第3話 3年後/衝動
これまでのステラズ・クロニクル。
・少年ルーカスは故郷と家族を獣人の襲撃で失い、孤児院で暮らしていた。
・孤児院での修練を抜け出して森を散策していたら、獣人の少女を拾った。
王国騎士の朝は早い。国王に忠誠を近い、民と国土を守るため、日夜鍛錬を怠らない王国騎士はまさに、すべての国民の模範となる存在である。
リチャード・ガーフィールドもまた、そんな王国騎士の一人であり、常に己を高め、愛する人を守るために戦い続けている男だった。
「いやー、今日も素晴らしい天気だねマーサ!」
王都北側、サベッジ山脈に至る街道を守護する『北の騎士団』に所属するリチャードは、いつものように、聖ヴァナルガンド教会孤児院に顔を出していた。
「あらリチャード。国を守る騎士である貴方が、こんな所で油を売っていていいのかしら?」
貼り付けた笑顔で皮肉を返しているのはシスターマーサである。こんな表情、とても孤児院の子供たちには見せられない。
「ははは。マーサ、君は勘違いをしているようだね。騎士は確かに国を守る盾であり剣だ。だがしかし、その本懐は愛するただひとりを守ってこそ遂げられるものだ。僕にとってはそう、まさに君のことさマーサ!」
皮肉に動じることなく、漢リチャード・ガーフィールドは愛を囁く。リチャードは『北の騎士団』随一のハンサムボーイとして、王都でも噂のちょっとした有名人である。彼が声をかけた女の子で、彼に恋せぬ者はいないという話まである。
「はいはい、分かったから」
もっとも、愛をぶつけられているシスターマーサ当人は、非常に迷惑そうな顔をして、適当にリチャードをあしらっている。彼に恋する乙女たちが見れば、歯ぎしりすること間違いなしの光景である。
「あいかわらずツレないなあ」
「あいにく、貴方の口の軽い愛は聞き飽きているの」
「アプローチの仕方を間違えたかな~」
「そうね。やり直せるなら、赤ん坊からやり直して、誠実という言葉の意味をしっかりと考えていらっしゃい」
シスターマーサと騎士リチャードは、家が隣同士の幼馴染であった。幼少期からリチャードは、マーサにこうした軽口をたたいてはあしらわれているのであった。
「それはそうとマーサ。君のところのやんちゃ坊主が、獣人の娘を拾ってきたというのは本当かい?」
「貴方、どこでその話を」
「ここの子ども達はみんな素直でいい子ばかりでね。きっと教育者の質がいいからだろう」
ニコッと笑顔でリチャードは言う。自分の愛の言葉をないがしろにした事への、ささやかな復讐とでも言わんばかりに皮肉を込めて。
「はあ。本当にあの子達は」
シスターマーサは、実直に育ってくれている子ども達を思い、大きな溜息を付いた。
ルーカスが獣人の少女ステラを拾ってから、1週間が経った。院の責任者であるシスタークロエは、少女の身元が判明するまで、孤児院で預かることを決めたようで、協会本部と王国政府にも書簡で報告している。
少女ステラは相変わらず自分の名前以外のことは思い出せない様子で、医務室のベッドにこもりきりであった。シスターたちが毎日替わり替わり話をしにやってくるが、まともに口を開こうともしない始末だった。
院の子どもたちもシスターから話を聞いて、興味津々で医務室に詰めかけているが、やはり少女はだれとも口を聞かないでいた。
少女を拾ってきたルーカスは、正直この状況が面白くなかった。自分のせいで面倒事を持ち込んでしまったかもしれないという考えが、彼の頭の中を巡っていた。
悪い方に考えすぎてしまうのが自分のいけない所だと、ルーカスは頭をかきながら森を歩く。
今日もまた、修練を抜け出していた。
ルーカスが森を散策していた頃、シスタークロエは医務室を訪ねていた。保護された獣人の少女ステラと、話をする為だ。
「彼女には、何も話すことなんてないのかもしれないけれど」
名前以外思い出せず、森を彷徨っていた獣人の少女。3年前に起こったサベッジ村襲撃事と、もしかしたら何か関係があるのかもしれない。
色々な考えが渦巻きながら、シスタークロエは医務室の扉をノックする。
「失礼しますよ」
中からは何も反応はない。いつもの事だ。ステラはいつも何も答えない。しかし―
「ステラ、気分は・・・!」
シスタークロエが部屋に入ると、ベッドの布団は床にずり落ち、窓が開け放たれていた。部屋にいるはずの獣人の少女の姿は見えない。
獣人の少女ステラは、逃げ出したのであった。
ステラの脱走で孤児院が大騒ぎしている頃、ルーカスは呑気に山菜採りにいそしんでいた。
「これは食べられる。これはまだ早い。あっ、こいつもう生えてるのか」
ブツブツ言いながら山菜を摘んでいく。こうしていると、まだ村で家族と暮らしていた頃、母と一緒に山菜採りをしていたことを思い出す。
家族を失う前の、楽しかった頃の思い出を振り返れば振り返るほど、ルーカスの中でどす黒い感情が大きくなっていった。
獣人が憎い。家族を殺した獣人が憎い。殺してやりたい。
突然ガサガサと、草を揺らす音が聞こえた。ハッとルーカスは我に返り、石のナイフを構える。獣が迷い出てきたのかもしれない。
いつ襲いかかられてもいいように、感覚を研ぎ澄ませる。
ザザッ、ザザッと近付いてくる。
ナイフを握る手にも力が入る。そして―
物陰から姿を現したのは、獣人の少女であった。
「・・・は?」
「あっ・・・」
少女もルーカスに気付き、声を漏らす。途端―
ばたりと、少女が倒れた。
確か1週間ほど前も全く同じ光景を見たような、そう思いながらルーカスは少女にかけよる。
「なんで森に?シスターには、無断・・・だよな、はあ」
少女をおぶって歩きながら、ルーカスが問う。
少女は何も答えない。
「同じ人間を2回も森で拾うなんて、そうそうできる体験じゃないよな」
「・・・」
「あんた・・・本当に名前しか覚えてないのか?」
「・・・」
背中で少女が少し震えている気がした。
「あんたの事情は知らないけどさ。あんたも、いつまでもこのままってわけにはいかないだろ。まさか森を抜けて、南側に行こうとしてたってわけじゃないよな」
「・・・」
「まあ、考えなしにこの森を抜けようなんて思わないことだな。夜になれば獣も沢山出てくる」
「・・・」
「・・・あの孤児院はさ」
「・・・?」
「あの孤児院はさ、案外、居心地がいいんだよ」
「・・・」
「あんたもさ、記憶が戻るまでは、遠慮なく院に居ていいんじゃないかな」
「・・・」
「ちチビたちはうるさいし、シスターも厳しいけど、だけど、独りでいるよりずっとマシだ」
俺がそうだったから。
聞こえるか聞こえないかの声で、ルーカスはうぶやいた。
「だから、あんたはひとりじゃない。みんながいる。シスターも、俺も・・・いる・・・し」
「・・・うん」
背中から嗚咽が聞こえてくる。
ルーカスは、そういえば昔、こうやって妹をおぶったことがあったなあと思い出していた。懐かしい記憶が頭をよぎる時、いつもはその後にどす黒い衝動に駆られるが、この時だけは、なぜだか心を落ち着けることができていた。
ルーカスとステラの交流が難しい。