第12話 救出
倒れたフィーナにエドガーが覆いかぶさり、
フィーナの顔に手を伸ばそうとしたその時──
「こんなところにいたのね」
小屋の扉が開き、アナスタシアが姿を現す。
覆いかぶさったままエドガーは驚き、眉をひそめた。
「おまえ……どうしてここに?」
アナスタシアはヒールの音を響かせながら近づいた。
「あなたを追いかけてきたに決まってるじゃない。私たち、婚約者なのよ?」
エドガーは舌打ちし、苛立ちを隠さない。
「分かってるよ。だが……俺にはどうしても金が必要なんだ。
だからこの女が必要なんだよ」
「金……そういうことだったのね」
アナスタシアはゆっくりと髪をかき上げ、薄く笑った。
「ふふ……こんな面白そうな計画、私にも教えてほしかったわ。
ねえ、どうせなら私も混ぜてくれたらよかったのに」
エドガーがわずかに口角を上げる。
「お前も悪い女だな。この女は友達だろ?」
アナスタシアは鼻で笑った。
「ふん、友達なわけないじゃない」
エドガーは満足げに頷き、手を振った。
「まあいい。この場はもう帰れ。全部片付いたら迎えに行く」
アナスタシアは目を細めた。
「……この女をどうするつもり?」
エドガーはフィーナを見下ろし、ぞっとするほど歪んだ笑みを浮かべた。
「そりゃ……俺の女にするんだよ。
そうすりゃ、あのグレイ・ハーヴェイとかいう生意気なやつも、あきらめるだろう?」
アナスタシアは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに妖艶な笑みを浮かべた。
「あら、それはいい方法ね。
でも……あなたがこの女を可愛がるなんて、いやだわ。やきもち焼いちゃう」
フィーナは震えながらアナスタシアを見つめた。
(アナ……あなた……)
エドガーは満足げに笑う。
「心配するな。俺の一番はお前だ。この女は……金づるだよ」
「……最低ね、あなた。ほんと、私にぴったりだわ」
アナスタシアがつぶやいたその瞬間──
外から、怒号と金属がぶつかる音が響き渡った。
「……なんだ?」
小屋の外がざわつき始め、男たちの叫び声が次々と上がる。
「誰だ!」「くそっ、やられた!」
エドガーは苛立ち、扉の方へ向き直る。
「何が起きてる……?」
部下の一人が扉を開けようとした瞬間──
轟音とともに扉が内側へ弾け飛び、木片と埃が一気に舞い上がった。
その白い煙の中から、ひとりの男がゆっくりと姿を現す。
腕からは血が滴り、
片目は腫れてほとんど開かず、
髪は汗と埃でぐしゃぐしゃ。
服は裂け、肩で荒く息をしている。
それでも──
その瞳だけは、鋭く、強く、揺らぎなく。
フィーナの胸が大きく跳ねる。
「ハーヴェイさん……!」
震える声が小屋にかすかに響く。
グレイは、フィーナの上に馬乗りになっているエドガーを見た瞬間、怒りで顔を歪めた。
「フィーナから離れろ!!」
叫ぶより早く、グレイは地面を蹴っていた。
一気に距離を詰め、エドガーが反応する暇すら与えない。
衝撃音が響き、グレイの拳がエドガーの頬をとらえ、
エドガーの身体は後ろへ吹き飛んだ。
「ぐっ……!」
床に転がったエドガーは、呆然とした目でグレイを見上げた。
「な、なんだ……外の奴らはどうした……!
おい! 誰か来い!こいつをつまみ出せ!!」
しかし、小屋の外からは誰も入ってこない。
アナスタシアが扉の隙間から外を覗き込み、肩をすくめた。
「……全員、倒れてるわよ。あなたの部下、全滅」
エドガーの顔が青ざめる。
「ば、ばかな……30人はいたんだぞ……!お、お前……何者だ……!」
グレイは答えない。
ただ静かに、しかし確実にエドガーへ歩み寄る。
その目は怒りで燃え、
呼吸は荒く、
拳にはまだ血がにじんでいる。
エドガーが後ずさる間もなく──
鈍い音がして、再びグレイの拳がエドガーの頬を打ち抜いた。
エドガーの身体が床に叩きつけられ、呻き声が漏れる。
それでもグレイは止まらない。
胸ぐらを掴み上げ、倒れたエドガーに馬乗りになると、怒りのままに拳を振り下ろした。
殴るたびに、埃が舞い、肉を打つ音が小屋に響く。
エドガーの悲鳴ともつかない声が漏れる。
グレイの拳はもう、痛みも、血も、何も感じていないようだった。
そして、さらに振り下ろされようとした瞬間──
「グレイ、ストーーップ!!」
軽やかで、しかしよく通る声が小屋に響いた。
テオアルディが護衛を従えて現れ、グレイの腕を後ろから掴んだ。
「それ以上やったら死んじゃうよ。
死体じゃ証言が取れないんだ。困るんだよねぇ」
グレイは振り返り、低く唸るように言った。
「……死んでも構わん」
テオアルディは肩をすくめ、まるで日常会話のように言った。
「そうはいかないんだよ、大事な証人なんだからさ。ほら、手を離して。ね?」
グレイはしばらくテオアルディを睨みつけていたが、やがてゆっくりと拳を下ろした。
その足元で、エドガーは完全に気を失っていた。
テオアルディは埃を払いながらフィーナの方へ歩み寄った。
「フィーナ嬢、大丈夫かい?」
(…テオアルディ殿下?どうしてここに……)
フィーナは縛られたまま、震える声で答えた。
「……はい……」
テオアルディはフィーナの頬に目を留めた。
赤く腫れ、指の跡が残っている。
「かわいそうに……痛かったね。怖かっただろう?」
その優しい声に、フィーナの胸の奥で張りつめていたものがほどけた。
ぽろり、と涙が落ちる。
「……っ……」
震えが止まらない。
その瞬間、グレイがそっとフィーナを抱き寄せた。
「遅くなって……すみません……間に合わなかった……」
フィーナは首を振り、グレイの胸に顔を埋めた。
「ううん……全然間に合ったよ……来てくれて……ありがとう……」
グレイはフィーナの背に手を回し、
その震えを受け止めるように、静かに抱きしめた。
テオアルディはその様子を見て、ふっと笑った。
「それにしてもグレイ、腕が落ちたなぁ。
たかが30人だろう?黒刃のライも引退か?」
グレイはフィーナを抱いたまま、静かに声で答えた。
「……テオ。その名は……捨てたはずだが?」
テオアルディは肩をすくめ、どこか寂しそうに笑った。
「えっ……ライ……?」
フィーナは混乱した。
テオアルディはニヤリと笑った。
「ま、続きは後でね。お前たち、エドガーを縛り上げて連れていけ」
護衛が気絶したエドガーを縛り上げ、ずるずると引きずっていく。
テオアルディは、アナスタシアの方へ視線を向けた。
「それと……アナスタシア嬢もね」
アナスタシアは一瞬だけ目を細めた。
「……え?なんで私まで?」
テオアルディは軽く肩をすくめた。
「密告があってね。ヴェルディエ子爵家の不正について。
君にもいろいろと確認したいんだよ」
アナスタシアは大げさにため息をついた。
「あーあ……逃げ切れると思ってたのに。残念だわ」
フィーナは驚きに目を見開いた。
「うそよ……!アナは私を助けてくれたもの!」
アナスタシアはくすりと笑う。
「何言ってるのよ?
あなた、ぶたれたからおかしくなっちゃったんじゃない?」
フィーナは息を呑む。
「アナ……」
アナスタシアは肩をすくめ、まるで退屈そうに言った。
「助けた?あなたを?そんなわけないじゃない。
私はただ、エドガーの計画に乗ろうとしただけよ」
フィーナの胸が締めつけられる。
「アナ……どうして……?」
アナスタシアはフィーナを見つめ、視線を外した。
「……あなたが悪いのよ。いつも誰からも好かれて……
私にはないものを全部持ってる。だから……壊したかったのよ」
アナスタシアがフィーナを嘲るように笑ったその瞬間、
フィーナはじっとアナスタシアを見つめた。
「……アナ。私、知ってるんだから。
あなたがどんなにやさしい人間か。
私のことを、ずっと大事にしてくれてることも」
アナスタシアの笑みがわずかに揺れる。
「エドガーに襲われそうになったから、止めに入ってくれたんでしょ?
あなたのことだから、助けを呼んで……時間稼ぎをしてくれてたんでしょ?」
「な、なに言ってるのよ」
アナスタシアはうろたえた。
フィーナは静かに続ける。
「アナが……私のことで無理をするとき、
唇が少し震えるのよ。私しか気づかないくらいだけど」
アナスタシアは口を押さえ、目をそらした。
フィーナはさらに言葉を重ねる。
「昔、私が陰で笑われてた時……
あなた、誰より先に私の前に立ってくれた。
平気なふりしてたけど……あの時も震えてたわ」
アナスタシアの瞳からポロっと涙がこぼれる。
「フィーナ、もういいから黙って」
アナスタシアはテオアルディの方へ向き直り、
「さあ……早く連れてってください」
テオアルディは小さく頷き、アナの肩にそっと手を置いた。
「フィーナ嬢、大丈夫。あとは私に任せて」
アナスタシアは抵抗せず、護衛に連れられていった。
その背中は、どこか寂しげで、どこかほっとしたようにも見えた。




