第11話 罠
グレイは馬を降りるなり、ほとんど駆け込むように出張所の扉を押し開けた。
受付に一直線に向かい、息を荒げたまま声をかける。
「フィーナ・アルヴェール嬢は来ていないか!」
受付の職員は驚きながらも帳簿を確認し、すぐに答えた。
「え、ええ……一時間ほど前にお見えになりました。
受付までご案内しましたが……すぐにお帰りになったようでして」
「帰った……?」
グレイの眉が鋭く寄る。
(おかしい。
ここまでの道は一本道だ。
俺は誰ともすれ違っていない……なら、どこへ行った?)
胸の奥で、嫌な予感が膨らむ。
出張所を出ようとしたグレイの視界の端に、見覚えのある後ろ姿が映った。
(……あれは、アナスタシア?)
ピンクブロンドの髪の女性が、こちらに気づいたかのように
そっとフードをかぶり、通りへ歩き出した。
グレイは反射的に走り出した。
「待て!」
グレイは人々の間を縫いながら追いかける。
「そこの女! 止まれ!」
その声に、女性が速足になる。
女性が角へ曲がる直前──
白い封筒がひらりと落ちた。
女性は拾うこともなく、そのまま角を曲がって姿を消す。
グレイも追いかけて角を曲がったが──
そこには、もう誰の姿もなかった。
「……くそっ!」
悔しさを噛みしめながら、グレイは落ちた封筒を拾い上げた。
封はされておらず、中には一枚の紙が入っていた。
目を通した瞬間、血の気が引いた。
――フィーナ宛の脅迫状だった。
「フィーナ!」
紙を握りしめ、グレイは駆け戻るように馬へ向かった。
手綱を掴むと同時に、馬は地面を蹴り、勢いよく走り出す。
(間に合え……!どうか無事でいてくれ……!)
グレイの胸には、焦りと恐怖が渦巻いていた。
そのころーーー
丘を越えた先、精流の滝の轟きがかすかに響く。
フィーナとミイナを乗せた馬車が止まると同時に、
周囲の茂みから屈強な男たちがぞろぞろと姿を現した。
ミイナは即座にフィーナの前へ躍り出る。
「フィーナ様、下がってください!」
ミイナが短剣を抜く。
「ミイナ、だめ──!」
だが、フィーナの叫びより早く、男たちが一斉に襲いかかった。
ミイナは必死に立ち回るが、方々から腕が伸び、
最後には背後から腕をひねられ、ミイナは地面に押し倒された。
「ミイナ!」
フィーナが駆け寄ろうとした瞬間、別の男がフィーナの腕をつかんだ。
「やめて! ミイナに触らないで!」
叫びも虚しく、二人は縄で手を縛られたまま、
滝の奥にある古い小屋へと放り込まれた。
薄暗い小屋の中。
湿った木の匂いが漂う。
「ミイナ……大丈夫? 怪我はない?」
震える声でフィーナが問いかける。
ミイナは息を整えながら、フィーナの方へ身を寄せる。
「フィーナ様、私は大丈夫です。
どんなことがあっても……そばを離れませんから」
フィーナは小さく頷くしかなかった。
しばらくすると、古びた扉がゆっくりと開いた。
足音が一歩、また一歩と近づき、
薄闇の中から男の影が現れる。
その顔を見た瞬間、フィーナの息が止まった。
「……エドガー……!」
エドガーはゆっくりと笑った。
その笑みは、かつての穏やかさとはまるで別物だった。
「やあ、フィーナ。こんな形で会うことになるとは思わなかったよ」
ミイナが怒りに満ちた声で叫ぶ。
「卑怯者……! フィーナ様をどうするつもりだ!」
エドガーはミイナに視線すら向けず、フィーナだけを見つめた。
「君が来てくれて嬉しいよ。まさか本当にアナの名前で動くとは思わなかったがね」
フィーナの顔が強張る。
「……あなたが……あの手紙を?」
「そうだよ。君は優しいからね。困っている子どもを見捨てられない。
そこを利用させてもらっただけだ」
フィーナは悔しさに唇を噛んだ。
「最低だわ……!あの子のお母さんはどうしたの!」
エドガーは肩をすくめる。
「さあね。どうなっていると思う?」
そして、薄く笑う。
「安心しろ。母親など最初から存在しない。
あの子はただの孤児だ。金を渡せば何でもする」
フィーナの瞳が怒りで揺れる。
「あなた……人の心をなんだと思っているの……!」
エドガーの笑みが冷たく深くなる。
「心?そんなもの、権力の前では無力だよ。
君も、君の領地も、君の未来も──すべて私が手に入れる」
フィーナは震える声で言い返した。
「……絶対に、あなたの思いどおりにはならない」
エドガーはゆっくりとしゃがみ込み、フィーナの顔を覗き込む。
その目は、獲物を確かめる捕食者のようだった。
「思いどおりにはならない?
君は今、縄で縛られ、味方は誰もいない。
──状況が見えていないのは君のほうだよ。
君はもう、私の手の中にいる」
ミイナが怒りで縄を軋ませる。
「フィーナ様に触れるな!」
エドガーは冷たい目でミイナを見た。
「侍女風情が吠えるな。
おまえの命など、私の気分ひとつでどうとでもなる。
その女、うるさいから外へ出しておけ」
ミイナは男たちに押さえつけられ、必死に抵抗しながらも連れていかれる。
「ミイナに手を出したら……絶対に許さない!」
エドガーはその言葉に、まるで愉しむように笑った。
「許すも許さないもない。君はただ、私の言うことを聞けばいい。
それだけの話だろう?」
フィーナは睨みつける。
「……アナはどうするのよ。あなたたち、婚約したんでしょ?」
エドガーは鼻で笑った。
「アナスタシアか。いい女なんだが、……いかんせん後ろ盾が弱い。
もっと財産があるかと思ったんだが、期待外れだったよ」
フィーナの瞳が大きく揺れた。
「ひどい……!アナは私の友達なのに……!」
エドガーは肩をすくめる。
「友達?お前、裏切られたのにそんなことを言うのか?
あの女はお前から俺を奪ったんだぞ。
まあ、あの女はあの女で俺の手元に置いておくさ。……愛人としてな」
フィーナの胸が冷たく締めつけられる。
エドガーは一歩近づき、声を低くした。
「フィーナ。もう一度やり直そう。お前は俺の隣に立つべきなんだ」
フィーナは即座に顔を背けた。
「だれが……あんたなんかと……!」
その瞬間、エドガーの手が鋭く振り上がった。
パシンッ──
乾いた音に響く。
「おまえこそ、ひどいじゃないか。
俺と婚約していたときは領地をろくに動かさなかったくせに、
解消した途端に発展させるなんてな。……さあ、もう悪あがきはやめるんだ」
フィーナは頭を起こし睨み返した。
エドガーの目がいやらしく細まる。
「その目……いいねぇ。ぞくぞくするよ」
舌なめずりをしたエドガーが、今度は力任せにフィーナの反対側の頬を打った。
二度目の衝撃に、フィーナの身体は後ろへ倒れ込み、縛られたまま床に横倒しになる。




