(6) スタートライン
ランチタイムが少し過ぎ、商業施設は食後の買い物をするお客さんであふれていた。
私と桜子はお揃いの服を着て、にぎやかな商業施設の中を歩いている。
人がとても多く、隣り合う人とぶつからずにすれ違うのがやっとだった。
「桜子さま、一度人の少ない場所で休憩しませんか?」
「そうだね、私も少し疲れたよ」
私たちは人混みを避けるように、商業施設の裏にある路地に避難した。
路地には商業施設に仕事を奪われ、廃業したであろう小さなお店が、シャッターを閉めて軒を連ねていた。
ここなら人気が少なく、落ち着いて休憩することができるだろう。
「桜子さまはここで少々お待ちください」
私はそう言って、遠目に見えていた自動販売機の方へ向かって行った。
桜子は普段紅茶を飲むから紅茶でいいとして、私は何にするべきだろうか。
あまり紅茶は飲みなれないから、私は別のものを買って、桜子から一口だけもらうのもいいな。
あっ……。
「ダメだ、あの人が赤くなって死んじゃう」
あの人は間接キスとかそういうのに非常に弱いのだった。
いや、あの顔を見るためにあえてするのもいいな。
いきなり恋人つなぎをしてきた仕返しもしたいし……。
私がそんなことを考えながらふたり分の飲み物持って桜子のもとに戻ろうとすると声が聞こえた。
私が陰から見ていると、知らない男性と桜子が話し始めた。
知り合いか何かだろうか?
「君可愛いね、今からちょっとお茶とかどう?」
いや、ナンパじゃん!
私が様子を見ていると、桜子が男性に申し訳なさそうに応答する。
「すまない、私はパートナーと来ているので、その……」
「パートナーってどんな男?俺と遊んだほうが楽しいって、ほら!」
男が桜子の手首を掴む。
この男は私のギルティ―リストにたった今、名前が載った。
この男だけは絶対に許さない。
だから……。
「桜子さま、あと少しだけ耐えてください」
私はそう呟き、スマホのカメラを起動した。
桜子が抵抗して、男の手を振り払う。
「い……いやっ!」
すると男性は機嫌を悪くしたようで、桜子は強引にシャッターに押し付けられた。
「俺と遊ぶだけでいいんだよ、ねぇ」
「や……やめて……」
桜子が涙目になり、震えながら助けを求めている。
証拠は撮れた。
私はカメラの録画を終了し、大きく息を吸った。
そして―
「お巡りさんこっちです!変態男がこっちにいます!」
私は男の方から見えない死角で、大声で叫んだ。
すると男は、苦い表情をして逃げて行った。
私がひとりで桜子を助けに出て行ってもどうにもならなかっただろう。
だから私は、お巡りさんを引き連れていると相手に錯覚させることで、相手をビビらせたのだ。
「まあ、逃げたところで証拠はあるんですけどね」
あとで交番でこの動画を提出してやろう。
きっと、罪にはならないが、相手の不利益にはなるはずだ。
「桜子さま、大丈夫ですか?」
私はシャッターの前で腰を抜かしている桜子に手を差し伸べた。
「雫……」
桜子の瞳は涙で濡れていた。
まだ腰が抜けていて、立つことは難しいようだ。
「ごめんなさい、私が迂闊でした」
モデルをやっているような美少女をこんな路地裏に放置してしまっては、獣に餌をやっているも同然ではないか。
「いや、私が悪いんだ」
私が桜子の隣に座ると、桜子が言う。
「自分で言うのもなんだが、私は顔が良いだろう」
「はい、たしかにお綺麗です」
「だから、あのような男から声をかけられることはよくあるんだ」
「そうなんですね」
「私はいつも断り切れないで、どこかに連れていかれてしまいそうになるんだよ」
桜子は今回のような経験を普段からしているのか。
顔が良いというのも難儀な話だ。
「いつもは私の姿を見た誰かが助けてくれるのだが、今回は周りに人がいなくて本当に危なかったよ」
「私がこんなところに連れてきてしまったからですね……」
「違う、私が断るのが下手なだけだ」
「でも、こうなったのも私のせいで……」
「それを言うなら、私のリスク管理のできていなかったところも悪かったよ。私も、君に賛同してここで休むことを選んだわけだ、君だけが悪いわけじゃないよ、雫」
私がさらに、でも……と続けようとすると、桜子が私の言葉をさえぎって話す。
「私は雫が助けに来てくれて、すごく心強かったよ。ありがとう」
そう言って桜子が私の頭をなでる。
「せっかく一緒に生活しているのだから、どっちが悪いとかそういう感じじゃなくて、ふたりで何とかしようという風に考えてみないかい?」
「さっき桜子さまが私を助けてくれたみたいにですか?」
「そうだ、私たちはふたりでひとつ、二人三脚だ」
桜子が私の瞳を正面から覗き込みながら続ける。
「だから、助けてくれてありがとう」
私は桜子の言った考え方に納得した。
私たちは昨夜話したではないか。
ふたりで人生を歩んでいこうと。
だから、私は自分が悪いと謝るのではなく、桜子に言った。
「どういたしまして。桜子さまもちゃんと謝れるように練習しないと駄目ですよ」
私の元同級生との一件は、桜子がいなければ私はくじけていたかもしれない。
そして、今の一件は、私がいなければもっと大変なことになっていたかもしれない。
どちらもふたりでいたから乗り越えられたことだ。
「桜子さまって結構いいこと言えるんですね」
「そうかい?」
「そうですよ、お礼に私の飲んだ紅茶あげます」
バックの中から私が歩きながら一口だけ味見した紅茶のボトルを取り出す。
「……!」
桜子の顔が再び赤くなる。
なんだか、桜子をからかうのが楽しくなってきてしまっている自分がいる。
私がそんなことを考えていると、
「やっぱり雫は意地悪だ!」
そう言って、桜子がいつもの調子で怒る。
桜子がいつもの調子に戻ってくれてよかった。
私たちは他愛のない会話をしながら、少し休憩をしたあと、次なる来客が来る前に商業施設の中に戻った。
今度は私の方から恋人つなぎをする。
恋人繋ぎは友達同士でもするもんね!
そう自分を納得させて私は桜子の手を引いて歩みを進めていった。
「桜子さま!次はあそこに行きましょう!」
◇◇◇
「桜子さま、向こうで何か福引をやっていますよ」
「本当だね、一定金額以上のレシートで引けるらしい」
「私たちは何回くらい引けそうですか?」
桜子がお財布の中のレシートを確認する。
「私たちはカフェのレシート一枚と洋服屋さんのレシート二枚で三回引けそうだよ」
「じゃあ引きに行きましょう!」
私は目を輝かせて、桜子の手を引いていった。
昔からこういう運試しは好きなのである。
理由は運は差別しないからという素直じゃない理由なのだが。
「店員さん、これお願いします」
桜子が店員さんにレシートを手渡す。
「それでは三回引いてください」
店員さんが私の前の回転抽選機に視線を落とす。
「桜子さま、どちらから引きますか?」
「私は一回だけでいいから、私の後で雫が二回引くといいよ」
「ありがとうございます!それでは桜子さまからどうぞ!」
桜子がハンドルに手をかける。
ゆっくりと抽選機が回転する。
出た玉の色は……
白だ……
「五等のティッシュですね」
桜子がそんなもんさと首を振る。
次は私のターンだ。
私がハンドルを回すと、中で玉がたくさん転がる感触がした。
いや、多いな!
まだまだ白がたくさんあると考えると、当たる確率は相当低いだろう。
出た玉の色は……
白だ……
「五等のティッシュですね」
またハズレだ。
「最後の一回!」
私は思い切ってハンドルを回した。
出た玉の色は……
赤だ……
ん?赤?
え、これは当たりじゃない?
「おめでとうございます!三等の観覧車ペアチケットです!」
店員さんがハンドベルを鳴らす。
周りの視線が集まって恥ずかしい。
当てるつもりだったけど、当てたくなかった……。
「やったな雫!三等なんてすごいじゃないか!」
そう言って、桜子が私の手を取って喜ぶ。
ちょっと恥ずかしいが、桜子が喜んでくれたのならいいか。
「こちら景品の観覧車ペアチケットとなります」
店員さんが景品を私に手渡す。
「こちらのチケットは本館屋上の観覧車でご利用いただけます」
「ありがとうございます」
私たちはチケットを受け取り、その場を後にした。
「雫、せっかくだから、観覧車で夜景を見たくないかい?」
「いいですね、でしたら晩御飯まで食べて、乗ってから帰りましょうか」
私たちは日が暮れるまで、他のお店をぶらぶらと見て廻り、桜子が予約してくれたレストランでディナーを食べた。
桜子のおすすめの店ということもあり、とてもおいしかった。
「桜子さま、こんなにいいお店知っていたんですね」
「ああ、前にパパが日本に帰ってきたときに一緒に行ったんだ」
なるほど、今までずっと、なぜ桜子の親が家にいないのだろうと考えていたが、親が海外に住んでいるのであれば納得だ。
「桜子さまって、お父様のことをパパ呼びするのですね」
「私が幼い頃はよく一緒にいたのだが、その後海外に行ってしまったから、幼い頃の呼び方のままになってしまったのだろうな」
「そうなんですね、私も姉のことを小さな頃からずっとお姉ちゃんと呼んでいたので、今もその癖が抜けません」
「やはり、呼び慣れた呼び方から変えることは難しいんだな」
「私はもう桜子さまのことを桜子さまとしか呼べなさそうです」
「でも、君の元同級生に宣言する時はことをちゃんと桜子と呼べていたじゃないか」
たしかに呼んだかもしれない。
あの時は感情的になっていたため、メイドモードから外れて、ポロッと出てしまったのかもしれない。
「落ち着いたら、呼び方はまた考えますよ」
「ああ、それまでは君にあなたって言ってもらえる未来を想像して楽しむとするよ」
「おまえと呼ばれないように発言には気を付けてくださいね」
私が冷ややかな視線を桜子に向けていると、桜子は両手を上げて降参して―
「ごめんごめん、冗談……ということにしよう」
と、なんとも歯切れの悪い謝罪をした。
また、私もそういう未来が嫌とは言わないが、まだそういうことを考えるのは早すぎる気がする。
なんせ私たちはまだ高校生なのだ。
今はそういう、大人の楽しむようなことではなく、高校生らしい思い出を桜子と作りたい。
私がそんなことを考えていると、桜子が私に提案する。
「雫、そろそろ観覧車に乗ろうか」
「そうですね、遅くなる前に乗りましょう」
私たちはそう言って、商業施設の屋上へ向かった。
◇◇◇
この施設が海辺の施設ということもあり、夜の潮風が少しだけ肌寒い。
「流石に夜はまだ冷えるな、手を繋ごう」
「はい、その方が暖かいですもんね」
私たちは手を繋いで身を寄せ合いながら、観覧車の足元まで行った。
「ものすごい人……」
観覧車の根元にはあまりにも多くの人がごった返していた。
もしかして、ここの観覧車ってものすごく有名な場所なのでは……。
「桜子さま、どうしましょう」
私が日を改めるか桜子に意見を仰ぐと、桜子は私の手元にあるチケットを見た。
「雫、そのチケットいい方のやつじゃないかい?」
「いい方?」
「ほら、最優先乗車券って書いてあるじゃないか」
たしかに、チケットには最優先の文字が書いてあった。
なるほど、これが福引の景品に観覧車の乗車券が入っていた理由か。
おそらく、この観覧車があまりに人気なために、優先して乗れることに価値があるのだ。
「向こうに別の乗り場がありますね、おそらくあちらが私たちのチケットの方です」
私たちは別の乗り場に向かった。
私たちは並んでいる多くの人を横目に、専用通路からどんどん追い越していき、列の先頭に到達した。
「最優先乗車券のお客様ですね」
スタッフさんが私の手に握られているチケットを見て、そう声を掛ける。
「はい、これでお願いします」
私はスタッフさんにチケットを手渡した。
スタッフさんはチケットを点線からちぎり、半分を私たちに返した。
「それではこちらにお乗りください」
私たちは回ってきたゴンドラの一つに案内された。
「それでは行こうか」
桜子がそう言って私の手を引く。
「はい、せっかく人気の観覧車に乗れるのですから楽しみましょう!」
私たちはそう言って、ゴンドラに乗り込んだ。
◇◇◇
「綺麗……」
「私もここまで美しい夜景を見たのは初めてだよ……」
私と桜子は福引きで引き当てた優先乗車券を使って、観覧車に乗っていた。
私たちは目の前に広がる夜景の美しさに言葉を失っている。
ここからなら、この町の全てか見渡せそうだ。
どおりであんなに人が並んでいた訳だ。
たしかに、これには長い時間を掛けて並んででも乗る価値がある。
「それにしてもこの観覧車の設備は凄いな」
観覧車のゴンドラの中にはコーヒーサーバーが置いてあった。
乗客が好きなときにコーヒーを淹れられるようになっているようだ。
描いてあるロゴを見ると、朝に私たちがモーニングに行ったカフェのものと同じものだということに気付く。
どうやら、あのカフェと観覧車がコラボしているらしい。
私たちは身体を暖めるためにホットコーヒーを淹れて、向かい合って座りながらそれを飲んだ。
やはり、高いところは風もあり、地上より寒い。
しかし、この寒さがホットコーヒーの美味しさを引き立ててくれている。
「こうして向かい合ってコーヒーを飲んでいると、雫が家に来た日を、つい先日のことのように思い出すよ」
「本当につい先日のことですからね、ただ思い出してるだけですよ、それ」
「でも、なんだか色々ありすぎて、もう既に一年くらい一緒にいる気持ちになるよ」
「それは盛りすぎじゃありませんか?たしかに、つい先日会った相手とは思えないほど打ち解けられた自覚はありますが」
桜子と初めて出会ったのは、ほんの数日前だというのに、自分でも驚くほど彼女と打ち解けることができた自覚がある。
そして、桜子と出会ってからの数日の間に、私の人生は間違いなく大きく変わった。
「君と出会って私の人生は大きく変わったよ、雫」
桜子がそんなことを口にする。
桜子も私と同じことを考えていたのだ。
「私もですよ、桜子さま」
桜子のおかげで、私は過去のトラウマを乗り越えることができた。
お姉ちゃんのこともそうだし、元同級生のこともそうである。
私と出会ったことで桜子の人生がどのように変化したのかは、私の方からは分からない。
でも、目の前にいる桜子の笑顔を見たら、そんなことを聞くのは野暮に思えた。
私たちはお互いを必要としてる。
今はただ、それだけで良かった。
「桜子さま、私は今すごく幸せです」
「ああ、私もだよ、雫」
観覧車はちょうど頂点に到達する所だった。
二つの視線が正面からぶつかる。
私の心が桜子の浅葱色の瞳に吸い込まれそうになる。
目の前の少女の方が外の景色の何倍も美しい。
そして儚い。
触れていないと、夢のように消えて無くなってしまうのではないかと怖くなる。
桜子に触れたい。
「桜子さま、少しだけ私のわがままを聞いて頂いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、いいとも」
「では、目を閉じてください」
私がそういうと桜子は目をつむった。
私は桜子の隣に移動し、深呼吸をして―
桜子の頬にキスをした。
桜子が大きく目を見開き、赤くなっていく。
私の顔も恥ずかしさで熱を帯びる。
「あんなにいちゃいちゃするなって怒ってたのに……わがままでごめんなさい」
結局我慢できなかったのは私の方ではないか。
私が恥じらいながら謝罪すると、桜子も口をもごもごさせながら私に言う。
「じゃあ私からもひとつ……わがままを」
「いいですよ」
桜子は恥ずかしさに悶えながら目を閉じて、私の頬にキスをした。
人生で初めて人からキスをされた。
頬に伝わる柔らかさが、心地よい。
「初めて、桜子さまの方からして下さいましたね」
「恥ずかしくてなかなかできなかったんだよ、雫のことは大切に思っているし、私だって本当はしたかったんだ」
そんな顔を赤くしてモジモジされたら、私も照れてしまうではないか。
観覧車が残り四分の一の地点に到達する。
「私は桜子さまともっとそういうこともしたいです」
でも―
「私は桜子さまと普通の高校生としての思い出も沢山作りたいんです」
私たちが高校生らしい思い出を作れるのは今だけだ。
だから―
「いきなりじゃなくて、少しずつステップアップしていきませんか?」
それを私が言うのかと自分で自分にツッコミながら、私は桜子に言った。
「顔が真っ赤だよ、雫」
「それは桜子さまも同じです」
私は桜子にそう言い返したあと、大きく深呼吸をした。
「恥ずかしいので一度しか言いません、よく聞いて下さいね」
「うん」
「私は桜子のことが……好き」
だから―
「私とお付き合いしていただけないでしょうか?」
言った……。
勢いで言ってしまった……。
私の予定では、私が桜子に告白されるはずだったのに。
まあこの際、そんな細かいことは気にしてもしょうがないか。
私がそんなことを考えていると、桜子は優しい笑顔を私に向けて答えた。
「ああ、もちろんだよ、雫」
お互いが至近距離で見つめ合う無言の時間が続く。
私たちの両方の顔が真っ赤になり、この空気をどうしようかと悩んでいると、突然ゴンドラの入り口が開いた。
「「…!」」
私たちふたりが、驚きすぎて声にならない音を出して硬直していると、
「お足元に気を付けながらお降りください」
スタッフのお姉さんが、私たちに降りるように淡々と指示をしてきた。
私たちは無言でその指示に従い、観覧車から降りた。
恥ずかしすぎて会話ができない。
結局その日、私たちは家に帰るまで、ほとんど話すことはなかった。
しかし、観覧車を降りてから家に帰るまでの間、私たちの指は常に結ばれていた。
この日、私たちは恋人としてのスタートラインに立ったのだった。




