第30章 ここに 4
「――アティスっ、俺らを逃がせ、三人とも! 同じ場所に!」
青い影がハルの胸元から飛び出した。
瞬時に折り返してハルをかっさらい、と思うや今度は晶自身が抱え上げられて、すぐさま下ろされたのはハルの隣りだった。跳ね起きれば壁のひびは右手に見えた。同じ大きさのひび割れが、そことこことの間にもう一つ収まりそうなほどの距離を置いて。真後ろを振り返れば、アティスは早くもテミストを抱き上げている。
やった、と内心でガッツポーズぐらいしたかもしれない。ほら見ろ、この期に及んで相性なんて、本人だって気にしてない!
「今」
「テミストも大丈夫だから!」
返事が終わらないうちに、アティスは少年たちの前に戻ってきて少女を下ろした。蔓草の這った、焼き払った跡を、黒い蹄は問題なく踏みつけて駆け抜けたらしい。
「アティス」
ハルは先にそちらの名を呟いた。戻って、とそれから短く命じ、使い魔はその胸元に吸い込まれる。
「あ、あたし、……あたし」
「テミスト。その髪飾り、テミストじゃなくても使える?」
目を潤ませてどもるテミストに、ハルは簡潔に問うた。息を一つ呑み込んで、テミストは頷く。愁嘆場を繰り広げている場合ではない。
「うん。触わって呪文唱えるだけ」
「ピンクの片方、誰かに渡した?」
「お母様に」
「黄色のもう片方は誰が持ってるの?」
「……お父様」
テミストの父。コトの夫。ボイルの領主。
テミストにハルを引き渡せと指示した。コトには――ハルを殺せと、指示した?
「ピンクの、晶に渡して。呪文教えてあげて」
焦りで少々たどたどしい手つきになりながら、テミストはそちらの髪飾りを外し、晶に握らせた。エルクよりもテュカの方が安全だ、迷う余地もない。
そこまではよかった。
「テミストはお父様で我慢してね」
――え?
次の瞬間、深紅の雷がまたぶつかった。激しい振動、だが先ほどより弱い気がする。手加減したのか、だが、だとしたら。
「え、ちょっと待っ」
「貸してね」
ハルが二人の手首をつかむ。ふっと力が抜けて、晶は地面に伏した。つかまれた側と反対の、髪飾りを握った方の腕と、首から上だけが普段通りである。へたり込んで転がる体が視界にもう一つ入る。
「ハ……」
「逃げて」
どうにか上げた顔の前に、透き通る半球が分厚く生じて、少年魔術師との間を隔てる。向こうで壁が消えたのがわかった。ひびが見えなくなったのだ。
話が違う。
桃色の髪飾り一つで、三人とも運ぶことができるかを、まずは試すのではないのか。それが駄目なら二人で試すのではないのか。
腕と頭が、手と口が生きているから、髪飾りは使えるけれど。自分と、恐らくはテミストも。
一個で、一人。
二個しかない。
魔術の、否、何かを撃ち出す気配があった。コトからだ。立て続けに放てるのは、ひとつ前の攻撃がやはり全力でなかったためだろう。敢えて残しておいたのだ。
動かせる手をついて、上半身を持ち上げる。ハルの後ろ姿が立ちはだかっていた。青白い光がその杖から、幾筋もに分かれて伸びている。
まっすぐ向かってくる黒を避けて回り込むように。
一目でそうと見て取れたとしても、理解は追いつかなかった。理解が及ぶ前に本能が働いて、晶はまた突っ伏して頭を覆った。




