第7話 蒸留器とパッケージ
フィーナは机に突っ伏しそうになりながら、
描き散らした紙の山を前にため息をついた。
机の上には、色鉛筆で描かれたパッケージ案が何十枚も積み重なり、
もはや作品というより地層のようになっている。
その地層を前に、フィーナは魂が抜けそうになっていた。
「……だめだ。どれもピンとこない……」
四枚だけを選んで並べてみるが、どれも決め手に欠ける。
見すぎて目が麻痺してきたのか、良し悪しすら分からなくなってきた。
(気晴らしに散歩でも行こうかなー)
そう思って立ち上がり、玄関へ向かったところで、
ミイナがぱたぱたと駆け寄ってきた。
「お嬢様、ハーヴェイ様がお戻りです。作業スペースに来てほしいと」
「え、もう? わかった、行くわ」
さっきまでの疲れが一瞬で吹き飛ぶような気がした。
フィーナはスカートを整え、作業スペースへ向かった。
扉を開けると、そこには数人の村人が集まっていた。
あの瓶の売り子の女の子も、緊張した面持ちで立っている。
そして中央には──見たこともない金属の装置が鎮座していた。
「……これ、なに?」
フィーナが思わず声を漏らすと、グレイが振り返った。
「蒸留器です。王都の工房で5台、作ってもらいました。
低温でも蒸留できるような構造になっています」
近づいてみると、細い管がいくつも曲線を描き、
丸い釜と冷却器が巧妙に組み合わされている。
まるで芸術品のような美しさがあった。
「すごい……これで作るんだ……」
思わず息を呑むほどだった。
「今日は、この装置の調整を行います」
グレイの言葉に、村人たちが期待に満ちた表情でうなずく。
滝の湧き水を樽に満たし、ミストラ草を丁寧にセットする。
「では、始めます」
グレイが火加減を調整し、管の角度を慎重に合わせる。
蒸気がふわりと立ち上がり──
……しかし、ぽたぽたと落ちるはずの雫は、まったく出てこなかった。
「えっ……出てないわよ?」
フィーナが思わず声を上げる。
「……おかしいですね。温度は合っているはずですが」
いつも冷静なグレイが、ほんの少し眉を寄せた。
村人たちがざわつき、瓶売りの女の子が心配そうに覗き込む。
「角度……ですかね?」
「いや、ここではないはずです」
二度目の調整。
しかし、またしても失敗。
「……っ」
グレイの表情に、珍しく焦りが浮かんだ。
(彼が……こんな顔するなんて)
胸の奥が、理由もなくざわついた。
三度目。
グレイは深く息を吸い、装置全体を見渡し、
火をほんのわずかに弱めた。
「……これで」
蒸気が立ち上がり、管の先に透明な雫が生まれる。
ぽたり──
「出た!」
村人たちが歓声を上げ、瓶売りの女の子がぱちぱちと拍手した。
グレイはほっと息をつき、ふっと笑った。
その笑顔に、フィーナの心臓が跳ねる。
「これで蒸留は問題なさそうです。
皆さん、他の蒸留器も同じように作動してください。
調整しながら一番いい濃度を探しましょう……」
ミストラ草の香りが部屋に満ちていく。
生えているときよりも澄んでいて、どこか凛とした香りだった。
「……いい香り」
フィーナはほてった頬を、漂う香りに紛れさせるようにそっと撫でた。
濃度の調整が終わり、作業がひと段落したころ。
グレイが手元の記録を閉じ、フィーナへ視線を向けた。
「フィーナ嬢、パッケージのほうはどうですか?」
「あっ……!」
フィーナは紙の山を思い出し、頭を抱えた。
「そうだった……! まだ迷ってて……」
「ハーヴェイさん……もしよかったら、少し見てもらえないかしら。
あなたなら、何か気づくことがあるかもしれないし」
グレイは静かに頷いた。
「……わかりました。拝見します」
グレイは部屋に足を踏み入れた瞬間、思わず目を瞬いた。
机の上にも床にも、色とりどりの紙が散乱している。
(……これを一人で?)
グレイは机の上に散乱している紙をみて、
「ずいぶん描きましたね」
「ええ。でも……どれも“これだ!”って思えなくて」
フィーナは四枚を差し出した。
1枚目──湧き水の周りに様々な色の花を散らした、可憐で細かいイラスト。
2枚目──水の精霊をイメージした、可愛らしいポップなデザイン。
3枚目──領地の山と森を背景に、中央に大きなしずくを置いた豪華な構図。
4枚目──ミストラ草の花束。
グレイは一枚ずつ丁寧に目を通し、静かに問いかける。
「フィーナ嬢。
あなたは、このハーブウォーターで何を伝えたいですか?」
「え……?」
「可愛さですか。豪華さですか。
それとも、領地の自然の豊かさでしょうか」
フィーナは言葉に詰まった。
(伝えたいこと……?
そんなこと、考えたこともなかった)
グレイは続ける。
「あなたが心から大切にしているものを、
まずは思い浮かべてください。
それが答えになります」
フィーナはゆっくり目を閉じた。
思い浮かんだのは──
滝から流れる湧き水。
黄金色の小麦。
揺れるミストラ草。
領地の人々の笑顔。
(……そうだ。私が伝えたいのは……)
フィーナは新しい紙を取り出し、小麦の細い茎を一本描いた。
その隣に、淡い紫の花をつけたミストラ草を一本。
二つの根元がそっと触れ合うように交差している。
交差した根元の下に、
フィーナは淡い青の筆をすっと走らせた。
細い水の流れが、二つの植物をやさしく包み込むように広がっていく。
滝から生まれた清らかな水が、大地を巡り、
小麦とミストラ草を同じように育んできたことを示すように。
水の恵みが大地を、領民を守っているかのように。
「……これだわ」
フィーナが最後の線を引き、そっとペンを置いたとき、
グレイは静かに口を開く。
「……とても良い。
あなたが大切にしているものが、形になりましたね」
フィーナは少し照れたように紙を見つめる。
グレイは続けた。
「これは、あなたにしか描けない」
「これでいきましょう!」
「ほんと? やったわ!」
勢いよく立ち上がった瞬間、足元の紙がつるりと滑った。
「きゃっ──」
「フィーナ嬢!」
グレイが咄嗟に腕を伸ばし、フィーナの腰を支えようとした。
だが勢いを殺しきれず、そのまま二人は後ろへ倒れ込んだ。
フィーナの身体は、グレイの胸の上に落ちるように覆いかぶさった。
(……え?)
グレイの胸は意外と硬く、しっかりとした筋肉があった。
いつもは細く見えるのに、近くで触れると全然違う。
二人の顔が、驚くほど近い。
グレイの灰色の瞳が、真っ直ぐにフィーナを見つめていた。
(……こんな目、するんだ)
時間が止まったように感じた、そのとき──
「……お嬢?」
ドアがきしむ音が、やけに大きく響いた。
少し開いていたドアが開き、リューが入ってきた。
沈黙。
リューの視線が、二人の体勢をゆっくりと確認する。
眉がぴくりと動いた。
「……何してんだ?」
低い声が部屋に落ちる。
フィーナは慌ててグレイの上から飛び退き、スカートを整えながら立ち上がった。
「ち、違うのよリュー!私がよろけたところを、ハーヴェイさんが支えてくれただけ!」
「ほんとかよ?」
リューは鋭い目でグレイを睨む。
グレイも負けずに睨み返した。
「事実だ。誤解されるのは心外ですね」
二人の視線がぶつかり、空気がぴんと張りつめる。
(や、やめて……!)
フィーナは慌てて話題を変えた。
「リュー、なにか用事だったの?」
「ああ……そうだ。子爵様が戻ってきたから呼びに来たんだ」
「お父様が?」
胸の奥がざわついたまま、急いで応接を出た。
執務室では、父が資料を広げて待っていた。
「やあ、フィーナ。ハーヴェイ君も、進捗はどうだい?」
グレイも後ろから入り、父に丁寧に頭を下げる。
「湧き水とハーブ畑の選定は完了しました。蒸留器の試作も成功し、量産の準備に入っています」
「そうか。よくやってくれた。──引き続き頼むよ、二人とも」
父は満足そうに頷き、次にフィーナへ向き直った。
「私が来たのは、これをフィーナに届けに来たんだよ」
差し出されたのは、一枚の封筒。
白地に金の縁取り、封蝋には王家の紋章が刻まれている。
「なにこれ……?」
フィーナが封筒を手に取ると、父は表情を引き締めた。
「王都で開かれる舞踏会の招待状だよ。
第三王子殿下の主催でね。参加しないわけにはいかない」
「第三王子……殿下……?」
フィーナは思わず息をのむ。
父は続けた。
「舞踏会は二週間後だ。準備が必要だろう?」
父は立ち上がり、穏やかだが逆らえない声で告げた。
「迎えに来たんだよ、フィーナ。支度をしなさい。王都へ向かうぞ」
その言葉に、フィーナの胸はざわめいた。
「お父様……でも、パートナーがいないし……」
「心配いらないよ。私が一緒に行く。父娘で参加しても問題はない」
「でも……こっちの作業がまだ……」
視線が自然とグレイへ向かう。
グレイは淡々と話す。
「だいたいのことは決まりましたし。こちらの作業は、私の方で進めておきます」
「でも……」
「ご安心ください。フィーナ嬢が戻る頃には、量産体制を整えておきます」
その言葉は、まるで行ってきてくださいと背中を押すようだった。
フィーナは唇を噛んだ。
(……行くしか、ないのね)
父が差し出した招待状を見つめる。
白地に金の縁取り、王家の紋章。
胸の奥がきゅっと締めつけられる。
(舞踏会……もしかしたら、エドガー様とアナスタシアに会うかもしれない)
婚約が破棄された日の、あの冷たい視線が脳裏をよぎる。
(会いたくない……でも、逃げるわけにもいかない)
フィーナは深く息を吸い、ゆっくりと頷いた。
「……分かりました。王都へ戻ります」
グレイは静かに目を伏せ、リューは複雑な表情でフィーナを見つめていた。




