第9章 母を求めて 3
「逸れたわね。母は……わけあって国を離れたの。わたしがエルを離れていた間に。以前世話になった人から聞いた」
今では居場所も知れないという。国を離れて捜し回るほど恋しい母なのかと思えば、晶には幾分羨ましかった。
「エルを離れたなんて、随分遠くまで行ったんだね」
テミストは数秒黙った。
「さっき〈窓〉の話をしてたでしょ」
「聞いてたのかよ」
「聞こえたのよ」
睨まれる。
「わたしは〈扉〉をくぐったことがあるの。……小さかったから、後先を考えていなくて」
「帰れなくなった?」
だから言いたくなかったのだとばかり、渋面を作って少女は頷いた。渋面といっても童顔だから、どうも拗ねているように見えてしまう。
少なくとも四年は前となれば、十歳になるならずであろう。晶に起きているような自動翻訳作用もなかったわけだから、祖国ボイルへの帰還を果たすまでには相当な苦労があったはずだ。いや、奇跡的だろう。助けてくれた人がいたのだとテミストは曖昧に言った。
アキラと似てるね、とハルは目をやった。晶は頷きを返した。
「あなたも〈窓〉や〈扉〉をくぐったの?」
「聞こえてたんじゃないのかよ」
「聞こえなかったわよ、全部は」
漫才のようだと思った、というよりもそう言われそうな気がしたが、相当する概念がエルにないのか、ハルは特に触れなかった。微笑んではいたから、打ち解けたやり取りには聞こえたのかもしれない。
それから少年たちは改めて、晶が魔術に巻き込まれてコルカの近くへ飛ばされてきたことを、掻い摘んで説明した。別世界からと事実を告げては真実味が薄れるだろうと、最初の無理もない勘違いのように、遠方の地からと少しだけ嘘を吐く。帰る手段を得るためにロアーデルの館を目指している事情を告げれば、少女は食らいついた。
「わたしも行く」
一緒に行かせてと頼むかと思いきや、きっぱりと断言、宣言であった。そういう意図があって話したのだから、晶にもハルにも否やはなかったが。
「やっとのことで帰ってきたら、お母様がいないんだもの。こんなのないわよ。……会いたいの」
祈るように、少女は両手を組み合わせた。
「あいつの方、優先してやって」
自分たちの部屋に戻ってから、晶はハルにそう告げた。自分よりもずっと真剣で、ずっと切実な願いである。
「アキラがいいなら。でも、そもそも競合するかな」
「〈門〉の行き先を決めるアイテムなんだろ? 母親のいるところに行きたい、ってやれば行けるんじゃないの」
「……ああ、そういう風に指定できるかもしれないのか」
「な。だから、手に入れた後で最初にみつけた〈門〉はあいつに使わせてやろう」
それが一番よい。テミストのためばかりではない、自分の帰宅も先延ばしにできる。
わかった、と頷くハルには、そんな思惑は知る由もあるまい。そう思えば少々罪悪感も湧いて、晶はそそくさと話を変えた。
「あのさ、さっき言ってた四年前って何」
これはこれで気になっていたのだ。
ハルは寒さから身を守るときのように、両手でおのれの腕を握った。
「魔術師になり済まして、マリッカを騙った人がいたんだ」
各地の盗賊を飛び回り、討伐していた時期だった。マリッカを救い主と見る人々は増えつつあった。けれども顔を知らぬ人々も多かったから、贋のマリッカはそうと悟られずに歓迎され、感謝を込めたもてなしを受けた。
合点が行った、と思った。魔術師を装うというのは、ハルにとって一際許しがたいことだったのだろうと。
「マリッカが断罪する必要はなかったよ。マリッカと信じた人たちが、盗賊の根城に向かわせたから。本当は魔術師でも何でもない、普通の女の人だったから……」
けれども、そう続いたことからすると、個人的な思い入れのためばかりでもなかったらしい。
敵うはずもなかったとも、その結果どうなったとも、口には出さなかったけれど。
「……まあ、ヤバいことになる前に止められてよかったな」
晶はテミストのことを言った。ハルは一つ瞬きをしてから微笑した。
「あの子はアキラに感謝しないとね」
「え、俺?」
「気がついたのアキラじゃない」
その点に関しては、そうだが。
自分の手柄を主張したのではないのになと晶は頬を掻く。否定するほどのことでもないし、かといって返事にも困るので、適当に笑み返して誤魔化した。




