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何を願って  作者: 文絵
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第1章 ここでないどこかへ 1

 最後の景色に悪くない。


 川といってもここまで来ると流れているのはコンクリートの間になる。幅は広いが浅いようで、水面は道路より遙かに低い。銀色のフェンスを乗り越えて落ちれば、溺れる代わりに足を折ることになりそうだ。叱られた後のようにゆっくりと、海堂晶(かいどうあきら)は川沿いの散歩道を歩いていた。


 煉瓦ともタイルともつかない、地味な薄緑や薄桃の正方形が足元を埋め、フェンスのこちらや車道の手前は植え込みになっていて、所々にベンチがあり、街灯も立っている。植え込みまで含めた散歩道の幅は、大人が三、四人並んで歩けそうなほどで、寄り添う車道より広いかもしれない。よく繁った木の葉も流石に天井代わりにまではならず、少し目を上げれば夕暮れの空は、東の果てから徐々に藍色へ変わりゆく頃合いだ。決して田舎ではないが都会にも至らない空には、小さな蝙蝠が飛び交っている。


 最期の場所に悪くない。


 十代半ばにも至らずして考えるようなことではない、とは今の時代には言えないかもしれない。尤も、現実的でない想像ではあった。この道を通る自動車はさほどのスピードは出すまいし、こう人通りが少なくては通り魔も暴れ甲斐がなかろう。急な発作で倒れるには、晶は健康体だった。


 背は高くなく低くなく、黒髪は長くなく短くなく、体格は逞しくもひ弱でもない。やや細い目は鋭いというよりもひねくれた風で、頬は幼い瑞々しさを年齢相応に捨て去り始めている。別に散歩好きというわけでもなかったが、家にいるのも好きではないし、誘い合う友人もいなければ、一人で遊び歩くだけの小遣いもない。自然公園のそばから川に沿ってゆっくりと下り、大通りを越えてしばらく行くと高架の線路にさしかかる、その辺りで折り返してゆっくりと遡れば、かなりの時間をやり過ごせるのだった。


 交通事故や通り魔のニュースだとか、病気と闘う患者の話だとか、見聞きすると複雑な気分になる。死ぬつもりなどない者が、生きていたいと願う者が、あるいは突然、あるいは徐々に、人生を奪われるぐらいなら、自分の身に起こればよいものを。死にたい、死のうと積極的に思うことはないものの、失いがたい日々ではないのだ。


 自殺に踏み切れるのは勇気ある人間だ、譬え間違った勇気であろうとも。心痛むのは寧ろ助かってしまった場合、特に止められてしまった場合。人生最大の決意が空振りに終わる。死ねれば集まったはずの憐れみも同情も非難に変わってしまう。


 そんなことを考えながらの一人歩きは、日課でもないが稀でもなかった。一人でいることが多ければ考えごとも多くなる。誰に告げるでもなく何に繋げるでもなく、ただただ一人思索に耽れば、明るいよりは暗い、前向きよりは後ろ向きな、建設的よりは退廃的な結論に落ち着きがちだった。


 足音がして意識を向けると、待ち合わせにでも遅れたのか、高校生と思しき少女が携帯電話片手に走ってきた。結んでいない明るい茶髪が派手に揺れ、鮮やかなのであろうグリーンのポロシャツは、迫る夕闇にくすんでいる。間違っても死の使いにはなりそうになかった。晶は右へよけ、少女は携帯電話を見ながら器用に反対へよけた。


 すれ違って一秒ほど、金属の落ちる微かな音を、捉えて晶は足を止めた。銀色の鍵とキーホルダーの鈴が街灯にきらめいている。


「あの、落ちましたけど」


 ポロシャツの背をつかまれたように、少女は止まり、振り向き、晶を見、地面に目をやった。晶は戻って鍵を拾い上げた。あ、と少女も戻ってくる。こちらも身長は平均的だが晶には高く思える。瞳が大きく愛嬌ある顔立ちであった。


「はい」


「ありがと」


 少女の掌に鍵を置く。微笑み交わしたことに深い意味はなく、それきりで互いに背を向けた。軽やかな靴音が再び離れていく。


 ことん、と一際高く鳴って、止まった。晶は何気なく振り返った。


 ――赤く透き通った人の姿が、少女の前に立ちはだかっていた。



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