第9章 母を求めて 2
食事を終え、後は引き上げるだけという段になっても、少女が取りに戻ってくることはなかった。二人は何となく見交わし合う。宿屋の主人に預けてもよい、直接届けに行ってもよい。手間というほどでもないし、それで迷惑を被ることもないだろう。何なら無視してもよい。ただ、気にはなった。幼くして一人旅に出られるような魔術師が、杖を置き忘れた上に、そのことに気づかない――どの程度妙なことなのか、晶にはよくはわからないのだけれど。
晶は杖を取りに行った。ハルに示せば眉をひそめる。
「これ、ただの杖だ。魔術に関わりがない」
歩行は助けても魔術は助けない、見た目以上の機能を持たない杖だと、杖頼りの魔術師は告げた。
「魔術師じゃなかったってこと?」
「それにしては魔術師然とした格好をしてたね」
なり済ました? ……何のために?
本人に訊こうか、とハルは呟き、少女の部屋を主人に尋ねに行った。思い成しか顔つきは険しいようだった。
訪れた部屋の扉を叩くと、何でしょう、と訝しげな返事があった。忘れ物を届けに、と答えれば、考えるような間が少し。
「あ! ――すみません」
少女が扉を開ける。いささか大きな瞳は、ローブと似たような、赤みの強いオレンジをしていた。
制止の気配がなかったので、晶はそのまま杖を渡した。ちょっといいかな、と少年魔術師はそこで口を開く。
「その杖は何に使うの?」
瞬時に警戒が走り、少女は杖を握り締めた。
「何か、気になったかしら」
ハルは掌で招くような仕草をした。と、見えない手がつかんだように、合わせて杖がそちらへ動く。少女はきゃっと声を立てて、慌てて引き戻した。
「どういうつもり、魔術師を装って。四年前を知らないの」
まなざしを据えつけて本物の魔術師は問う。
「……生憎と四年前はエルにいなかったわ」
声は震えたり上ずったりこそしていなかったが、緊張を隠し切れてもいなかった。
「じゃあ覚えておいて。仕事や生まれを騙るのとはわけが違うよ」
「ああはい、わかったわ。余計な興味を持たれたくなかっただけだもの。魔術師でもなければ、あたしぐらいの、それも女の子が一人で旅なんかしないでしょ」
人を捜しているのだと、渋々といった調子で答える。それからはっと目を瞠った。
「魔術師だったら捜せない?」
鋭く切り返されたかのように、ハルは詰まった。厳しかったまなざしが一気に揺らぐ。
「僕は……僕の知ってる人じゃないと、無理かな。普段なら知り合いを紹介するところだけど、今はその人がそれどころじゃないだろうから」
「……そう」
少女は肩を落としたが、引かなかった。
「無理に手伝えとは言わないから、話だけでも聞いてくれない? 何でもいいからわかることがあったら教えてほしいの」
手懸かりがほとんどないんだもの、と眉を寄せる様子は、疲れているようでも困っているようでも落ち込んでいるようでもあったけれども、苛立っているようでもあって、途方に暮れているとまでは行かなかった。
ハルは晶を見た。
「僕は構わないけど」
「って、俺はどうこう言える立場じゃないし」
自分は助けられていながら、他の人間を助けるなとは言えない。自分が助けられている上に、他の人間も助けろとも言えない。
気が変わらないうちにと急くように、入って、と少女は扉を大きく開けた。
少女は先にハルの名を問い、晶の名も聞いてから、テミストと名乗った。
「ボイルから来たの。不吉でしょう」
自嘲のような苦笑いに、晶は首を傾ける。知らないの? と今度は少女が尋ねた。
「ボイルの領主の、一人娘の名前だよ。三番目の奥方の子供。生きてたらマリッカと同じぐらいだった」
「え、まだいたの」
「五年前かしら? 母親のテュカがクレイ――前の妻が産んだ跡取り息子を殺そうと画策して、それが裏目に出てテミストの方を死なせてしまったの。テュカは追放されたわ」
不吉でしょう、と少女は再び言った。コトのときと大体同じじゃないかと晶は思う。
領主の娘に肖った験のよい名前だったのに、おかげで反対になってしまってあれこれ言われたものだとぼやいてから、こちらのテミストは手を振った。




