ロッカー
僕が目を覚ました時、そこは自宅のベッドの上ではなかった。
だからといって友人の家でもなく、教室の机に伏せていたわけでもない。
僕は制服のまま、硬いタイルの上で横になっていた。
立ち上がって辺りを見渡すと、周りにあったのは、壁に沿って並べられているおびただしい数のロッカーだった。
特に見た目には特徴が無く、ごく一般的なねずみ色のロッカーが左右に隙間なく置かれている。
前を見ても後ろを見てもただただ並べられたロッカーが続くだけで先が見えず、まるで廊下が永遠に続いているようにすら見えた。
一体ここはどこなんだろう?
僕はここに来る前、どこにいて、何をしていたんだろう?
考えたが、わからなかった。
出口も入口もわからなかったが、とりあえずどちらかに向かえばこの通路を抜けられると思い、僕はこの道をを真っ直ぐ前方に進んでみることにした。
白い天井に等間隔で並べられた蛍光灯が、眩しい位に僕だけを照らしている。
ロッカーだというのに人間がいたようや臭いは全くせず、まるで無菌室を歩いているようにも思えた。
こつ、こつ、と自分の靴音だけが響いた。
体感時間で10分位歩いた気がするけれど、ロッカーは相変わらず規則正しく並んでいて、それでいて出口は見えない。
僕はひたすら歩き続けた。
もしかしたら、進む方向が逆なのか?
そう考えた僕は、くるりと後ろを振り返ってみた。
景色は全く変わらない。
しかし、もしかしたらこちらが正解なのかもしれない。
一度そう考えると戻った方がいい気がしてくる。
僕は、今まで歩いてきた道を引き返した。
倒れていたところがどこかすらわからなかったが、とにかく歩いた。
足が痛かった。
喉も乾いてきたし、何も変わらないこの景色に不安を覚えた。
もうこのロッカーしかない縦長い通路を何十分、いや、何時間歩いたかわからない。
ここは無限回廊なんかじゃないかとも思えてくる。
僕は一度立ち止まって、息を吸う。吐く。
そしてもう一度息を吸って、声を出す。
「あの、誰かいませんか!」
長い廊下で自分の声が響く。
耳を澄ましてみるが、何の返答も無い。
駄目か。
僕は、またロッカーが並べられただけの通路を進むことにした。
しかしその時。
突然後方から鉄を叩くような音が何度も聞こえてきて、僕は驚いて肩を震わせた。
後ろを振り返るが、誰もいない。
もしやと思い、僕は左右のロッカーを交互に見る。
このロッカーの中に、何かいる?
僕は一つのロッカーに近づく。
鍵はどれもさしっぱなしだったので、簡単にロッカーは開くだろう。
僕は怖かったけども息を飲み、ロッカーの扉をゆっくりと開いた。
中には……何も入っていなかった。
一応隣のロッカーも開く。
何もない。
その隣も、その隣も、中には何も無かった。
鉄を叩くような音はもうしない。
僕の気のせいだったのかもしれない。第一、ロッカーの中に誰かいるわけない。
中に誰かいたとしても、鍵がささっているのだから自分で内側から開けられるじゃないか。
僕は、また通路を進むことにした。
少し恐怖もあったが、やっと変化があったので、僕は少しだけ安心もした。
しかし、このロッカーはどこまで続くんだろう。
なんでこんなにも続いているんだろう。
誰が、何の為に僕をこんなところに……。
そんなことを考えながら歩いていると、目がチカチカとした。
天井を見上げると、蛍光灯の何本かが既に寿命なのか点滅している。
そのまま歩き続けると、やがて蛍光灯が数本ずつ消えていき、やがて僕の歩いているところは真っ暗になった。
進むか、戻るか。
僕は少しだけ怖かったが、もう戻っても何もないだろうと思い、立ち止まらなかった。
光の無い真っ暗な通路を、僕はいつのまに早足で進んでいた。
何も見えない。
自分の靴音以外何も聞こえない。
時々左右に寄って触れてみるが、鍵のついた金属のそれは、やはりロッカー以外の何物でもなかった。
「はぁ……」
僕は大きなため息をつき、その場にへたりと座り込んだ。
ああ、どうして僕がこんな目に遭わなきゃならないんだろう。
早く帰りたい。
早くここから出たい。
早く……。
「……?」
僕は耳を澄ました。
何か聞こえた気がしたからだ。
それは、靴音だった。
後方から僕がいるところに向かって、誰か来ている。
やった、きっと僕を助けに来てくれたんだ!
……待て、本当にそれは味方か?
暗闇の中をライトもつけず、ずっと歩いてきて……。
もしかしたら僕に恨みがある誰かで、僕を消そうとしているんじゃないか?
ここで殺してロッカーに入れてしまえば、きっと誰にも見つけられない。
まずい!
靴音はだんだん近づいてくる。
僕は立ち上がり、走り出した。
そして僕が逃げることに気が付いたのか、相手も僕を追って走り出した。
得体の知れない何かが追ってきている恐怖に僕は耐えられなかった。
……そうだ!
一旦、ロッカーに隠れてやり過ごせばいい!
僕は焦りながらも、ロッカーを開けたことを悟らせないよう静かにロッカーを開ける。
そしてその中に入り、恐怖で目を瞑った。
追っ手の足音は、僕の近くで止まった。
怖い。僕はまだ、死にたくない。
追っ手は僕のいる反対側のロッカーを開いたようだ。
開けられたら、最後だ。
僕は震えながらも、必死で息を殺した。
数個のロッカーが開けては閉められ、開けては閉められていく。
僕がいる側のロッカーも開いた。
だが、ため息とともに相手は去って行った。
なんとかやりすごしたようだった。
僕は安堵の息を漏らす。
しばらく経ったが追っ手は戻ってくる様子が無く、僕はロッカーの中でこれからどうするかを考える。
今まで来た道を引き返すという結論が出た。
暗いと相手を確認できないし、きっとこっちは行き止まりだ。
僕はそう思い、ロッカーを出ようと立ち上がり、片手でロッカーの扉を開こうとする。
開かない。
「……え?」
ロッカーの扉を押す。
開かない。
僕は両手を使い、ロッカーを押す。
開かない。
何故だ!
鍵はささっているはずなのに!
僕は内側の扉に触れ、なんとか開かないか鍵穴の反対側を触った。
しかし金属で覆われているのか、開かなかった。
僕は真っ暗な、狭い闇の箱の中に閉じ込められた。
時間の感覚などとっくに狂っている。
一日なんかじゃきっと足りない。
二日、三日、四日……もっと経っているかもしれない。
僕はロッカーの中で体を丸め、ぼんやりとしていた。
涙はもう枯れきっている。
僕は死ぬまでこの中にいるのだろうか?
嫌だった。
でも、もうそうなるような気もしていた。
誰か、助けて……。
意識が朦朧とする中、こつ、こつ、と靴音が響いたのが聞こえた。
そして靴音が止む。
「あの、誰かいませんか!」
ロッカーの外で誰かの声が響く。
声?
助けに来てくれた?
「……! ……っ!」
僕は叫ぼうとした。
しかし喉が枯れ、声が擦れて言葉にならない。
僕は最後の力を振り絞り、ロッカーを叩く。
そして一つのロッカーが開かれる。
そのロッカーは、僕の入っているロッカーでは無かった。
でも、近い。
近い、けど……。
僕はもうロッカーを叩く力は残っていなかった。
ロッカーが開かれ、閉じられる音が数度する。
結局僕のロッカーは開かれることはなく、靴音は廊下の奥へと消えて行った。
薄れていく意識の中僕は、さっきロッカーを開けていた誰かを憐れんでいた。
END
読んでいただいてありがとうございました。
七月に書きました。
前に夢で見た光景を若干アレンジしてSSにしてみました。