第10話 フィーナの危機
最近グレイとぎこちない沈黙が生まれるようになった。
あの日──
港でアナスタシアとグレイが一緒にいるのを見てしまってから。
グレイはいつも通りなのに、フィーナのほうがどうしても自然に話せない。
今日も具合が悪いからと理由をつけて、
小麦農家への打ち合わせをグレイ一人に任せてしまった。
胸の奥には、言葉にできないざらつきが残っている。
(……どうして、あの二人が一緒にいたの?
夜会のあとも話していたって聞いたし……)
「唯一、私を心配してくれる存在」と、
アナスタシアが港に親戚がいると教えてくれたことを思い出す。
(親戚に会いに来た彼女と、偶然会っただけ……?でも、あんなに親しげに話す?……)
胸がきゅっと痛む。
(まさか……今度はグレイまで奪おうとしてるの?
でも、アナはエドガー様と婚約してるのよ。そんなはず……ないよね……でも……
私とハーヴェイさんは何でもない……何でもないはずなのに。
だったら……どうしてこんなに胸が苦しくなるの……?)
自分でも答えが分からなくて、
その苦しさだけが静かに胸の奥に積もっていく。
でも、リューには絶対に言えない。
告白の返事をしていない今、余計な誤解を生むだけだ。
フィーナは小さく息を吸い、ベッドに腰を下ろした。
そのとき──
コンコン。
控えめなノックの音が響いた。
「フィーナ様、失礼いたします。出張所からお手紙が届いております」
ミイナの声だ。
「……出張所から? なにかしら……」
フィーナは封筒を受け取り、そっと開封した。
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アナスタシア・ヴェルディエ様から
フィーナ・アルヴェール様宛の小包が届いてます。
差出人の指定により、ご本人のみ受け取り可能となっております。
期日中に身分証を持参のうえ、出張所までお越しください。
ーーーーーーーーー
フィーナの指先がぴくりと震えた。
「アナ……から?」
胸の奥がざわりと揺れる。
彼女が自分に小包を送ってくるなんて、今まで一度もなかった。
(どうして……今になって?あの子は……何をしようとしているの?)
ミイナは心配そうにフィーナを覗き込んだ。
「フィーナ様……どうなさいますか?」
フィーナはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……行くわ。アナが何を考えているのか、確かめたいもの」
その声は震えていたが、決意の色が宿っていた。
そのとき、またノックの音がした。
今度はリューだ。
「お嬢、大丈夫ですか!?
さっき、ハーヴェイさんから具合が悪いって聞きました。
顔色が悪いですね……今日はゆっくり休んででくださいよ」
「……ええ……今日は家にいるわ」
そう言いながら、フィーナはわざと困ったように眉を寄せた。
「でも……困ったわ。街の仕立て屋さんに、
新しいドレスを受け取りに行く予定だったのに……」
リューは思わず声を上げた。
「そんなの、また今度でいいじゃないですか。お嬢が元気になってからで」
フィーナは、少しだけ唇を尖らせた。
「でも……早く見たいんだもの」
その言い方が妙に可愛くて、リューは一瞬だけ目をそらした。
「……わかりました。じゃあ、俺が取ってきます」
「ありがとう、リュー。ついでに……あの評判のプリンも買ってきてくれる?」
リューはふっと笑った。
「お嬢は具合が悪くなるとプリンが食べたくなりますもんね。
変わんねぇなぁ……」
その優しい声が胸に刺さる。
(ごめんね、リュー……本当の理由は言えないの)
リューはミイナの方を向いた。
「ミイナ、頼んだぞ。お嬢の看病、しっかりな」
「はい、お任せください」
「じゃあ、お嬢、行ってきます」
リューは急ぎ足で部屋を出ていく。
その背中が見えなくなった瞬間──
フィーナはすっと立ち上がった。
「ミイナ、だれにも見つからないように出張所へ行きたいの。
受け取ったらすぐに戻るわ」
ミイナは驚いたが、フィーナの真剣な表情を見て黙って頷いた。
裏門から二人でこっそり出ると、ミイナが手配した馬車が静かに待っていた。
馬車が走り出した後、ミイナはしばらく黙っていたが、やがて、口を開いた。
「……フィーナ様。どうして、リューに嘘を?」
フィーナは窓の外を見つめたまま、小さく息を吐いた。
「嘘……じゃないわ。ドレスは本当だし。でも……」
言葉を探すように、胸に手を当てる。
「……リューには言えないわ」
ミイナは真剣なまなざしで尋ねた。
「ハーヴェイさんが原因ですか?」
「えっ?どうして?」
「フィーナ様をずっと見てきましたからね。悩んでいるのはわかります」
「……ミイナにはなんでもお見通しなのね」
フィーナは大きく息を吐きだした。
「アナとハーヴェイさんの関係が気になって仕方がないの。
そんなときにアナからの小包だなんて……見なきゃ、落ち着かないわ」
ミイナはそっとフィーナの手を握った。
「大丈夫です。フィーナ様には、私がついていますからね」
フィーナは小さく微笑んだ。
「ありがとう、ミイナ」
ミイナは力強く頷いた。
出張所は、人でごった返していた。
帳簿をめくる紙の音、職員たちの低い声、
窓口に並ぶ人々の足音が、規則正しく空気を揺らしている。
フィーナはミイナとともに受付にて必要事項を記入し、
「呼ばれるまでお掛けになってお待ちください」
と案内され、近くの椅子に腰を下ろした。
胸の奥のざわつきは、ここへ来ても消えない。
そのときだった。
いつの間にか隣の席に、女の子が座っていた。
その子が急にお腹を押さえてしゃがみ込んだ。
「……いたい……」
フィーナは反射的にしゃがみ込む。
「大丈夫? どうしたの?」
女の子は涙目でフィーナの袖を掴んだ。
「……おトイレ……つれてって……」
ミイナが警戒するように周囲を見回した。
「フィーナ様、私が──」
「いいえ。私が行くわ。ミイナは後ろからついてきて」
フィーナは女の子の手を取り、出張所の奥にあるトイレへ向かった。
その様子を、柱の影から、じっと見つめる人影があった。
トイレの前にくると、女の子は震える手で、
ポシェットから封筒を取り出した。
「……これ……お姉さんに……って……」
フィーナは驚きながら受け取る。
「私に? どうして……?」
女の子は首を振り、ぽろぽろと涙をこぼした。
「……わかんない……
でも……こわいひとが……
いわないと……お母さんが……」
ミイナが一歩前に出る。
「フィーナ様、危険です。助けを呼びましょう」
「いいえ。この子がこんなに怯えているのに……放っておけないわ」
フィーナは封を切り、中身を確認した。
そこには短い文が書かれていた。
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誰にも知られないように、
お前と侍女だけで一時間以内に精流の滝へ来い。
さもなくば、この少女の母親の命はない。
この紙はトイレのごみ箱に捨てろ。
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フィーナは息を呑んだ。
胸の奥が冷たく締め付けられる。
女の子は泣きじゃくっている。
フィーナは優しく抱きしめた。
「大丈夫よ。あなたはもう何もしなくていいの。ありがとう。よく頑張ったわ」
少女の髪を撫でながら、フィーナは手紙を封筒にしまい、
指先が震えないように気をつけながらトイレのごみ箱へそっと落とした。
ミイナが少女を出張所の職員に預け、すぐにフィーナのもとへ戻る。
「フィーナ様、急ぎましょう」
二人は足早に馬車へ向かった。
扉が閉まり、馬車が動き出す。
その直後──
トイレの前に、影がひとつすっと伸び、
無言のままごみ箱から封筒を拾い上げた。
馬車が出張所を離れた瞬間、ミイナが抑えきれない声で言った。
「フィーナ様……これは罠です。危険ですから、警備隊に知らせましょう」
フィーナは首を振った。
「それじゃ……あの子のお母さんの命が危ないわ」
ミイナは唇を噛む。
「ですが……!」
フィーナは静かに続けた。
「手紙には私とミイナだけで来いって書いてあった。
あれは……私たちが二人で来ていることを知っている人間の書き方よ。
つまり、犯人は私たちを見ていたの」
ミイナの表情が強張る。
「……ということは、馬車も監視されている可能性が高いですね」
「ええ。だから、言うとおりにしましょう。
今は……あの子のお母さんを守るのが先よ」
ミイナは深く頷いた。
「……わかりました。必ずお守りします、フィーナ様」
馬車はそのまま、滝へ続く道へと向かっていった。
──その頃。
小麦農家との話合いを終えたグレイは、領主館へ戻ったところだった。
(具合が悪いと言っていたし……様子を見ておこう)
玄関をくぐった瞬間、館の空気がいつもと違うことに気づいた。
使用人たちが落ち着かずに行き来し、誰もがどこかそわそわしている。
「……何かあったのか?」
近くにいた使用人が、慌てた様子で答えた。
「フィーナ様がどこにもおられないのです。
ミイナと御者一人も持ち場におらず、使用人用の馬車も一台なくなっていて……
もしかすると、こっそり出かけられたのかと」
グレイの胸に、嫌な予感がかすめた。
「……リューはどうした」
「リューなら……お嬢様から街へお使いを頼まれて、そのまま戻ってきておりません」
(あのバカ、フィーナに付き添ってろと言ったのに)
胸の奥に、落ち着かないざわめきが広がる。
グレイはさらに問いかけた。
「いなくなる前に……何か変わったことはなかったか?」
使用人は思い出すように眉を寄せた。
「そういえば……出張所からお手紙が届いておりました。
ミイナがお嬢様にお渡ししたはずですが……内容までは、私どもには分かりません」
「出張所?」
その言葉を聞いた瞬間、ざわめきがさらに強くなった。
グレイは馬に飛び乗り、勢いよく走り出した。
(……何事もなければいいが)




