第3話 推しで心を整える
市場から帰ってきたフィーナはまっすぐ自分の部屋に向かった。
扉を閉めた瞬間、胸の奥に溜まっていた怒りが爆発する。
「あいつ、なんなの!?」
靴も脱ぎ捨て、ベッドに突っ伏しながら叫ぶ。
人が話しているときに勝手に割り込んで、
勝手に去って……フィーナは枕をつかんで、勢いよくベッドに叩きつけた。
そうだ。こんな時は、推しを考えよう!
机の引き出しを開け、大切にしているバインダーをそっと取り出す。
ページをめくると──
そこには、何度も読み返した新聞の切り抜きが貼られていた。
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《王都タイムズ》号外・英雄特集
『黒銀の双星――黒刃のライと閃光のハル、その軌跡を追う!』
二人は常に仮面で素顔を隠し、素性は不明。
だが、南方の魔獣討伐、街道の浄化、史上最速のランク昇格など、
その戦果はすでに伝説と呼ばれている。
黒刃ライの鋭い剣捌きと、閃光ハルの眩い魔力。
二人が並び立つとき、黒銀の双星は夜空を裂く流星のごとく戦場を駆け抜ける。
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フィーナは、写真の部分にそっと指を滑らせた。
左側に立つのは──ライ。
黒髪を無造作に後ろで束ね、顔の上半分を仮面で隠している。
背が高く、鍛えられた腕の筋肉が衣服越しにもわかる。左手には剣。
そして──左手の甲には、二本の鮮やかな傷跡。
右側には、ハル。
灰銀の髪にこちらも仮面で目元を隠し、左腰の剣に手を添えながら、
貴公子のような微笑みを浮かべている。
フィーナは胸の前でバインダーを抱きしめた。
「ああ……やっぱりかっこいい……」
怒りも悲しみも、この瞬間だけは全部どこかへ消えていく。
私の、ライ様。
フィーナはライとの出会いを思い出していた。
彼に会ったのは、たった一度。
命を救われた、あの日のことだ。
フィーナが11歳のとき、家族で隣国リューネン王国の観光地・青銀の森を訪れた。
湖面は陽光を受けて銀色に輝き、森には甘い香りの森いちごが群生している。
「お母さま、森いちごが好きだから……持ってってあげたらきっと喜ぶわ」
そう思い、フィーナは家族が休んでいる間にひとりで森の奥へ足を踏み入れてしまった。
最近この森では、北方から魔獣が迷い込むことがあると噂されていたが、
フィーナも家族も知らなかった。
森いちごを見つけて手を伸ばした瞬間、背後から低い唸り声が響いた。
「……グルルル……」
背筋が凍るような唸り声が、すぐ後ろから聞こえた。
振り返ると、巨大な狼のような魔獣が、地を低く構えていた。
(……うそ……どうして……?)
足がすくむ。声も出ない。
籠が手から落ち、いちごが散らばる。魔獣が跳びかかった。
「危ない!」
鋭い声とともに、黒髪の青年が木陰から飛び出した。
次の瞬間──
左手の剣が、連撃となって魔獣に叩き込まれた。
まるで刃が雨のように降り注ぐ。
フィーナは目を見開いた。
(なに……これ……?)
何が起きているのかわからない。
魔獣は抵抗する間もなく、崩れ落ちた。
青年は息を整え、フィーナに向き直った。
「大丈夫か。怪我は──」
その瞬間、茂みが激しく揺れ、
二体目の魔獣が、死骸を踏み越えて飛び出してきた。
フィーナの悲鳴が漏れる。
青年は反射的に、右腕でフィーナを抱き寄せた。
視界が一気に暗くなり、青年の胸に押しつけられる形になる。
次の瞬間──
鋭い衝撃音と、何かが裂けるような気配がした。
「っ……!」
身体が大きく揺れ、フィーナは思わず目をつぶった。
「大丈夫だ。離れるな」
その声だけが、混乱の中で唯一はっきり聞こえた。
気づいたときには、青年と一緒に地面を転がり、二体目の魔獣はすでに倒れていた。
「もう大丈夫だよ」
黒髪が揺れ、片目にかかる前髪の隙間から、優しいまなざしがこちらを見ていた。
「……怖かったな。ケガはないか?」
そう言った青年の剣を握っている左手が目に入った。
その甲には──
二本の平行傷が、まるで刻印のように深く走り、血がしたたり落ちていた。
「お、お兄さん、ごめんなさい……!
お兄さんけがしちゃった……私が、こんなところにいたから……」
フィーナは泣きながら何度も謝った。
「こんな傷、たいしたことないよ。心配しなくていい」
青年は優しくフィーナの頭をなでた。
その手は温かくて、震えていた自分の心が少しずつ落ち着いていくのが分かった。
青年はそのままフィーナを抱き上げ、森の入口へ向かって歩き出した。
揺れる視界の先に、必死に娘を探す両親の姿が見える。
「フィーナ!」
母の声が聞こえた瞬間、胸がいっぱいになった。
青年は名乗ることもなく、静かにフィーナを両親へと渡すと、森の影へと歩き去っていった。
その背中は、木々の間に溶けるように見えなくなった。
父の腕の中で、フィーナはその姿をじっと見つめていた。
――それからしばらくして。
フィーナは、偶然新聞の記事に彼を見つけた。
マスクで顔は隠れている。
でも、黒髪を束ねた姿、雰囲気、左手に握られた剣。
そして──左手の甲に走る、二本の傷。
あの時のお兄さんだ。やっぱり、夢じゃなかったんだ。
その瞬間から、ライはフィーナのヒーローになった。
それ以来、彼が話題になるたびに新聞を切り抜き、大切にバインダーへ挟んでいった。
フィーナはゆっくりとページをめくっていく。
一枚一枚に、当時の胸の高鳴りが蘇る。
そして──最後のページにたどり着いた。
そこには、涙で紙が少し波打った号外が貼られていた。
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《王都タイムズ》号外
黒刃のライと閃光のハル、
原因不明の魔獣スタンピードを鎮圧──しかし消息不明に
北の泉で発生した大規模魔獣スタンピードは、本日未明、完全に鎮圧された。
原因は依然として不明だが、魔獣の数は過去最大規模だったという。
討伐の中心となったのは、Sランク冒険者として名高い二人──
黒刃のライと閃光のハルである。
しかし、鎮圧後、二人の姿はどこにも見つかっていない。
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~死亡説と生存説が交錯~
遺体も、武器も、装備すら発見されていない。
そのため王都では、
- 「魔獣の大群に飲まれたのでは」
- 「結界の向こう側に消えたのでは」
- 「任務を終え、姿を隠したのでは」
さまざまな憶測が飛び交っている。
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フィーナは、そっと新聞の端を撫でた。
「……絶対、死んでないわ。あんなに強い二人が、そんなわけないもの」
そう呟く声には、確信と願いが入り混じっていた。
アナと何度も語り合った生存説。
二人で手をつなぎながら、「絶対どこかで生きてるよね」と励まし合った日々。
そのアナの顔を思い出した瞬間──胸の奥がきゅっと痛んだ。
「……アナ……」
せっかく推し活で元気になったのに、また少しだけ、心が沈んでしまう。
それでもフィーナはバインダーを抱きしめ、ホッと息を吐きだしたのだった。




