第16章 死者への冒瀆 2
「……泥棒は、泥棒なんじゃないの?」
その指摘を口に出すには勇気も時間も必要だった。
が、ケアルの反応はあっさりとしたものだった。
「彼らはこれらをマリッカの物だと考えているさ。彼らの物ではなくね。要するに誰の物でもない」
……何だろう。何か、薄ら寒いものを感じる。
自身を正当化する詭弁なのか。それとも青年にとっては矛盾なく両立するのか。後者の方が空恐ろしいような気がした──根本的に何かが違って、表面的には会話が成立しているように思えても、内実は決して話が通じない、異質な存在であるかのような。
「……俺とハルを、どうする気」
「殺される心配?」
心外だ、という口ぶりだった。
「わたしには人を傷つけたり、殺して楽しむ趣味はないよ。自衛のために致し方ないことはあるかもしれないが」
ここに至って、やっと再びこちらを見る。脅すでもない、安心させるでもない、無表情というわけでもないのに何も伝わってこない顔つきで。
「これ以上何もしないさ。このまま置いていくだけだ」
「このまま……って」
「告げ口されても困るからね。君はともかく、彼は黙っていそうにない」
それは口封じの宣言と聞こえた。直接手にかけるつもりはなくとも、餓死、それとも衰弱死に至らしめるつもりはあるように聞こえた。自衛のためには致し方ないと言っただろう、とばかりの口調や表情をしていれば、はっきりとそう受け取れただろう。だが、単調で事務的な話し方は――それに、殺される心配かと訊き返したときの、心底不本意そうな反応は、その解釈と合致しなかった。
……テミストは本当に無事だろうか。実は囚われていて、物陰や櫃の中にでも隠されているのではなかろうか? いいものを見せてあげるよとでも言いながら、それを見せつけるぐらいのことは、この青年はやりかねない気がする。友人だろう、いいものじゃないかと、本気で思っていかねないような。
「さっきから、うるさいね、君は。不愉快だ」
冷たい目を向けられて、身を固くした。氷のようだというのではない。憎悪に満ちているというのではない。だが、自分にとっては当たり前のものが、何か決定的に欠けているような、薄気味の悪さ。
青年は歩み寄り、かがみ、両手を少年の首にかけた。一連の動きは流れるようで、躊躇いもなかった。
振りほどこうとしなかったのは、速やかな実行についていかれなかったためでも、理解できなかったためでもある。一字一句鵜呑みにしてなどいなかったとはいえ、つい今し方ああ言ったばかりで、まさか。
喉を明確に捕らえた手に、一気に力が入る──のと、ほぼ同時。
カッと床が輝いた。きつい、目映い、黄色い光が石室に満ちた。ケアルは思わず手を緩めて辺りを見回し、晶は咳き込んだ弾みにその手から逃れた。
ややあって、光は一気に、奥の一ヶ所に結集した。フットライトのように照らし出した棺の、重たそうな蓋がごとりと動く。蓋の下からも黄色い光があふれ、その中から──人影が一つ、現れた。
長くまっすぐな黒髪は肩の先まで届いている。一筋だけ、くっきりとした黄色が混ざっていた。まとうのはワンピース、それとも簡素なドレス、死に装束にしてはシンプルながら飾りが何ヶ所かついているけれど、異世界の、しかも領主の娘となればこんなものなのかもしれない。白か、色がついているとしても薄いのだろう、光に染まって黄色く映る。素足かと思えば靴を履いていた。棺の足元に納めてあったのだろうか。
その靴がこつんと石の床に下りた。
叫び声を上げて、ケアルが身を翻した。見繕った収穫を拾いもせずに、一目散に扉に駆け寄り、逃げ出していく。
棺の前にすっくと立ったマリッカは、その様子を見送ったようだった。それから少し首をひねって右手を眺め、次いで反対へ顔を向けて左手を眺めた。マリッカの左方にいた晶は、そのまなざしが自分の上にぴたりと留まるのを感じた――目が合ったようにさえ、感じた。
とてもとても長い時間が過ぎたかのようだったが、実際には一秒もなかったのだろう。マリッカはすいと視線を外し、無表情に、まっすぐに正面を見据えて、静かに足を踏み出した。
こつん、こつん。
靴音が響く。足取りはしっかりとしていた。
こつん、こつん、こつん。
晶の前を通りすぎ、ハルの傍らを行きかけて、止まった。数秒の沈黙。
「応えないわよ」
低い声をしていた。ハスキーな、と評してよいだろうか。
「……いいよ」
ハルが返事をしたことに、その意味に、晶は一拍遅れて気がついた。




