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お兄ちゃんの部屋


 2階のお兄ちゃんの部屋から変な音がした。


 おかしいな、お兄ちゃんはまだ学校から帰ってきていないはず。私のお兄ちゃんは中学2年生。部活動に入っているからいつも帰りは6時過ぎなのに。


『おかえりつぐみ、冷蔵庫にプリンが入っていますよ』


 これは居間のテーブルに置かれたお母さんのメモ。

 お母さんは近所のスーパーで働いている。

 そう、私はカギっ子なのだ。


 冷蔵庫からプリンを取り出してフタを開ける。あま~い香りがスイーツ女子心をくすぐるわ!


 また2階のお兄ちゃんの部屋から変な音がした。


 私はプリンを食べながら階段を上がる。お母さんに見つかったら『座って食べなさい!』って怒られるけれど、今は一人だからいいよね!  


 2階のお兄ちゃんの部屋のドアが半分開いていた。


 なぜか片目をつぶって覗いているワタシ。変な物を見てしまったら……と想像すると心臓がドキドキするの。


 やっぱり誰もいない。


 お兄ちゃんの部屋にはベッドと勉強机、そしてお父さんからのお下がりのパソコンラックが部屋の隅に置かれている。ちょっと古いタイプのパソコンと液晶モニターが置かれているけれど、お兄ちゃんはあまり使っていないみたい。 


 ベッドにゴロンと横になり、プリンの残りを食べていると、カルメラがこぼれちゃった。手でゴシゴシ拭いたけれど、シーツに茶色いシミが残っている。でも、私がやったってバレなければいいよね!


 ブイーンブンブン……ブイーンブンブン……


「ひゃあ――ッ!」


 慌ててワタシはベッドから飛び起きた。

 下から聞こえた変な音が、間近で鳴り出したのだ。

 これは何かが振動している音。

 

 そこだ!


 パソコンラックのイスを引いて、下をのぞき込む。それ(・・)はまるで誰かに見つかっては困るような感じで、バスタオルが被せられていた。


「プレスト6じゃないの!」


 プレイストライク6は国内で一番売れているゲーム機。父さんにいくらねだっても買ってくれなかったゲーム機がお兄ちゃんの部屋に!? なんで?


 ブレスト6の『6』は定価が6万円という意味。中学2年生のお兄ちゃんのお小遣いで買える値段ではないよね。きっとお父さんに買ってもらったに違いない。しかも私に内緒で!? 


 家族の中で私だけがのけ者にされていたんだ! 私だけがプレスト6が家にあることを知らされていなかったんだ!


 全身から力が抜けて、頬には一筋の涙がこぼれていた。

 

 ブイーンブンブン……ブイーンブンブン……

 

 うるさい! うるさいのよ! 壊してやろうか? ブレスト6を鷲づかみにした。でも、その音は本体から鳴っているわけではなかった。音と振動はプレスト本体のさらに奥に――


「ブレスト専用VR7.5じゃないの!」


 それ(・・)を掴んだまま、気を失いそうになった。


 プレイストライク専用VRゴーグル7.5とは、まるで夢の世界にいるような体験ができるゴーグル。定価が7万5千円のそれは、ワタシの手の中でブンブン振動している。


 これで確定。プレスト本体だけならまだしも、VRゴーグルまであるとなったら、すでにお兄ちゃんのお小遣いを遥かに超えた次元の問題。私はお父さんとお母さんにとっていらない子なんだ。お兄ちゃんだけがこの家にいればいいのね!


 家出してやる! とりあえず同じ通学班の美子ちゃんの家に行こう……かな?


 でも、その前に――


 VRゴーグルをかけてみよう。悔しいけれど、これから体験するバーチャルリアリティーというものに、ワタシは少しだけわくわくしていた。


挿絵(By みてみん)


 頭の上からVRゴーグルをかけると、すぐに振動は収まった。


「お帰りなさいヨシノブさん。今日は何をしましょうか?」


 ゴーグルをかけたワタシのすぐ目の前に綺麗なお姉さんが立っていた。


 すぐ近くには化粧台。そこには色とりどりのお化粧道具がきれいに並べてある。その奥に見えるのはふわふわなハート型のクッション。ピンクとうす緑色のクッションが並んでいる。


 白いベッドの奥には窓があり、ピンク色のレースのカーテン越しに外の景色が見えている。2本の木がゆらゆら揺れている。

  

 そう、ここはお姉さんの部屋。その中心に水玉模様のワンピースを着たお姉さんが立っている。そして、お兄ちゃんの名前を呼んだのだ。 


「お帰りなさいヨシノブ さん。今日は何をしましょうか?」


 お姉さんがまた同じことを言った。

 何をしましょうかって……

 一体何をするのだろう……


 ワタシが困っていると、お姉さんは首を(かし)げた。そして、


「お帰りなさいヨシ――」

「ちょっと待ってぇー! ワタシはお兄ちゃんじゃないのよ!」


 お姉さんの言葉を遮って声をかけたけれど、またお姉さんは同じセリフを繰り返した。

 

 ……これ、VRゲームの中だもん。

 お姉さんにワタシの声が届くわけないもんね。


 それにしてもお兄ちゃんはこのゲームの中で何をして遊んでいるのかな。トランプ……とか?


 ワタシが首を(かし)げると、お姉さんも首を傾げた。


 お姉さんの顔をよく見ると、お姉さんのおでこに赤い光が点いている。

 その光の点を見つめると、すぐ近くの空間に緑色のドーナッツのようなマークが出現した。それが時計回りに少しずつ赤い色に変わっていく。


 お姉さんの左側の空間に、大きな文字が出現した。


『VRお姉さん~今日は何をしようかな?~』


 それはワタシのぼんやりとした予想が確信に変わった瞬間だった。


 お兄ちゃんはこのゲーム空間で、お姉さんと毎日のように遊んでいたのだ。最近、自分の部屋にこもってばかりいて、楽しみにしていたはずのテレビ番組も見に来ないのは、お勉強のためではなかったのね!


「ヨシノブさん、今日はどのメニューにする? じっくり選んでいいのよ。私は何でもしてあげるよ?」


 にこにこ顔のお姉さんが、手のひらを上に向ける。すると、緑色の黒板みたいな物が『ぽよ~ん』という効果音と共に出てきた。

 

 ……えっと。


 4番めの【夜のレッスン】ってなにかしら?

 

 もし、ワタシの想像が当たっていたらお兄ちゃん、あなたは犯罪者だよ? でも、まさか……そんなことはないよね?


 ワタシがお口をアワアワさせて動揺している間に、視線が思わず【夜のレッスン】に合ってしまったようだ。緑色のドーナッツマークがぐるぐると赤に変わっていった。


「それが……いいのね?」


 お姉さんの表情ががらりと変わった。

 お姉さんは目を細めて、『ふふん……』と口の端を上げていた。

 

「だめぇぇぇ――――ッ!!」


 ワタシは叫ぶと同時にVRゴーグルを頭から外した。 



  

 ここはお兄ちゃんの部屋。

 パソコンラックの前でお尻をつけてしゃがんでいるワタシがいる。

 額から汗が流れ、心臓が激しく動いている。

 

 ゲームの中のお姉さんは水玉模様のワンビースの肩に手をかけ、それから……ピンク色の下着が見えて……


「お兄ちゃんのエッチィィィ――――ッ!!」

 

 ワタシは天井に向かって叫ぶ。

 このやり場のない感情はなんだろうか?


 いやらしい!

 汚い!

 不潔!

 お兄ちゃんは犯罪者!


 あれ? ちょっと待って。

 お兄ちゃんはもう中学生だからいいんだっけ?

 中学生は大人……だから……??


 なんて思う訳ないでしょう!




「消してやる!」




 ワタシはお兄ちゃんの妹。

 お兄ちゃんを正しい道に導くのは妹のワタシの使命。


 ゲームの消し方は何となく知っている。【設定】から【削除】すればいいのよね。使わないアプリは削除しなさいって、総合的な学習の時間に山口先生も言っていたもの。


「ヨシノブさん、急に部屋を出て行ってしまってどうしたの? 部屋を出て行くときはちゃんとミルクに言ってよね!」


 VRゴーグルを装着すると、お姉さんが怒っていた。

 お姉さんはミルクって名前らしい。

 もしかして……お兄ちゃんがつけた……の?


 ううん、今はそんなこと気にしちゃだめ!


 水玉模様の左肩だけがはだけている半端な姿のミルクさん。その額をじっと見つめるワタシ。


「ヨシノブさん、今日はどのメニューにする? じっくり選んでいいのよ。私は何でもしてあげるよ?」


 お決まりのセリフを読み上げる、にこにこ顔のミルクさん。

 半分だけ肌を露出させた姿で言われると違和感が半端ない。


 ミルクさんが出してくれたメニューから、【設定】を見つめる。

 すると、メニュー画面が切り替わって――


 出た! 【アプリを削除】よ!


 ワタシはそのコマンドを見つめる。

 すると、ミドリ色のドーナッツマークが出現して――


「あなたは本当にそれでいいの?」


「えっ!?」


 ミルクさんが祈るようなポーズで言ったので、思わず彼女の顔に視線を移す。赤くなりかけていたドーナッツマークが消えてしまった。


 ワタシはもう一度トライする。

 ミドリ色のドーナッツマークがクルクル回転しながら赤く――


「ミルクとのあま~い夜のこと、忘れちゃった……の?」


「えっ!?」


 顔の前で両手を絡めながら、横を向いていたミルクさんはちらっと視線を送ってきた。ほんのり頬を染めて。


 また振り出しに戻った。


「それがあなたのやり方なのねぇ――!」  


 ワタシは思わず立ち上がって叫んだけれど、もちろんミルクさんには伝わらない。頬を染めた顔のままで、じっとワタシを見つめている。


 次でキメてやるわ! もう惑われされたりしないんだからね! そもそもミルクさんはワタシがお兄ちゃんだと思っているんだ。なにこの気持ち悪い感情は。 


 ワタシは三度目のトライに入る。修行僧になった気分で。


「本当に、本当にあなたはそれでいいの?」


 ミルクさんは全身を使ってワタシを惑わそうと仕掛けてくる。でもワタシは負けない。これは負けられない戦いなのだ。


「またいつか、あなたに会える日を楽しみにしています。今まで本当にありがとう。お元気で……」


 ミルクさんは最後にそう言い残して消えていった。


 ワタシの心は戦いに勝った喜びよりも、寂しさの方が(まさ)っていた。こうしてワタシのVR初体験は幕が下ろされた――はずだったのだけど――


 真っ暗な空間に(たたず)むワタシの目の前に、大きな白いスクリーンが出現したのだ。



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