第6章 当座の目標 1
コトって何、と訊けたのは、ハルが書庫に戻ってきてからである。正確には、改めて水を取りに、今度は二人で台所に向かう途中だった。
相談したいことがあると言って伯母と一緒に姿を消してしまったから、晶は一人で引き返す破目になった。ああした目に遭った後でそれはきつかった。水を忘れたことに、また喉がからからになっていることに気づいたが、一度書庫へ戻ってしまうともう一度外へ出るのは恐ろしくて、我慢することを選んで辛抱強く待ったのだ。あの伯母に育てられてこの館で育った少年にはその辺りの感覚が共有できていなかったようで、気がつかなかったとすまなそうに謝られた。そんな顔をされては怒りにくいし、それよりも渇きを癒やすのが先だと追及しなかったけれど、怒りにくいような顔をしてみせたことにはいらつかないでもなかった。
「マリッカの敵?」
「敵じゃあないよ。マリッカの姉上の、婿君の継母」
姉上いるんだ、と補足が入る。
「あれこれ画策して追い出した継子が、よその領主の娘婿になって行く行くは後を継ぐなんて、きっと気分悪いでしょ。だからといって手を出したらマリッカが黙ってない。少なくともコトはそう考えておかしくない」
「それがおまえにも関係するわけ?」
「……まあ、もし、僕とマリッカの関係を知ったら……」
歯切れ悪く呟いて、溜め息を吐いて首を振った。
「つまりね、気に食わないけど勝てない相手の代わりに、その人と縁のある勝てそうな相手に腹癒せをする、っていうことがあるでしょ。マリッカに比べれば、そりゃあ勝てそうに見えるだろうから」
「そんな遠い話なの?」
「遠い話なの。ごめんね、そんな万一の可能性のためにあんな目に遭わせて」
ラリサはハルを試したのだ。晶の危機を認識して対応できるかどうか。晶に対して、降りかかりうる危険を教える意味もあったのだろう。
だが、実際にその危険が降りかかる可能性は、存外低かったらしい。大体、姉弟弟子という関係は、どういうときに他人に知られるものか。
「……俺マジで死ぬかと思ったんだけど」
「怖くなった?」
ハルはどこか寂しそうだった。
「アキラにはここで待っててもらって、僕が帰り方を探しに行ってもいいよ」
「え、待つってここで?」
それも気が休まりそうにないのだが。
「いや、まあ、でも……事故に遭うぐらいの確率だろ」
遭いたくても遭えない、事故。どうせ起こるのなら、自分の身に起こってほしいこと。死にたくなどない、もっと生きていたい人間を襲うぐらいなら、自分を見舞えばよいのにと思うこと。
……うん、コトってやつに殺されたって、それならそれで別にいいんだな。苦しいのはちょっと嫌だっていうか、結構きつかったけど。しばらくすれば終わるわけだし。
そんなことを考えられるのは、今現在の呼吸に差し障りがないためであったろうが。
「俺も行くよ。引っ込んでてもつまんないし」
そうとだけ告げた。死んだって構わないから、と馬鹿正直に口にすることはない。そうでなくても困らせる返答だろうに、慕わしい相手を亡くして間もない人間に言うことではない。
思いなしか嬉しそうな笑みが返ってきて、伯母による評価を思い出す。まあいいんじゃないかな、恩着せがましくしてくるでもないし。
「で? そのこと相談してきたの」
「うん。結論から言うとね。ロアーデルの館に行けば、あるかもしれない」
台所に着いて、ハルは扉を開けた。
「ある本を読んだ限りでは、現れた〈門〉の行き先を操作する理論は完成されているみたいだったし。別の本を見ると、そのための道具の試作品はできてるみたいなんだ。あとはそこに、〈門〉自体を発生させる機能を組み込もうとしてたんだと思う」
それが成功したという記述はみつけられていない。ロアーデルにとっては未完成に終わった研究だったのかもしれない。だが、自在に〈門〉を造り出すという贅沢なことを望まなくても、行き先を思い通りにできるなら十二分である。




