第32章 喪失 4
「俺を知ってるの?」
──初対面だと仮定すれば、十分に友好的な口調ではあったけれど。
よそよそしい第一声に、目を瞠り、青年を振り返る。
「記憶が一切残っていない」
青年はあっさりと告げた。
原因は問うまでもなかった。それが代償だったのだ。願いの実現と引き換えに、秘宝は記憶を消し去ったのだ。
少年は幾分不安そうに、しかし落ち着いていた。自覚してすぐはどうだったにせよ、今は理解し、また受容しているようだった。取り乱す段階も嘆く段階も、とっくに通りすぎたようだった。
秘宝の効果であれば、絶対だ。生まれ故郷で送った半生も、エルで過ごした日々も、その末に叶えた願いが何であったかも、積み重ねも、思い出も、想いも、すっかりなくなってしまったのだ。
幾分心細げな少年を、少女はみつめた。
「でも……アキラよね?」
「これが言うにはな」
レイが示したのは、晶が折ったあの紙飛行機である。ハルは助かったよ、帰ってきて、とテミストが声を乗せて飛ばしたそれを、マリッカたちは追ったのだった。
「おばさまにも確かめられる」
同意を求めるようにハルが見上げ、マリッカは頷いた。ラリサは本質を見抜くのだ。姿形のよく似た別物ではないことを、きっと保証してくれるだろう。
テミストは晶の手を取った。黄緑色の爪が見て取れた。
「あなたはあたしの友達よ。……酷いことを……悪いことをしたあたしを、それなのに守ろうとしてくれた友達よ」
「君は異なる天の下から来たの。君自身はよく『別の世界』っていう言い方をした」
ハルがテミストの隣りに立つ。
「故郷へ帰るなら、改めて余計な思い入れを作らない方がいいと思う。だから、君は僕たちに対して線を引いた方がいいかもしれない」
隠すわけにもいかないと判断したのだろう。本音を言えば、テミストは黙っておきたいとも思ったことだけれど。
躊躇って、口を閉ざして。それからにっこりとした、その目元が光る。
「でも、僕は君にまた会えて嬉しいよ。──僕は、ハル」
「……ハル」
少年は反復し、それから少女に視線を戻した。
「テミストよ」
「テミスト」
味わうように口にする。首を振った。
「ごめん、やっぱ思い出さない」
「いいよ。僕らが覚えてる」
気負わずにあっさりと言い切ったのが、心強く頼もしく聞こえた。
倣うように、笑いかける。
「それに──これからがあるわ」
ハルの忠告には反していただろう。が、ハルとて望みは同じはずだ。願いは変わらないはずだ。
つられるようにおずおずと、晶も頬を緩ませる。見慣れた笑い方とは違ったし、面差しも佇まいも思い成しか変わってしまったけれども、確かに晶だとどこか感じさせた。
相談するようにマリッカとレイを見返ったのがいささか気に食わなくて、テミストは手を引いて館の方へ歩き出した。戸惑う晶の背にハルが手を添えて、座れるところに行こうよ、と解説するような言い方で補う。千梨がしばし〈鍵〉を眺めてから、肩を竦めて両手と一緒に体の後ろへ回すのが、視界の隅にちらと捉えられた。




