第2話 3年後/遭遇
一気に3年後に飛びます。
3年前のサベッジ村襲撃事件といえば、ブロンズ王国で知らない者はいないほど有名だ。かつて銅の産出で栄華を築いた村が、一夜のうちに地図から消えた。王都から離れた山間の集落での出来事と言っても、ブロンズ王国にとっては看過できない事態であった。
そもそも王国の南方に位置するサベッジ山脈自体が、未開の地であり、山を超えて襲撃者が来たということ自体、ブロンズ王国建国以来、初の出来事であった。
王宮には何度か調査隊が派遣された記録が残っているが、いまだかつて戻ってきた調査隊はいない。50年前に第13期調査隊が派遣されて以降、新たな調査隊が編成されることもなく、サベッジ山脈は放置されてきたのであった。
王国に伝わる民話では、山の向こう側にはヒト種とは異なる獣人種が住んでおり、ヒト種と同じようにいくつもの小国を築き、ヒト種と変わらない生活を送っているとされている。襲撃事件の生き残りの証言からも、襲撃者が獣人ということが分かり、王都ではにわかにサベッジ山脈調査隊再編のブームも起こっていた。
とはいえ、獣人種自体はそう珍しくもなく、王都でも実に多くの獣人種が生活している。ブロンズ王国において、ヒト種と獣人種は比較的友好な関係を築いており、平等な扱いを受けていた。襲撃事件に獣人種が関与している事が好評されても、市井での獣人に対する扱いは変わらず、それはブロンズ王国の近隣諸国においても同様だった。
ただ、南方の天然要塞が破られたという事実は変えようがなく、ブロンズ王国は王国騎士の採用枠を拡充し、防衛軍備の増強を行っていた。
王都の外れ、旧サベッジ村に続く街道の入口近くに、ブロンズ王国と聖ヴァナルガンド教会が共同経営する孤児院がある。
ヴァナルガンド教は、ブロンズ王国はもちろん近隣諸国においても広く信仰されている宗教である。
神話において、山だらけだった大陸の一部を平にして、ヒト種を平野に、獣人種を山に住まわせたとされる神ヴァナルガンドを崇拝する、ブロンズ王国建国以前から存在する宗教であり、その起源は定かではない。
しかし、神ヴァナルガンドの教えは単純明快で、「ヒト種はヒト種を助けよ。獣人種は獣人種を助けよ。ヒト種は獣人種を助けよ。獣人種はヒト種を助けよ。」であり、要はみんな助け合いなさいと言うことである。この分かりやすい教えが功を成して、ヒト種にも獣人種にも受け入れられている。
そしてその教えに従い、ブロンズ王国は聖ヴァナルガンド教会と共同して、孤児院を設立したのであった。
「ルーカス!ルーカスはどこです!!」
孤児院の廊下を、バタバタと初老のシスターが駆けていた。
「ああ、シスターマーサ!ルーカスを見なかった?」
「いいえ、シスタークロエ、残念ながら見ていません。多分、いつもの森だと思うのですが…」
頭巾からはみ出た前髪をサラサラと揺らし、シスターマーサは思い当たる彼の行き先を答える。
「ああ、シスターマーサ。やはり、あの子は森に行ったのね、ああ…」
はぁはぁと息を切らしている初老の女性はシスタークロエ。齢60を迎えてなお第一線で働き続けている、この孤児院の院長である。最近の悩みはすっかり白くなってきた髪を、いかに子ども達に見破られないように頭巾の中に収めるかである。
「あの子は、はぁ、本当に、どうして、こう…」
息も絶え絶えに、シスタークロエは恨めしそうに呟く。
ルーカス・ウェイカーは、サベッジ村襲撃事件の生き残りで、3年前からここ聖ヴァナルガンド教会孤児院で生活している。13歳になったルーカスは、院の子ども達の中でも最年長となり、年下の面倒みもいい、皆のよき兄として慕われていた。
しかしながら、シスタークロエはルーカスを皆の模範となるべき年長者として認められないでいた。院に来た当初から真面目に修練(字の読み書き、数の計算)に励んでいたルーカスに、シスタークロエをはじめ院のシスター達もみな油断していた。幼くして天涯孤独の身の上となりながら、健気に頑張る少年、周囲の大人たちの目にはそう写っていた。が、ルーカスが院に来て1年が経つ頃、突然ルーカスは修練を抜け出して森に行くようになった。普段はおとなしい顔をして修練を受けているルーカスではあるが、3日に一度は院を抜け出して森に行っている。おとなしい顔をして、やることは大胆不敵。それがこの院におけるルーカスへの認識であった。
まとわりつく木の枝やつるを、荒削りな石のナイフで切り開きながら、ルーカス・ウェイカーは森を探索していた。
ザッと草を踏む音が聞こえたかと思うと、ルーカスは素早くナイフを投げる。一直線に飛んでいったナイフは、ホワイトラビットに命中し、気絶させる。「シチューの具が増えたな」などと考えながら、ルーカスはホワイトラビットを腰に下げた革袋にしまい込む。
森を探索するルーカスは、こうやっていつも獲物を院に持ち帰っている。それは獣の肉であったり、山菜であったり、木の実であったりする。いつも修練を抜け出していることに対して、少なからず後ろめたさを感じているルーカスのせめてもの罪滅ぼしであった。
いい獲物も狩れたことだし、そろそろ帰ろうかと思っていると、ザッと草を踏む音が聞こえた。もう一品おかずが増えるかもしれないと、呑気なことを考えながら、石のナイフを構える。ザッザッと足音が近づいてくる。
と、草陰からゆっくりと姿を現したのは、人間であった。
「なっ!」
驚くルーカスは、人間の姿を見て驚いた。背の丈は自分と変わらないくらいだが、手足はやせ細っており、ガクガクと震えている。髪もボサボサに伸びており、すっかりくすんだ色をしている。服も木の枝に引っ掛けたのか、あちこち破れており、血の滲んだような跡も見られた。
そっと顔を覗き込むと、力のない瞳はグラグラと揺れており、ルーカスには気付いていないようだった。
「おい!」
突然現れた異様な人間に狼狽えながら、ルーカスは声をかけてみる。
「おい!…おい!」
何度か声をかけたところで、人間がこちらに顔を向かる。とたん、顔が酷く歪んで、目の端に大きな涙の粒が出来上がっていく。
「う、う、う、うえ、うええ、うええええええええええええええええん!!!!!」
ばたり。
突然声を上げて泣き始めた人間は、力尽きてその場に倒れてしまった。
「なぁっ!?」
しばらくその場に立ち尽くしていたルーカスだったが、観念したのか倒れている人間を背負って院に連れ帰ることにした。
「あなたは本当に、おとなしい顔をして、いつも突拍子もないことを…」
シスターマーサがため息をつきながら、ルーカスに説教をしている。この院ではいつもの見慣れた光景である。
「ルーカスまた怒られてるー!」
「だっせー」
「ルーカス、肉はー?」
「ルーカスおかえりー」
通り過ぎていく孤児院の子ども達は、みな口々にルーカスに声を掛けていく。院で最年長のルーカスは、みんなにとってのお兄さんであり、夕食のおかずをとってきてくれる貴重な存在なのだ。
ムスっとルーカスが拗ねた顔をしていると、今度はシスタークロエがやってきた。
「あなたが連れ帰った獣人の子の処置が済みましたよ」
シスタークロエが言うには、ルーカスが連れ帰った人間は、見た目以上に栄養状態が悪く、あと数日でもしかしたら死んでいたかもしれないとのことだった。
「あなたが修練を抜け出して森に入るのは、非常に嘆かわしいことですが、こうして人助けをしたことは、ヴァナルガンド教の信徒として誇りに思います。」
シスタークロエが少し嫌味まじりに言う。ルーカスはバツが悪いという顔をして、俯いている。
3人が医務室に入ると、ベッドに横になっている人間がビクッと身体を震わせ、頭まで布団を被ってしまった。
「落ち着いて、大丈夫よ」
シスタークロエが優しく声を掛けると、警戒を解いたのか布団から顔を出す。
改めてその姿を見たルーカスは驚愕する。拾ってきた人間は、まだあどけなさの残る少女の顔をしており、ボサボサだった髪は綺麗にとかれ、その頭の上には短く垂れた耳が付いていた。
「獣人…」
思わず口から漏れたその言葉を聞いて、獣人の少女は「ヒッ!」と怯えた声を出して、再び頭から布団を被ってしまった。
ゴホンと咳払いをして、シスタークロエがルーカスを小突く。
「大丈夫よ。この子は森で倒れていたあなたをここまで運んでくれた。あなたに危害を加えたりしないわ」
シスターマーサが優しく語りかけると、獣人の少女はゆっくりと布団から顔を出し、ルーカスの方をジッと見つめた。
その瞳は赤く澄んでおり、まるで引き込まれるように深くまで吸い込まれそうな色だった。見つめられたルーカスも、思わず息を飲んだ。
「あなたの、名前を、教えて、ちょうだい?」
ゆっくりと丁寧に、シスタークロエが獣人に問いかける。
「…ステラ」
小さな声で獣人は答えた。
「ステラ、いい名前ね。それで、あなたはどこから来たの?」
「どこから…分からない」
「分からない?」
シスタークロエが思わず怪訝な表情をする。
「分からない。名前しか覚えてない」
まさかの返答を前に唖然として固まるシスター達とルーカスを前に、獣人の頬をスーっと涙が伝った。
「分からない!何も!分からない!うえぇぇ…」
獣人の少女が泣くのを、3人はただ見ていることしかできなかった。
よくあるボーイ・ミーツ・ガール。