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赤い瞳で悪魔は笑う(仮題)  作者: tei
ep1.病院と兄妹
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 どこかからか、ピアノの音色が聞こえてくる。懐かしいメロディー。

 iPodから削除したくて、でもどうしても削除できずに残してしまった、長い間聞いていなかった、曲。

 どこから……。

 僕は、顔を上げる。

 ピアノの前には、母さんが座っていて。その隣に立って、楽譜をめくっているのは父さんで。そしてその音色に合わせて、雪花は――……幼い雪花は、歌っていて。

 僕は、その雪花を。小さな可愛い雪花を、膝の上に乗せて、笑っていた。

 そう、皆笑っていた。

 とても、幸せだった。

 父さんも母さんも、雪花も僕も、この頃は皆。

 ――……それなのに……。

 皆と一緒に笑う僕の頬を、涙が伝う。

 幸福すぎて。

 失ったモノが余りにも大きかったことに、今、ようやく気がついて。

 この光景は、一体いつ、失われてしまったのだろう。もう、この頃には、戻れやしないのだ――永久に。

――お兄ちゃん? 泣いてるの?

 僕の膝の上の雪花が、僕を見上げて、歌うのを止める。

――コトミ……、どうしたの? 急に泣いたりなんかして。

――どうしたんだ? どこか痛いのか?

――お兄ちゃん、泣かないで……。

 皆、それぞれの手を止めて。作業を中断して。僕の周りに、集まってくる。

 大丈夫、ただ、幸せすぎただけ。

 失われてしまった日常と幸福に、少し酔っただけなんだ。

 だから、――大丈夫。

――お兄ちゃん、泣かないで。

――コトミ。

――コトミ……。

 父さんが、頭を撫でてくれた。母さんが、抱きしめてくれた。雪花が、僕の涙を拭ってくれた。

 あの頃の僕は、なんて幸福だったのだろう。

 当たり前を当たり前として、享受していた。

 幸福は、いつでも決して、無くなったりなどしないと。

 ああ、そうか。

 そうだったのか。

 僕の心は、欠けていたわけじゃないんだ。ただ、麻痺していただけ。幸福がいつのまにか消えていたことに、必死で気付かないフリをして、それで自分の心を封じた気になっていただけ。

 本当はずっと、痛み続けていたのに。

 本当は、思いっきり泣きたかったのに。

 本当は、悲しくて悲しくて、仕方なかったのに。

 雪花のためと言いながら、自分に嘘をつき続けて。

 心を開く方法すら忘れるほど、長い間、ずっと。

 でも、そうだ。

 もう――……

 大丈夫だ。

 大丈夫だよ、雪花。

――本当?

 幼い雪花は、心配そうな黒い瞳で、僕を覗き込む。

 うん、本当。お兄ちゃんは、もう、大丈夫だよ。

――うんっ。

 嬉しそうに。雪花は笑って、僕に抱きつく。

 そうだ、今なら。今からなら。

 やり直せないこともあるけれど。やり残してきたことも、たくさんあるけれど。

 でも、今からでも、できることはたくさんある。

 償いなんて、大層なモノじゃないけれど。

 雪花のために、そして僕自身のために――……

 生きていこう。


 そうして、僕は眼を開いた。隣には雪花がいて、僕の手をきゅっと握っていた。

「お兄ちゃん……!!」

 ああ、あれは夢、だったのか。それもそうだよな。

 だったら、……ここは、現実。

 僕は、生きている。

「……ただいま、雪花」

「…………!!」

 雪花は、涙でぐしゃぐしゃの顔を僕の胸に押しつけて、笑った。

「おかえりなさい、お兄ちゃん」

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