第29章 傍らに 2
「何しようってのあいつ!?」
「わからないよ、さっきから」
「ていうか、あいつがコト、なわけ?」
ラリサが注意していたし、ハルから幾らか事情は聞いた。姉弟子の姉婿の継母と聞いていたのは不十分な情報で、ヒュレイはハル自身の姉婿に当たるのだったから、思っていたほど縁遠い相手ではなかったわけだが。それにしたって、こんなやり方で来るとは想像しなかった。
大体、筋が通りそうで通らない。ボイル領主がテミストに、ハルを呼び出せと命じたのであれば、とうに追放されたという、テミストの母でもないコトが、どうしてここで出てくるのだ。協力しそうにない二人がどうして繋がるのだ。
ハルが答える前に、当のコトが口を開いた。
「人の邪魔をするものじゃないわよ。取り込み中だとわからない?」
「碌な用事じゃなさそうだけど?」
「愛しい人の意に沿いたいのが人間というものよ」
睨みつければ、意味の取れない返事が来た。自分から口を切っておいて、理解させる気はないらしい。
焦げ茶色の目を意味ありげに細めて、指を一本ぴんと立てた。
「あなたに用はない。去れば見逃すわ。どう?」
見捨てて逃げれば、助けてやる。
信用の置けない、しかし紛れもない誘惑であった。持ちかけられたのがもう少し早ければ、血の気が引いたかもしれない。
だが、今となっては、自分こそが泣きたくなるような叫びを聞いた後では、馬鹿にするなと感じこそすれ揺らぐ余地はなかった。
「誰が誰を見逃すって」
見逃さないのはこちらだ。赦さないのはこちらだ。怒りと軽蔑に満ちた返答は、相手をおもしろがらせただろうか。無論、コトには痛くも痒くもないだろう。
先を続けなかったのは、言うことがなかったためではない。的確な表現が即座には浮かばなかった、というのはあるかもしれない。が、主には。
「コト」
呆然とした声が割り込んだためだった。
丘を登らず、迂回してきたのだろう位置で、テミストが息を弾ませていた。
「どうして……」
「まあ、テミスト」
こちらは意外そうなそぶりも見せない。
「亡者は墓の中に戻りなさい?」
心臓がぎゅんと縮むのを晶は自覚した。
女の手からどす黒い光が走った。テミスト目がけて一直線に空を切っていくのに、狙われた少女は動くことすら思いつかないようだった。
ハルがすごい勢いで杖を突き出した。まっすぐに、見えているのではないかと思えるほど正確に、テミストを指して。コトの放った黒に撃ち抜かれようという瞬間、光の球が間一髪テミストを覆ってそれを弾き飛ばした。
それが限界だった。荒い息を吐き出して、少年魔術師は膝をつく。杖に縋らなければ倒れていたかもしれない。
出血こそなくとも魔術の攻撃を身に受けていたのか、自身が魔術を使ったことによる消耗なのか、体力的な疲弊なのか。急いで傍らに自分も膝をついて支えたものの、晶には判断がつきかねた。
「わかっていないの? あなたを売ったのはその娘よ。テミスト=エルカイア=テュカイア=ボイレスカ」
くつくつと、機嫌よくコトが笑う。
「領主の娘の地位を回復するためにね?」
「……お母様のためよ。あたしじゃない、お母様に地位を返すためよ。……お父様はそう言ったの。約束したの」
ひくっ、とテミストの口の端が不格好に吊り上がる。
「返すわけないわよね? 后の地位はあなたのものだわ、コト。お父様の最後の后はあなただわ。秘宝が叶えたんだもの!」
――そういうことだったのだ。
カダとはコトの変名なのだ。コトは返り咲いたのだ。エルクがそうと知りつつ認めたものか、隠されていて気づかなかったものかはわからないが。いずれにせよ、秘宝の力によって、全ては上手く運んだのだ。
ボイル領主の最後の后となせ。カダがそう願ったことは千梨に聞いていたのに、肝腎なそのとき、テミストの頭には浮かばなかったのだろう。秘宝が叶えた願いであれば、反故にされることはない。
「間違えないことね。憎むならこの娘よ」
「秘宝を前にして──テュカは、自分のせいで死なせてしまった我が子が蘇ることを願った。あなたは、自分の地位の回復を願った」
司会者が主役を紹介するかのような、大仰な身振りで少女を指し示すコトに、ハルは静かに、はっきりと答えた。
「あなたの味方はしたくないな」
笑みだけが返ってきた。




