第29章 傍らに 1
血水晶に召喚されたのは千梨だった。髪の先と目の縁とが染まった他に、どんな影響があったかは知らない。少しの間は一緒にいたというケアルと、どんな交流があったのか、それともなかったのかも知らない。カダと接触した経緯も、橙色の蝶を渡してしまった過程も。マリッカと合流したときのことも、アケイルを蘇らせたときのことも。ケアルへの対処を受けてどうしたのかも、ゼラムへの対処をどのようにしたのかも。エルの英雄はマリッカで、その相棒はレイで、正式に呼ばれたのは千梨で、言うなればあちらが本流だ。晶はその近辺をうろついているにすぎない。
最初のときから一緒にいるハルは旅慣れた魔術師で。マリッカはそのハルが及びもつかない稀代の英雄で。種々の呼び名を持つ秘宝にはそのマリッカも敵わなくて。ラリサがいて、レイがいて、ロアーデルがいて。晶の出る幕などどこにあるだろう。
事は手の届かないところで起こって、受け止めているうちに片づいてしまう。元々招かれざる客なのだ、それは構わない。中心になりたいわけではない。重要な役割を担いたいわけではない。華々しく活躍したいわけではない。結果だけがいきなり降ってこようと、そのこと自体に不服はない。
だが、降ってきた結果をただ粛々と受け入れなければならないことはないはずだ。英雄でなくとも勇者でなくとも主役級でなくとも、抗う権利はあるはずだ。
抗うに足る力がなくとも。
結界を張るのは、紫と桃色。
左手を振り上げた軌跡に沿うように、半透明の仄かに光る壁が生じて、得体の知れない黒い塊を弾き飛ばす。躓きかけて踏みとどまったハルは、働かない視線を反射のように宙に彷徨わせた。
「ハル!」
「アキラ? 戻ってきたの?」
あの三連の首飾りは何ヶ所か切れていて、ローブも所々裂けている。ローブと頬に土がついているのは、少なくとも一度は地面に転がったのだろうか。額を押さえて珍しく舌打ちをして、薬が抜けきらない、と呟いた。
だだだっ、とまた拳大の何かが壁に打ちつける。黒、紫、赤、青、どれも彩度の低い陰鬱な色合いをしていて、魔術のことなど何もわからないのに直感的な悪寒を覚えた。
「アティスは何やってんだよ!」
「アティスは、呼べない。……相性が悪いんだ」
主人を守るべく戦うところではないのかと怒鳴れば、当の主人はしかし拒否した。コトの前に出すわけにはいかないのだと、魔術師の視点で判断したなら、晶には押せない。異の唱えようがない。
「っていうか、どうして入ってくるの。コトの結界の中だよ。僕じゃ突破できない」
「──邪魔だった?」
つい口にしてしまってから、すぐに後悔した。思っても言うべきでないことだ。
束の間、ハルは押し黙る。予測できた反応で、ならば十分に避けられたはずだろうに。
「……守りきれないかもしれない──」
言いさして途切れたのは、半ばは次の攻撃に備えて身構えたためでもあっただろう。
女は余裕の表情で、右手に指揮棒のような銀の直線を持ち、左手も使って指揮のような身振りをしながら、不気味な質感の球体を次々生じさせている。壁越しに目が合うと、ゆったりと小首を傾げて口元を歪ませた。
「そうだよ、邪魔だよ。足手まとい、だよ。僕がマリッカについて回ったらそうなるように。でも」
第三陣が発射された。下がって、という叫び声に重なるようにパリンと壁が砕ける。晶はまた左手を振ったが、同時にハルが一歩前へ出て杖を水平に突き出した。ここぞとばかりに舞い込んだ、人の頭ほどあった青黒い光はそれで四散した。
「今、すごく君にしがみついて泣きたい……!」
気の利いた返しなど浮かばず、晶は無言で拳を握り締めた。他のありとあらゆる点で誤りだったとしても、ただ一つの点に限っては、選択は正解だったのだ。
「麗しい友情だこと」
女が髪を掻き上げた。流れるような動作でその髪を引き抜いて、それらが当たり前のように膨らんで、蛇になったところで晶は目を剥く。
「見えてる!?」
「魔術の気配は、ねっ!」
十匹以上の蛇が地面に放たれると同時、ハルからは放射状に炎が広がる。くねりながら矢のように突き進んできた蛇は、炎とぶつかるなりジュッと燃え尽きた。




