第18章 月の砂 2
川面を眺めているうちに、背後で草を踏む気配がした。見返れば予想通りのテミストだった。何となく、ハルではないような気がしたのだ。
「ここにいたの」
「おはよ」
まっすぐにそばへとやってくる。手を洗い、顔を洗い、水を飲んだところまで自分と同じだったので、晶は少し笑った。何がおかしいのかと眉を寄せてから、テミストは晶の横に座った。
「秘宝。……黄色まで行ってたのね」
「あの砂だよな、やっぱ」
意識にまで上ってきたのがいつだったかは覚えていないけれど、床の砂が輝いたとき、遅くともマリッカが姿を見せたときには、理解していただろう。秘宝は色を黄に、形を砂に変えていたのだ。マリッカの後に願いをかけた人間は、実は二人いた計算になる。
ハルは気づいたのだ。それとも、賭けだったのか。床の上で、砂の上で、意識を取り戻して。呼びかけたのだ──マリッカを生き返らせて、と。
無論、そのためだったのだろう。墓荒らし紛いのことをするのも、そのためならば躊躇わなかったろう。
「このままハルが起きなかったらどうしよう。……生きてはいても目は覚めないっていう代償だったらどうしよう」
「変なこと言うなよ」
「〈鍵〉のせいだったらどうしよう」
耳に入らなかったのか、続いた。
「〈鍵〉を使った人は不幸になるっていうんだったら。あたしが押しつけたから、実験台にしたから、ハルが」
「いや、それは違うだろ」
声量を心持ち上げて遮る。
「秘宝のせいだろ、それは。秘宝はちゃんとみつかったし、願いは叶ったんだし」
〈鍵〉のせいではない。ハルが指定した通り、秘宝の在処へと〈扉〉は繋がった。秘宝は確かにその先に、一歩踏み出した足の下に、あった。その後のことは〈鍵〉には関わりがない。電車に乗って赴いた先で、転んで怪我をしようとも通り魔に遭って殺されようとも、電車の責任ではないように。
秘宝の存在も、その恩恵も代償も、〈鍵〉の存在を知るよりも前からわかっていたことなのだ。わかっていて使ったのだ。ハル自身が招いたことだ。同じことをした姉弟子の末路をよくよく知った上で。
ひょっとしたら代償でもないのかもしれない。反動だ、とハルは言ったのだから。代償だとは、言わなかった──言いそうなものなのに、言わなかった。秘宝を使った直後なのだ、体や意識に異常を覚えれば、これが代償かなと思いそうなものではないか。これは違うなと判断する理由が、きっとあったのだ。客観的には確かめられない、秘宝を使った本人にしか感じ取れないことであったとしても。
代償のことは最初から、定義の一部として話していたけれど、反動があるとは聞いていなかった。ということは、長引くものではないのだ。杖を振り下ろした勢いで踏み出したり、魔術を放った弾みに後ずさったりするような、先立って知らしめる必要もないちょっとしたことなのだ。
膝を抱えるテミストの気持ちも、しかし手に取るようにわかる。自分のせいではないかと、自分のやりようで避けられたのではないかと、繰り言のように悩んでしまうのは晶も同じだ。どちらかがまずは手近な他人を責める性質であったら、今一人はより一層追い込まれたところだろう。
「どうしちゃったのかもわからないなんて」
テミストがまた呟いた。無力感というよりは不満に近く聞こえた。いずれにしても表層的な話で、根本的には不安に根ざしているのだろうけれど。
「アティスがいてよかったな」
「本当にね」
「あの感じだと、俺らが呼ばなくたって勝手に出てきてた気がする」
「ね」
「……アティスが焦ってないんなら、大丈夫なのかもな」
あの使い魔が動転している様子など想像もつかないけれど、ハルの容態が危険なものなのであれば、それなりの行動を取っているだろう。魔術の知識にせよ秘宝の知識にせよ、自分よりはありそうだ。こうした緊急事態にも慣れているのかもしれない。
しばらくそこで話していたのは、多少涼しくとも朝の空気が心地よかったからでもあり、洞窟よりも開けた場所に解放感があったためでもある。が、ハルの近くにいるのが辛いためでもあったろう。昨日のうちには目覚めるだろうと思ったのに──。
がさがさと足音が近づいてきた。アティスだと見て取ると、二人は弾かれたように立ち上がった。




