第2章 魔術師のいる世界 2
「ああ、でも、おばさまの気が向いたら、っていうことになるかな。すぐじゃなくてもいいなら」
「……ん、それでいい。じゃあ、頼むよ」
助かる申し出なのかそうでないのか、運がよかったのか悪かったのか、わからないながら晶は頷いた。少年の伯母がもし、できるよ、やってやろう、とあっさり引き受けるようならそのときはそのときだ。できないのであれば……そのときもそのときだ。
おばさま、と呼んだのは単なる年嵩の女性でなく親の姉妹であるということは、迷う余地に気づかないほど、どういうわけか確信していた。いや、より詳しく、母親でなく父親の、妹でなく姉を指しているとまで、わかった不思議にこのときは気づかなかった。
こちらの考えなど知る由もない少年は、じゃあ、と右手を差し伸べ、五歩ばかり先を指すようにした。
「アティス」
一声の呼びかけに反応して、ローブの内側で何かが光った。光の塊が外へ飛び出し、草原に伏せて、人間のような形を取る。日本でも珍しくない光景と言えたかもしれない――生、でさえなければ。晶は目を剥いて見守った。
獣人、とでも呼べばよいのだろうか。二十代半ばほどの人間に似てはいた。青い髪は太く硬く、耳は尖ってやや長く、臍の辺りより下はやはり青い剛毛が覆って、足先は黒い蹄になっている。肌も青みがかっており、腕に沿って蝙蝠と鳥との合いの子のような翼が生えていた。
「おばさまのところへ行くよ。車を借りてきて」
目つき顔つきは悪かった。というより、無表情すぎて不機嫌に見えた。少年の指示に頷き、大地を力強く蹴って大空へ舞い上がったのは、無愛想な事務員が小学生の指示にすばやく従ったかのようで、不自然ではないにしてもどこか似合わなかった。
鳥でも獣でも人でもない姿はあっという間に雲の彼方へ消えた。
「……今の。……何て生き物」
「何て言ったらいいかな。アティスは特殊なんだ」
「使い魔?」
少年は晶をみつめ、よくわからないという顔をした。
「本当に魔術師がいないの、君の国には? その割には詳しいみたいだけど。魔術みたいだってことは思いついたわけだし」
「話だけは聞き慣れてるんだよ」
現代日本に育った中学生は妙な耐性を持つらしい。魔術師や魔術に縁のない人間はもっと驚いたり疑ったりするもので、使い魔という単語も人口に膾炙してはいないのだと少年は言い、おもしろい人だね、と評した。
名を告げていないとここで気づいて、晶とだけ名乗った。姓は好かないのだ、親と同じものだから。本音を言えば名前の方も、親がつけたものだから好きではなかった。まだマシだ、という辺りである。
少年はちょっと目を瞠ってから、自分はハルだと名乗り返し、次いでおかしそうに笑った。元気になったとまでは言えないものの、涙の跡は大分薄れてきていた。
「君は今、すごく大胆なことをしたんだよ。魔術師相手に自分から名乗るなんて」
「……ヤバかった?」
名を知ることは従えること、知らせることは従うこと、というのは日本にも、地球上の他の国にも古くからある思想だ。気をつけなよ、とハルは注意した。
「じゃあ、アキラ。何があったか、詳しいことを教えてもらえる? 君のわかる範囲でいいから」
魔術的に間違いのない情報をよこせ、という無茶なことは言われなかった。
晶は若干の誤魔化しを加えながら説明した。自分から飛び込んだとは言いづらく、純粋に巻き込まれたように言いなしたのである。それで支障が出ることもあるまい。
「――血水晶」
「血水晶?」
「違うかもしれないけど、そうだとしたら……」
ハルは呆然と、無意識にかローブの胸元を握り締めた。晶はきちんと話し終えずに半端なところで言葉を切ることになったが、相手は気づきもせぬようだった。
「血水晶って、何」
「……願いを叶える秘宝だよ。どんな願いでも拒まない、叶えられないことはないけど、一度に一つだけで、代償が――ある」
遠慮がちに問えば、割合と定番の効能が返ってきた。




