おばさん、ごめんなさい!
「いいかつぐみ。オレがまず家に入るから、おまえは10分後にチャイムを鳴らして入ってこい。後は手はず通りに頼んだぞ!」
「う、うん。分かった」
二人での帰り道、雨霧はしつこく何度も繰り返し作戦を私に伝えてきた。彼の作戦は、先に私がおばさんに泣いて謝ること。その後、自分も悪かったから怒らないでやってくれと私を庇うように立ちはだかる。そんな感じだった。
本当にこれでうまくいくのかな?
ちょっぴり不安だけれど、魔王に怒られるよりは雨霧のおばさんに怒られる方がいくらかはマシだ。
雨霧の家は私ん家から歩いて10分ほど。小さなアパートの2階にある。錆付いた鉄の階段を上がっていくと、いつもよりも重い足音が響いている。
雨霧も不安なんだ。何かに緊張しているときの彼は、鼻水をすする回数が増えるので良く分かるのだ。
2階の一番奥が雨霧の家だ。少し塗装がはがれた茶色いドアを重苦しい感じで開けて、雨霧が入っていく。
私は閉じられたドアに耳を当て中の様子を探ろうとしたけれど、すぐに思い止まった。そんなことをしたら完全に不審者だもの。
……もう10分経ったかな?
チャイムを押す指が震える。えいっ! どうにでもなれよ!
『はいはーい、ちょっとお待ちくださいねー』
おばさんの声。私はごくりと生唾を飲み込んだ。
カチャリとドアが開く。
「あらあら、つぐみちゃんいらっしゃい――」
「おばさん、申し訳ありませんでしたっ!」
おばさんと目を合わすよりも先に、私の体は玄関先の通路にひれ伏していた。気付いたときには体が勝手に動いていたの。
日笠つぐみ、11歳。人生で二度目の渾身の土下座です!
「つ、づくみちゃん一体どうしたの!?」
「おばさんごめんなさい、とにかくごめんなさい――!」
「うちのバカ息子に何か言われたんだね? 拓巳ぃぃぃ――! こっちへ来なさい!」
どたどたと足音が聞こえる。
「はあーっ!? おまえそんなところで何やってんのおぉぉぉ――?」
はい、何をやっているんでしょうね、私……
「女の子にこんなことさせて、あんたは何を考えているの? 母さんが良いと言うまで部屋に閉じこもっていなさい!」
雨霧はものすごい剣幕で叱られてしまった。
世の中、何でも謝れば許されると思っていた私が馬鹿でした。
「昨夜、拓巳を強く叱っちゃってね。今日はつぐみちゃんを連れて来ることはないだろうと思って、何にも用意していないのよ。ごめんね」
「あっ、いえそんな……あ、いただきます」
こんな日に連れてこられちゃってごめんなさい!
おばさんの出してくれた紅茶を飲む。パート先の仲間にもらったという温泉饅頭も一口食べてみる。
意外と美味しい。
「それで、拓巳には何て聞いたの? あの子のことだから自分に都合の良いように話したんでしょうけど……」
「えっと……部屋の壁紙を汚しちゃったのと、食器の片づけをしなかったから怒られちゃったって。どちらも半分は私のせいなんです。おばさんごめんなさい!」
すると、おばさんは肩をすぼめて、深いため息を吐いた。
「食器の片付けなどで怒るわけないのに……」
「えっ……」
「うち、ダンナと別れたんだよ。だからあの子には家のことを何から何まで手伝ってもらっていてね。だった一度の片付けを忘れたぐらいで怒りはしないよ……あっ!」
どう応えればいいか分からず困っている私に気付き、おばさんは舌を出した。
「ごめんね、つぐみちゃん。あなたと話していると、つい愚痴がこぼれちゃって。ほら、つぐみちゃんって拓巳と同級生とは思えないぐらいお姉さんに見えてしまうのよ」
「あ、いえいえそれは大丈夫ですけど……それでは、やっぱり壁紙の汚れが原因――」
「それも違うわ」
「違うんですかっ!?」
ちょっとめまいがした。
「あの子、最近になってずっと私に隠し事をしているみたいなの。今回の壁紙の傷だって、きちんと原因を話してくれればそれで済んだことなのよ。我が子の不始末は親の責任。だからお金を出して修理すればいいこと。でも、あの子が危険なことをしているのだったら止めなくちゃ。分かるでしょう?」
「は、はい……」
「ねえつぐみちゃん。あの子、危ないことをしていないかしら? 何か知らないかな?」
「えっと……」
息子さんは世界征服を企んでいます。そのために日々トレーニングを積んでいます。私もその仲間です。私たちは魔王の手下なんです。
なんて言えない!
「おばさん……拓巳君は将来の夢に向かって頑張っているよ! 何かは言えないんだけれど……決していけないことをしている訳じゃないよ? だから、拓巳君を信じてあげてください!」
いけないことではなくて完全に犯罪だもの。世界征服なんて……
私はものすごくめまいがした。
「タッ君……入るよ……」
罪の意識からか、ふらふらになった私は雨霧の部屋に入る。
雨霧の部屋は、男の子の部屋とは思えないぐらいにきれいに片付いている。だから、クリーム色の壁紙の引っかき傷と焦げた痕が余計に目立つのだ。
昨日の模擬戦でジャングルステージからこの部屋に戻った直後の一振りが原因だった。私と雨霧の合作の傷。指でこすってみたら、ボロッと焦げた部分が剥がれ落ちた。
「確かに、これを見たらおばさんもびっくりするよね……」
肝心の雨霧は、ベッドの上に体育座りで壁に向かって無言を貫いている。
「ほら、おばさん、あんたのゲーム機を返してくれたよ」
雨霧のそばに取り上げられていたゲーム機本体を置いてやった。
「あんたのこと、本気で心配していたよ。いいお母さんじゃないの!」
「……うん」
雨霧はうなづき、思いっきり鼻水をすすった。てっきり『どこが良い母ちゃんなんだよ!』とか言われると思っていたから、拍子抜けだ。
「ありがとな、つぐみ」
振り向いた雨霧の顔は涙でぐしょぐしょだった。
「じゃあゲーム機も戻ってきたことだし、今からうちに……あっ!」
「ん? どうしたつぐみ?」
私は重大なミスに気付いた。今日はお兄ちゃんは部活がない日だった!




