞った可能性の欠片。どれも全部が夢、とも言えるし現実とも言える。実在はしているけど、存在しないとも言える。そこに映っているのは全部あなただけど、あなたであるとも限らない」
美花は悠斗の周りを回りながら説明する。言っていることがあまりにも抽象的すぎて理解できない。この理解できない空間に閉じ込められていると気分が悪くなってくる。
「でもさ、ここまで鮮明な映像にできるってことはさ、こう捉える事もできない?」
美花は背後に寄り添うと、囁くように告げた。
「あなたの方が、誰かが書いたシナリオで踊らされる『人形』じゃない?」
「違う!」
悠斗は思わず美花を振り払い、背後を向く。すると、美花の姿が風香に変わっていた。
「違う?何が?あなたの意志がどこまで自分のものなのかも分からないのに?」
美花の姿が恋歌に変わる。普段の彼女からは想像できないような、妖艶な笑みを浮かべて、こちらを嘲笑っているようにさえ思えてしまう。
「君の言う通り、私は人形。でもあなた達と違って私は自由なの。だってそうでしょう?行動が矛盾して無くても、本来いてはいけないはずの場所にいても、同じ顔をした個体が無数にいても、それらはすべて人形だからの一言で片付けられる。人間でないのなら、どんなに変な行動をとっても変じゃない。むしろ、変じゃない事が普通なの」
美花は元の姿に戻り、悠斗に語りかける。まるでこちらを惑わすかのように。自分の手駒とするかのように。
「私はね、あなたみたいに可愛そうな人を見つけてはね、誘ってるの。私の側に来ない?って」
またしても景色が一変する。そこは、とある洋館の一室のようだった。辺り一面、人形に埋め尽くされた部屋。その一体一体がこちらを見ているようで気味が悪い。
「あなたも人形になれば、この苦しい運命から逃げられるの。何も考えなくていい、自分がしたいように振る舞えるの。良い提案だと思わない?」
この部屋で動いている人形は、美花1人しかいない。しかし、動かない人形が、こっちに来い、仲間になれと誘っているような気がする。
「あなたはこのままだと、苦しいだけの人生が待っているの。だから、このまま全部を忘れて私達の仲間になろう?」
彼女の言葉に、逆らえない。彼女の放つ言葉一つ一つに甘美な毒が塗られているようで、考えるという事ができなくなっていく。
「ふざけるな!」
それでも、悠斗は誘惑に抗えた。あと一歩で美花の言葉に思わず屈服してしまいそうになったが、なんとか振り払うことができた。あのまま美花の言葉を聞いていたら、完全に彼女の操り人形になっていたと思うとゾッとした。
「あら残念。でもますます気に入ったわ。あなたが望めばいつでも仲間に入れてあげるわ」
美花の声が部屋にこだまするだけで、もう彼女の姿は無くなっていた。ただ人形を振り払っただけなのに、冷や汗が頬を伝っている。
どこかで見覚えがあるようで、どこか不気味な人形の部屋。残されたのは、静寂だけだった。
アラームの音で目を覚ますと、いつもどおりのベッドの上だった。特におかしな点はない。いつもどおりの朝だ。
テレビのニュースでは、有名な人形師が亡くなったニュースがやっていた。たった1人で人形を作り続け、部屋には大量の人形が残っていたらしい。その人形師の顔に、どこか見覚えがあるような気がしたが、思い出せない。
「おはよう!どうしたの?何か悩み事?」
人形師の事を考えながら、登校すると恋歌に声をかけられた。先程も、演劇部の部長にもそう言われたばかりだ。彼女はもっとキツい言い方だったが。
「いや、なんでもないさ」
ずっと考えてはいるが、やっぱり思い出せない。すごい心に引っかかって忘れようにも、忘れられない。
「そんなこと言って、風香先輩になんか言われたんでしょ?台本がつまらないーとか」
「そんなのいつも通りだよ」
「えー。じゃあ何?教えてよー。きーにーなーるー!」
恋歌はわざとらしく駄々をこねた。悠斗はどんな言い訳をしてはぐらかそうかと考えていた時、ホームルームの鐘がなった。生徒たちが一斉に席につくと、自分の隣だけ何故か空席になっていた。
「今日は、転入生の紹介からします。入ってきなさい」
ホームルームを始めた担任の教師に招かれ、外で待っていた転入生が入ってきた。転入生は女の子で、整った容姿に男はもちろん、他の女子も圧倒されているようだった。
「え……」
悠斗は、その少女の顔を見て、驚きに包まれた。一瞬、顔が似ているだけの別人かと思ったが、それは違うと彼女の自己紹介が証明してしまった。
「はじめまして。私は鹿月美花です。まだ慣れない部分もありますが、よろしくおねがいします」
美花は軽く会釈をして、担任の指示に従い自分の隣に座った。
「これからよろしくね、”蓮沼くん”」
彼女はこちらを見て、いつか見た、あの妖艶な笑みを浮かべた。
「どうして……。だって、ここは現実で……君は……!」
驚きのあまり、言葉が紡げない。しかし彼女は、何も言わず笑みを浮かべているだけだった。
これが現実の出来事なのか、それともあの人形の夢の中での出来事なのか、それを証明することはできない。何故なら、この現実が誰かの見ている夢ではないと証明することなんてできないのだから。