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第6話 休耕期のハーブ

次の日、領主館の応接室には、分厚い束の紙が机に広げられていた。

執事が差し出したのは、農家から提出された「耕作報告書」だった。


「ハーヴェイ様、お嬢様、領内の小麦農家の報告書を集計いたしました。

休耕期にミストラ草を植えている農家は……全体の三割ほどでございます」


「三割も? 思ったより多いのね」

フィーナは驚きながらページをめくる。


そこには、休耕区画に植えた作物、土の状態、害虫被害の有無などが細かく記されていた。

「使用目的は……家畜の干し草、あるいは家庭用のハーブウォーターがほとんどのようです」


グレイは報告書を手に取り、淡々と目を走らせる。

「……興味深いですね。

害虫被害が少ない農家ほど、ミストラ草の植え付け率が高い」


「それって……」

フィーナが身を乗り出すと、グレイはわずかに視線をそらした。


「まだ断定はできません。現地を見てからです」


執事が静かに口を開く。

「お嬢様、近隣の農家二軒に連絡がついております。

本日、視察を受け入れてくださるとのことです」


「行きましょう!」


馬車が止まると、農家の夫婦が笑顔で迎えてくれた。

ここは、フィーナがハーブウォーターを買った店であり、

この辺りでも小作人を抱えるほどの大きな小麦農家だ。


「ようこそおいでくださいました、お嬢様。

わざわざお越しいただけるなんて、光栄です」


フィーナは微笑み返した。

「こちらで購入したハーブウォーター、香りも質もとてもよかったのよ。

どうしてこんなにいいのか、ぜひお話を伺いたくて」


「お買い上げいただいたのですね。ありがとうございます。

うちでは休耕期にミストラ草というハーブを植えるんです。

この土地では昔からの習わしでしてね。

小麦を育てない時期に、このハーブを植えるんですよ」


グレイが興味深そうに視線を向ける。

「理由を伺っても?」

農夫は「もちろんです」と頷き、畑の方へ案内した。

そこには刈り取られたミストラ草の束がいくつも積まれている。


「ミストラ草は、ちょっと不思議なハーブなんです。

普通の作物は土の養分を吸って育ちますが──

この草は、育つ過程で余分な力を地面に返すんです」


「余分な力……?」

フィーナが首をかしげると、農夫は土を指でつまんで見せた。


「ええ。ミストラ草は、根が土の中の気を整えると言われてましてね。

土が疲れにくくなるんです。だから、次の小麦の育ちが良くなる。

虫も寄りつかないし、畑が荒れない。うちはずっと、休耕期はミストラ草です」


グレイが静かに頷いた。

「……なるほど。土壌の状態が安定する理由は、その性質にあるわけですね」


農夫は続けた。

「それと──これはうちの経験なんですがね。

小麦を刈ったあと、畑には残り穂が少し残るでしょう。

あれが土に混ざると、ミストラ草の香りがぐっと良くなるんです」


「えっ、そうなの?」

フィーナが目を丸くする。


農夫は側道に咲いていた自生のミストラ草を一房摘み、畑の束と並べて差し出した。

「ほら、嗅いでみてください」


フィーナとグレイは順に鼻を近づける。

自生のものは爽やかだが、畑のミストラ草は香りに深みがあった。


「……本当だ。全然違う」

フィーナが感嘆の声を漏らす。


グレイも静かに頷いた。

「小麦は土を痩せさせるけど、ミストラ草がそれを整えてくれる。

そしてミストラ草は、小麦の残り穂のおかげで質が良くなる。

小麦にとっても、ミストラ草にとっても、いい関係なんですね」


「そういうことです」

農夫は笑った。

「ただ、ミストラ草を蒸留するにも、家庭じゃほんの少ししか使いませんでね。

ほとんどは捨ててしまうんです。

家畜の干し草にすることもありますが……どうも匂いが強すぎるようでして」


フィーナはミストラ草の束を見つめ、胸の奥がふっと熱くなる。

「なるほど……そういうわけだったんですね」


そして、決意を込めて顔を上げた。

「このミストラ草、買い取らせてもらえませんか?」


農夫は目を瞬かせた。

「え? うちは別に……差し上げますよ」


「いいえ」

フィーナはきっぱりと首を振った。


「きっちり払わせていただきます。

あなたの畑の力を、アルヴェールの新しい産業にしたいんです。

この土地の恵みを、きちんと価値として循環させたい。

そのためには、まず農家の皆さんに正当な対価をお支払いするところから始めたいんです。

どうか、お力を貸していただけませんか」


農夫の顔に、驚きと誇らしさが入り混じった笑みが広がった。

「……そういうことでしたら。ぜひ協力させてください」


そのやり取りを横で見ていたグレイは、静かにフィーナへ視線を向けた。


(彼女は領主の娘として、領地の未来を見据えている。

思った以上に先を見ている人だ)


グレイは胸の奥で小さく感心し、彼女の横顔をひとつ確かめるように見つめた。


その後に訪れた近隣の農家でも、同じような話を聞くことができ、

ミストラ草の買い取りについて快く了承を得られた。


領主館に戻ると、二人は応接室に移動し、今日の成果をまとめた。

「ハーブウォーターの材料は確保できそうですね」

「ええ、そうね。滝の湧き水、ミストラ草……作業場所も決まったわね」


「では次に、製造に必要な道具を整えます。

私は王都に戻り、瓶の調達と蒸留器の製作を依頼してきます」


「そうね。ハーヴェイさんに動いてもらってばかりで申し訳ないわね」


グレイは口元をわずかに緩めた。

「フィーナ嬢には大事な仕事がありますよ」

「え? 私に?」

「ええ。これは売るために、とても重要な要素です」


(売るため……? 何かしら)


フィーナは首をかしげる。

「……ごめんなさい。よく分からないわ」


グレイは少し考え、言い方を変えた。

「では、こう考えてみてください。

あなたが何かを買うとき、品質や値段はもちろん大事でしょう。

ですが――それだけで決めますか?」


「え……?」


「店先に並んだとき、まず目に入るのは何でしょう。

手に取るきっかけになるものは?」


フィーナはゆっくりと息を吸い、胸に手を当てた。

(品質や値段以外で?私ならどうする?……)


「……見た目、かしら。

思わず手に取りたくなるような……」


グレイは満足そうに頷いた。

「そのとおりです。

どれほど品質が良くても、見た目が悪ければ手に取ってもらえません」

「たしかに……!」

「ですから、フィーナ嬢。あなたの感性が必要なのです」

「わ、私の……?」

「はい。この領地を心から想っているあなたが、一番適任なんです」


フィーナの胸がじんわり熱くなる。

(……必要とされてる)


「私が王都に行っている間に、パッケージ案をいくつか作っておいてください」


その言葉に、フィーナは自然と笑みを浮かべていた。

「わかったわ!ハーヴェイさん!」


グレイも静かに微笑む。

「ええ。……あなたのおかげで、私もやる気が出ましたよ」


「えっ?」

「それでは、王都へ行ってまいります」

「えっ?今から行くの?」

「ええ、早い方がいいでしょう」

(ほんと、仕事人間ね……でも)

その胸の奥は、不思議と軽く、温かかった。


グレイが去ったあと、応接室には静けさが戻った。

フィーナは胸の奥に残る熱を抱えたまま、自室へ戻る。

机に向かい、白紙の紙を前にして深呼吸した。

「……パッケージ案、ね。

みんなが欲しいと思う見た目……」


ペンを握りしめる。

けれど、紙の上は真っ白なまま。

(うーん……どうしたらいいのかしら。

考えれば考えるほど、分からなくなる……)

額に手を当てて悩んでいると、扉が軽くノックされた。


「お嬢、入るぞ」

リューが顔をのぞかせる。

「……なんだ、その顔。煮詰まってんのか?」

「えっ、そんなに分かる?」

「分かるさ。昔から、考えすぎると眉が寄るんだよ、お嬢は」

「そんなの、みんなそうじゃない」

「はは、そうか」

リューの軽口にフィーナははぁーっと息を吐いた。


「ハーヴェイさんに頼まれたの。

パッケージ案を考えておいてって……でも、全然まとまらなくて」


リューは部屋に入り、腕を組んだ。

「なら、ちょっと外に出ないか?煮詰まったときは、走るに限る」

「走る……?」

「丘だよ。昔みたいにさ。風に当たれば、なんか見えてくるだろ」


フィーナはふっと肩の力が抜けた。

「……そうね。行きたい!」


二人は馬に乗り、風を切って草原を駆け抜けた。

丘に着くと、昔と変わらない景色が広がっていた。

遠くまで続く麦畑、森の向こうの山並み、そして優しい風。


「ここ、懐かしいわね」

「お嬢がよく泣いてた場所だしな」

「ちょっと! 忘れてよ!」

「おれがよくプリン差し入れしてやっただろ?」

「あれは美味しかった!」


二人は互いを見合い、笑いあった。


リューの横顔を眺めていると、ふと推しの姿が頭をよぎった。

(雰囲気が似てる?

それとも、髪色が同じだから、そう思えるのかしら?

そういえば、リューも、剣を右腰にぶら下げている)


「ねぇ、リューって左利きよね?」

「ん?急にどうした?」

「いつから左利きなの?」

「おかしなことを聞くな…生まれた時からに決まってるだろう」

そういってリューはカラカラ笑う。


(……私、何言ってるんだろう。リューがライ様のはずないのに。

リューが大人っぽくなったからかしら…)


フィーナがそんなことを考えていると、リューが口を開いた。

「そういや、現場調査ってどうだったんだ?」


フィーナは目を輝かせた。

「順調に進んでいるわ。私、わくわくしてるの。

ハーヴェイさんは淡々としてるんだけどね。

……でも、朝早くから活動するから、もうへとへとよ」


「あんなに体力があったのにか?」

リューはくくっと笑った。


「俺は──」

リューは少し真面目な声になった。


「お嬢が領地を良くしたいと言っていたのを、俺は覚えてる。昔からずっとだ」


フィーナは驚いたように目を瞬いた。


「正直さ……お嬢が婚約して王都に行っちまったときは、

もう領地のことは諦めたのかと思ってたよ。

婚約が解消になったのは……まあ、残念だったけどさ」


「リュー……」


「でも、こうして戻ってきて、また領地のこと考えて、汗かいて歩き回って……

ああ、やっぱり変わってないって思った。

だからさ、お嬢のやりたいようにやればいいんだよ」


フィーナは胸の奥がじんわり温かくなった。


「……ありがとう、リュー。なんか元気出てきた」

「それでいいんだよ。お嬢は笑ってる方が似合う」


リューは笑いながら空を見上げた。

その横顔は、昔と変わらず温かい。


「そうそう、来週から俺、お嬢の護衛に配属されたから」

「えっ?そうなの?」

「ああ。子爵様がお嬢が出歩くことが多いから心配なんだとさ。

ご本人は王都だしね」


フィーナは思わず苦笑した。

「ハーヴェイさんがいつも一緒だけどね?」


「いや、あの人は文官だからな。いざってときは戦力にならないだろ?」

「ふふ、確かに。人を論破するのは得意だけどね」


フィーナはぱっと笑顔になった。

「リュー、来週からよろしくね!」


「おうよ」

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