第40話 孤児院での再会/リチャードの忘れ形見
イグニスの母マーサは、かつて聖ヴァナルガンド教会孤児院で働くシスターだった。彼女は5年前、セイレンでの内紛が激化する前にセントラルでイグニスを生んだ。
それから、内紛が収まる2年前まで、セントラルの大商人カルカゴ・マクルーガー氏の保護の元で生活していた。
2年前に孤児院に戻ってきたマーサは、孤児院の移築に協力した後、正式にシスターを脱却したのだった。
今ではサベッジ村役場の受付のお姉さんとして、村人たちから親しまれている。
「イグニス!いつもいつも修練を抜け出してシスタークロエに迷惑をかけて・・・ママは、ママは悲しいわ!!うわーん!!!」
村人に親しまれる役場の受付のお姉さんも、職場を離れれば一人の母親である。イグニスが生まれて5年、女手一つで育児に奮闘してきたマーサはすっかり面倒くさくなっていた。
「ママうるさい。ルーカス、剣を教えてよ」
泣きじゃくる母親を尻目に、5歳児は国の英雄に剣技の教えを請いていた。
「よーし、いいぞ。やろうやろう」
かつての恩師のあられもない姿を見たくないのか、ルーカスも乗り気でイグニスを連れ立って外に出ていってしまった。
「うえーん!!!うえ・・・あれ?二人は?」
「あなたが馬鹿をやっている間に外に行ってしまいましたよ」
戸惑うマーサに、シスタークロエが冷ややかに答える。
「マーサ、あなたもたまに来て修練を受けてはいかがかしら?」
「またまたシスタークロエったら、ご冗談を。アハハハ」
「本気なんですけどねぇ」
「え?今なにか言いましたアハハハハ」
頭痛薬はどこにおいていたっけとシスタークロエは頭を抱えて考えた。
孤児院の庭で木剣を振るうイグニス。傍らには右目を眼帯で覆った騎士、ルーカスがいる。
イグニスが振るう剣は、以前ルーカスが作ってあげたものだ。子ども用の小さな剣で、ルーカスが持っているロングソードと比べると、まさに玩具である。
だが、そんな玩具でも本気でイグニスは振るっている。
彼の父親はかつてこのサベッジ村で命を落とした騎士である。その名はリチャード・ガーフィールド。その事実を知っている者は、シスタークロエとルーカスと、領主のレーガン夫妻くらいで、セイレンに住むマーサの家族には父親が誰なのか知らされていない。
リチャード・ガーフィールドは獣人と勇敢に戦い破れた騎士として、ブロンズ王国でも有名な存在だ。その有名な騎士の血を引く子どもがいると分かれば、大騒ぎになる事は目に見えている。
それに、仮にイグニスがリチャードの息子だと公表したところで、それを真に受けて信じる者はいない。リチャードが死んで6年の間に、リチャードの妻、子どもを名乗る者が何人も現れたのだ。
「はい、もっとそこ腰を入れて振る」
「ふん!ふん!」
イグニス本人は父親の事を知らない。
「はい、もっと足に力入れて」
「ふん!ふん!」
彼の口から父親が誰なのかと聞かれることも無かった。
彼自身も、自分に父親がいないことについて、あまり気にしている節は無かった。
「はい、よそ見しない」
だから、ルーカスは油断していた。
ルーカスだけではない、マーサもシスタークロエもみんなが、イグニスは父親がいなくても平気なんだと思っていた。
「ルーカス飽きたー!」
「なにー?忍耐のない奴めー!」
「ルーカスの教え方が悪いんだよー」
「こいつー!」
「きゃははは」
笑いながら庭を駆け回るイグニスを、ルーカスが追いかける。
そのうちイグニスは庭を飛び出して、街の方へ出ていってしまった。
「ちょっと、待てよイグニス!!!」
慌てて追いかけるルーカス。
二人は街を抜け、村の奥にたどり着いていた。
「ちょっと、待てよイグニス・・・はあ、はあ」
さすがに疲れたルーカスが、息も絶え絶えにイグニスに追いついた。
イグニスは立ち止まり、何かを一生懸命見ていた。
「ねえ、ルーカス、これなに?」
イグニスが指差すのは慰霊碑だった。
それは、9年前にサベッジ村で起きた惨劇の被害者と、6年前に起きた戦闘の犠牲者の名前が刻まれた石碑だった。
「それは・・・」
「この一番上のリチャードって誰?えらい人?」
「・・・ああ。勇敢な騎士だよ」
「ルーカス知ってるの?教えて教えて!!」
「ああ・・・まったく。分かったよ」
そうしてルーカスは話し始めた。偉大な騎士リチャード・ガーフィールドの伝説を。




