第11話 出立/星空
風のない夜だった。月は雲に隠れ、孤児院の窓から見える森は、まるで闇を讃えるように静まり返っていた。
サァーッと、さっきまで吹いていなかった風が、髪を凪いだ。通り過ぎた風は、木々を揺らして、やがて消えた。まるで獣のいびきさえ聞こえてきそうな程、夜が無防備だった。
風に乱された前髪を直しながら、ステラは耳をピコピコと動かして、周囲の気配を伺っていた。
ポキッと小枝が折れる音が聞こえた。
「こんな所で、何してるんだよ」
「ルーカス・・・明日の準備はもう、できたの?」
ルーカスを見ず、空を仰ぎながらステラが言う。その唇は少し尖っているようだった。
「もう荷物はまとめてる。いつでも行けるようにしてるよ」
なんの未練もないように、スッパリと言い切るルーカスに、ステラの唇はますます尖っていった。
「それはようございました。せいぜい、森で迷って記憶をなくさないよう、気を付けてください」
あまりの言い草にルーカスもカチンと来た。
「ステラ、気に入らないことがあるならハッキリ言ってくれ」
この数日、顔を合わせれば行くな行くなの一点張りだったステラに、ルーカスも我慢の限界だった。溜まっていたものがドロドロと流れだそうとしていた。
「私は、ずっと言ってる。行って欲しくないって。行くべきじゃないって」
「だからなんで・・・行っちゃダメなんだよ」
それは・・・と言いながら、今度は唇をすぼませるステラ。
「これは、俺が自分で決めたことだから。みんなが心配してくれるのはありがたいけど、俺は行くよ」
ジッと見つめてくるルーカスの顔を、ステラは見ることができなかった。空を見上げたまま、無言で佇む。何も言う事ができず、ステラはクルッと向きを変えて、孤児院の方に歩き始めた。
小さくなるステラの後ろ姿を見送り、今度はルーカスが夜空を眺めていた。
空を覆う雲はいつの間にか消えており、星空が広がっていた。
夜が明けて、『北の騎士団』の駐屯地にぞろぞろと人が集まり始めた。大半は騎士だが、中には志願兵も混ざっていた。
サベッジ山脈調査隊の隊長に任命された、『北の騎士団』団長のウィルソン・マーカーは、手元のリストと集まった人々を見比べては、溜息を漏らしていた。
「はあ、やはり思ったよりも志願兵の数が多いな」
「無理もありません。王国政府が、志願兵には前金を渡すと公布しているんですから」
ウィルソンのため息に答えたのは、騎士リチャードであった。今回の調査隊の副隊長を務めることになっている。
「王国政府が見せしめで我々『北の騎士団』を派遣することは、市井の者たちも分かっておろうに。金に目がくらんだ、愚か者ばかりということか・・・」
先ほどよりも深い溜息をつきながらぼやくウィルソンに、リチャードは苦笑しながら言った。
「そうでもありませんよ団長。見所のある奴も何人かいます」
ニヤリと笑うリチャードを見て、ウィルソンも「ほう」と頷く。長年寝食をともにしている仲間の慧眼を、ウィルソンは信じていた。
「ようルーカス。孤児院のみんなにはきちんと挨拶できたのか?」
「うさぎの干し肉をたくさん置いてきた。シスターたちには帰ってこなかったらどうなるかわかってますよって脅された」
「ははは、なんだそれ!」
周囲のピリピリした雰囲気に反して、ジョルジュとルーカスはリラックスした様子で談笑をしていた。
騎士リチャードの個人レッスンの甲斐あって、二人は今までよりも少しだけ自身を付けていた。
とはいえ、他の騎士や志願兵と比べると圧倒的に若い二人に、周囲の大人たちは厳しい視線を向けていた。
「こんなガキが志願兵?」
「足を引っ張られて死ぬのはゴメンだぜ」
「金に目がくらんだガキか、親に捨てられたガキか」
「こんな奴らがいたんじゃ、すぐに獣人に殺されちまうな」
二人に聞こえるようにわざと近くで行っていく者もいた。あまりに露骨な歓迎に、イラついていた二人ではあったが、騎士リチャードからこういう事も起こりうると事前に言われていたので、気を紛らわせ無視を決め込んでいた。
「二人とも、よく耐えてるな。えらいぞ」
ガシッと二人の肩を抱えながら、リチャードが言った。
「リチャードさん、いいんですかこんな所で油売ってて」
驚いたジョルジュが声を出す。
「マーサみたいなこと言うなよ」
なんのことか分からないジョルジュを置いてけぼりに、リチャードとルーカスはクククと笑った。
「そういえば少年。あの獣人の少女とはきちんと話をしてきたのかい?」
リチャードの問いにルーカスは一瞬ムッとした顔をした。
「その様子だと、ろくに話もできてないみたいだな」
「それはステラが・・・」
「ははは、全く仕方がないやつだな君は。これを預かっている」
リチャードがルーカスに小さな紙袋を手渡した。紙袋には、シスターマーサの字で、『ステラからです。大切にしないと、知りませんよ』と書かれていた。
まだ脅したりないのかと思いつつ、紙袋を開けようとするルーカスだったが、
「そろそろ、隊長が出発の合図を出すぞ」
リチャードが指をさす方に、ルーカスとジョルジュも顔を向けた。
「諸君!よく集まってくれた!!これより第14期サベッジ山脈調査隊は出発する!」
唐突に宣言した隊長のウィルソン。
集まった面々は、剣を手にとって雄叫びを上げた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
「我々はこれよりサベッジ街道に入り、サベッジ村を目指す。そこをキャンプ地とし、周辺森林に賊の痕跡がないかを調べる!」
「おおおおおおおおおおお!!!!!!」
群衆の怒号にも似た歓声を聞きながら、ジョルジュとルーカスは顔を合わせていた。
「「サベッジ村・・・」」
こうして、調査隊は出発した。
第14期サベッジ山脈調査隊、出発。