第3章 魔女の館 2
実際勝手口であるのか、扉の向こうは台所のようだった。竃らしいものが三つ、大鍋やら大釜やらがかけてあり、水瓶と思しきものも、調理台や戸棚もあった。明かり取りの小さな窓と、奥に戸のない出入り口があり、薄暗くてよく見えないが、こちらよりは広そうな部屋へ通じている。
しんと冷えた空気に、思わず身を震わせる。台所ではないかもしれない。火の気が、暖かみが、あまりにも、ない。
「連れがいるとは珍しいじゃないか」
奥から女性の声がした。お久しぶりです、とハルが挨拶をする。歩みくる声の主、挨拶の相手に、晶は目を奪われた。
少年魔術師の師匠にして伯母は、張りと丸みのある顔に大きな藍色の瞳、豊満な体つきをした女性だった。黒に近い豊かな髪が肩に背にこぼれている。空気の冷たさに身を震わせたときから、不気味な老婆を無意識に想像していたのだが、甥と同じく童顔で三十歳にも届かないように見えた。ハルの父親の、妹でなく姉であるとはとても信じられなかったが、一方で不思議と老成した威圧感がある。紫の衣装は薄布でできている割に透けず、金でも織り込んであるのか微かな光にちらついた。
女魔術師は見知らぬ少年に目をやり――目を瞠った。晶は唾を飲む。
「これはおもしろい客人を連れてきてくれたね」
何か不興を買っただろうか、という恐れに反し、女は甥と同じ評価を下して、唇の両端を吊り上げた。赤い女性をみつめたときより、赤い光に飛び込んだときより、アティスや天馬の牽く車、猛獣の闊歩する草地を前にしたときより、晶の胸の鼓動は速くなった。
組んでいた腕をほどくと、女は優雅に手と腕を動かして礼をした。上半身を傾けたが頭を下げることはなく、視線は晶に据えたままだ。不興を買わなかったのはよい、寧ろ興がられたようだが、一体、どこが……?
「我らが天の下へようこそ、異なる天を戴く坊や」
心臓が跳ね上がったかのように、感じたのはハルの方だったらしい。凄い勢いで振り返った顔には驚愕が満ちていたが、言われた当人は理解に少々時間を要した。
――別世界の人間と、言ったのだ。
悟った瞬間遅ればせながら、心臓が胸壁を蹴りつけた。
わかるんですか、と声を絞れば、女魔術師は悠然と笑むばかり。少年魔術師へ視線を移すと、混じり気のない驚嘆が顔を、目を、口元を彩っていた。
「……すごいや」
吐く息に混ざった呟きは、光の足りぬ部屋の中で表情を鮮明に伝えた。
「すごい、のか? 魔術師が見ても」
「すごいよ」
あの獣人アティスよりも珍しく見えるのかと思えば、いささか複雑な気分でもある。それにも増して戸惑ったのは、ハルから初めて悲痛の名残が抜け去ったことであった。では――それほどのことなのだ。
おいで、茶を淹れよう、と奥へ足を向けながら、女は肩越しにまたも晶へ、大層意味ありげな視線を投げた。茶など淹れてもらったところで、寛ぐには程遠いことになりそうだった。
通された広間は天井も高く、左右の壁の上方で大きなガラス窓が日光を取り込み、滑りそうなほど磨き込んだ正方形の石が、白っぽいのと黒っぽいのと市松模様に床を埋めていた。中央には白布のかかった長細いテーブルが置いてあり、館の主人とその甥と客人は、その片端の席に就いた。一人で暮らしているのならこんなテーブルは不要であろうが、小さいなら小さいでここの広さには釣り合うまい。
晶が別世界の人間であることは、ハルの伯母には一目瞭然らしく、甥たる弟子に説明や解説を与えることはなかった。無邪気な好奇と感嘆のまなざしを注がれて、晶は落ち着かない気分になる。眩しく白いポットと上品なカップとそれらの中身とは、紅茶のポットと紅茶のカップと紅茶そのものによく似ていたが、何となく口をつけかねていたのはそういうわけである。クッキーらしい茶請けの菓子に対しても同様だ。




