(4) 暖かさ
「すぅ……」
私の隣で桜子が健やかな寝息をたてている。
私は桜子を起こす約束をしていたので桜子の肩を揺すろうと手を伸ばした。
しかし、私は桜子に触れる前に動きを止めた。
「本当に、なんて綺麗な人なんだろう……」
長いまつ毛に、サラサラの白髪、大人っぽい横顔の中に少しだけ残る幼さ。
どこを切り取っても、かっこよくて、かわいくて、そして……儚い。
触れていなければどこかに行ってしまいそうで……。
「おはようございます、桜子さま」
私は桜子の頬にやさしく手を触れながら声を掛けた。
お互いの洋服から、パンケーキを焼いたときについた甘い香りがする。
昨夜はふたりでパンケーキを食べたあと、一緒に桜子のベッドで寝た。
毎日のように見ていた悪夢も、桜子と一緒に寝ると見ることはなかった。
「うぅ……ん……」
私の呼びかけに応じて、桜子が目覚める。
目覚める姿が色っぽくて、子供っぽくてなんだかよく分からなくなる。
いかにもザ高校生モデルといった感じだ。
「おはよぉ……雫」
「はい、おはようございます、桜子さま」
寝ぼけた桜子が私にガバッと抱きついてくる。
桜子の寝起きの体温が身体に浸透し、心地よい。
私は桜子の背中に腕をまわし、自分からも抱きしめた。
そのままどれだけの時間がたったのか分からない。
でも、それが幸せだった。
昨夜の話し合いで、桜子は今日一日学校を休んで、私とゆっくりしたいと言った。
私はそれを尊重して、今日一日桜子とゆっくりと過ごすことを選んだ。
というよりも、私もそうしたかったからそうしたのだ。
「桜子さま、今日は一緒にどこかへ出掛けるんですよね?」
「そうだね、今日は一日中まったりとデートだ」
今日は私もメイドとしてのお仕事を休ませてもらっている。
そのため、朝ごはんは作らなくてよく、桜子とカフェのモーニングを食べに行く予定だ。
別に強制はされていないので、いつ休んでも問題はないのだが、ここ数日でメイドとして務めることが生き甲斐になりつつある。
だから、メイドの仕事を休ませてもらうのはなんだか落ち着かないが、まあ、今日だけは気を抜いてもいいだろう。
「桜子さま、そろそろ起きて準備しないとモーニングを食べに行けませんよ」
「そうだね、そろそろ起きるとしようか」
私が先に起き、桜子の手を引いて起こしてあげる。
桜子は嬉しそうに微笑み、その後は自力でベッドから起き上がった。
私は、桜子が自らの衣装棚を開くまで彼女の姿を見届けていた。
その後、桜子のベッドの隣に敷いてある自分用に貸してもらった布団の方へ向かった。
布団を飛び越え衣装ケースの蓋に手を掛ける。
今日のお出掛けは何を着ていこうか。
私が蓋を開けた瞬間、私は気が付く。
「あれ、私の服ってメイド服と元から着ていたやつしかないんじゃ……」
せっかくのお出掛けなのに着ていく服がないことに今更ながら気づいた。
私がどうしようとあたふたしていると、後ろから桜子が洋服を渡してきた。
「この服は私のものだけど、フリーサイズだから着こなし次第では雫でも着られると思うよ」
私はお洒落の知識が壊滅的だ。
そもそも、持っていた服のバリエーションが少なかったこともあるが、何よりも今までお洒落を努力しようとしてこなかった。
私がどんな風にコーディネートすればよいか悩んでいると、桜子が私に声をかけた。
「私が組んであげるよ」
「すみません、よろしくお願いします」
桜子のセンスは、さすがはモデルだと言わざるをえなかった。
普段の私なら似合わないからと、絶対に選ばないような洋服も桜子の手にかかれば私でも着こなすことができた。
だが―
「あの……桜子さま?」
「どうしたんだい?」
「私の服を選んでくれるというお話でしたが、なんだか私にいろいろな服を着せることが楽しくなっていませんか?」
私はこの時間で多くの服を着せられた。
ダボッとしたボーイッシュな服装、フリルの付いたかわいらしい服装、Tシャツにジーパンのカジュアルな服装に―
「だって、雫が何を着せても似合うから楽しいんだもん……」
「やっぱり、楽しんでいたのですね」
まあ、嫌ではないのでモーニングの時間さえなければ、いつまででも付き合ってあげるのだが。
「流石にそろそろ出ないと間に合わなくなってしまいますよ」
「そうだね、では今日は今着てる白のシャツに黒のロングスカートのコーデで行こうか!」
私の服装はこれで決定したようだ。
私は服に着られてしまってはいないだろうか?
そんな私の不安を見抜いたのか、桜子が私の頭をなでながら言う。
「とてもかわいいよ、雫」
桜子はそう言ってくれた。
桜子本人は純白のワンピースを着ており、彼女が着るとこの服は彼女のために作られたのではないかと思ってしまうほどに似合っていた。
「綺麗……」
私の口から思わず称賛がこぼれると、桜子は満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう、頑張ってモデルをやってきたかいがあったよ」
その後、私たちは細かい準備を整え、玄関に集まった。
数日ぶりに外に出る。
そう考えるとなんだか怖くて、無意識のうちに手が震えてしまった。
「雫、外が怖いかい?」
またも見抜かれてしまった。
これまでの私だったらここで冗談を言って、感情を隠し、流していたかもしれない。
しかし、今の私は隠すことなく、正直に答えた。
答えられた。
「はい、少しだけ……怖いです」
私がそう言うと、桜子は私の手を握り、笑顔で言った。
「では、一緒に出ようか」
手のひらから伝わる暖かさはとても心強かった。
だから、この先どんなことがあってもこの暖かさがあれば大丈夫だと思うことができた。
「桜子さま」
「なんだい?」
「これからもよろしくお願いします」
「ああ、もちろんだとも」
私たちは玄関の扉を開けた。
そして―
「「行ってきます!」」
そう言って、ふたりで敷居を跨いだのだった。
◇◇◇
「このカツサンド、すごくおいしいです」
「私のフルーツサンドもおいしいよ」
私たちは、駅前の商業施設の中にあるカフェでモーニングを食べている。
少しお高めのお店ということもあり、味は格別においしかった。
私は生活にかかるお金を桜子に出してもらっている。
桜子は現在、モデルの仕事を休んでいるが、以前稼いだお金がかなりあるらしく、私も必要なものを買うのに使っていいと言われている。
しかし、やはり昔のこともあり、一方的にお金を使わせてもらうのは気まずいと桜子には言った。
だがそれを聞いた桜子は―
「私の偏見だけど夫のお財布は妻が管理するものだよ」
そう言って、私を暴論で納得させた。
というよりも、私が気にしすぎていると桜子の表情が曇っていってしまったため、私が慌てて納得せざるをえなかったのだが。
今はまだ働くことができていないが、いつか働いた暁には桜子にお金を返したいと思っている。
それが私が桜子と対等にあるために必要なことだ。
「桜子さま、私のこれ一口食べますか?」
「ああ、食べさせてもらうよ、私のもいるかい?」
「では、いただきます」
私たちはお互いのサンドイッチを交換した。
私は桜子のフルーツサンドを一口かじった。
おいしい。
生クリームの甘さの中に、程よいフルーツの酸味が生きている。
私がフルーツサンドを味わい、持ち主に返そうと桜子の方を見ると、彼女は私のカツサンドを持った状態でフリーズしていた。
「桜子さま?どうなさいましたか?」
「いや……その……」
サンドイッチの頭には私のかじった跡があって……
あっ……この人まさか……
桜子の顔が赤くなっていく。
「間接キスで赤くなるのは中学生までですよ、桜子さま」
「だって!妹意外と食べ物をシェアするの初めてなんだもん……」
大人っぽく見えるのに、この人って実はものすごくうぶなのだろうか。
そういえば、昨日私がおでこにキスをしたときにも真っ赤になっていた。
「食べないのであれば返してもらいますよぉ」
私は桜子に意地悪を言った。
すると桜子は勢いよくパクッと一口かじって、無言でサンドイッチを突き出してきた。
頭から湯気が上がっているように錯覚するほど、彼女の顔は真っ赤になっていた。
普段かっこつけているだけで、意外と可愛いところあるよな、この人。
もしかしたら、この幼い性格の方が桜子の本性なのかもしれない。
いじりがいがありそうだ。
一時間後
私たちはカフェでゆっくりとした時間を過ごし、カフェを後にした。
これからの予定は全て桜子におまかせしているので、私はどこへ行くのかまだ知らない。
「桜子さま、これからどこへ行くのですか?」
「着いてからのお楽しみにした方が面白いだろう?」
それもそうか。
私は、隣を歩く桜子の手を握った。
一瞬桜子の身体が驚いたようにビクッと跳ねたが、すぐに握り返してくれた。
私は手を繋いだ桜子の顔を見上げ、笑顔で言う。
「今日は一日よろしくお願いします!」
桜子は私から顔を背けた。
耳が赤くなっている。
目の前の耳を指でつつくと―
「雫がかわいいせいだ!雫のいじわる!」
と言って、拗ねてしまった。
いや、かわいいのはどっちよ!
そんな他愛のないやり取りをしながら、私たちは朝一の静けさが嘘みたいに消え去った活気あふれる商業施設の中に足を進めて行くのであった。
◇◇◇
私たちは今、洋服屋さんに来ている。
私は、自分の服を二着しかもっていないため、自分の服を買ってもらうことになったのだ。
今は五月末だ。
夜はまだ少し冷えるが、季節も少しずつ夏に近づいてきており、梅雨の訪れも近くなってきている。
梅雨やその後の暑さが本格的になる時期になる前に、夏用の服を買っておく必要があるだろう。
「雫、これはどうだい?これもいいな……」
目の前の桜子は朝の不満足を満たすように、私にいろいろな服を選んでくれている。
私はいろいろな服を目まぐるしく着せ替えられ、目が回ってしまいそうだ。
「桜子さま、もう少しゆっくりでお願いします……時間はたくさんあるので!」
私がヘロヘロになりながら桜子に訴えると、桜子は我に返ったように謝ってきた。
「本当にすまない、夢中になりすぎていた」
桜子はシュンとして落ち込んでいる。
別に服を着せられるのは嫌ではないのでそんなに気にしすぎなくていいのだが。
「今桜子さまの持っている服、すごくいいですね」
私は桜子が手に持つ、白色の首元の開けたシャツを指さして言った。
「確かにこのシャツは、他の服とも合わせやすいし、機能性も優れているからいいな」
私は桜子にそのシャツとそれに合わせる他の服を買ってもらった。
「せっかくだし、今日はこの服を着てみてはどうだい?」
桜子の提案に賛成し、私は買ってもらった洋服に試着室で着替えた。
首元が普段着る服よりも開けており、少しだけ落ち着かないが、着心地はとても良かった。
私は試着室を出ようとカーテンに触れた。
私はそこで止まった。
なんか恥ずかしい……。
桜子に見せれば何でも似合っていると言ってくれるのだろうが、モデルの彼女に服を着飾ったところを見せるとやはり緊張する。
外から桜子の声が聞こえる。
「雫、着替え終わったかい?」
ああ、もう!
出るしかなくなり、私はカーテンをバッと開けた。
桜子は新しい服を着た私を見て、目を輝かせた。
恥ずかしい……。
「とてもよく似合っているよ!」
桜子がスマホのカメラを連写する。
「あの……ここが公共の場だってこと忘れていませんか?」
私は恥じらいながら桜子に言う。
桜子がものすごい連写音を出しながら写真を撮るので、私に視線が集まってしまっている。
「桜子さま!見られてますって!」
私がそう言うと、桜子は私を後ろに押し、自分も試着室の中に入ってカーテンを閉めた。
この人は一体何をする気なんだ!
私が身構えると、桜子は狭い試着室の中で私と向き合いながら言った。
「他の人に雫の可愛い姿が見られるのはいいが、最初くらいは私が独り占めしたい」
「いや、桜子さまが連写したせいで私が注目されたのですが……」
桜子は私が可愛くて他の人に注目されたとでも思ったのだろうか。
桜子は自分の勘違いを咳払い一回でなかったことにした。
「まあ、独り占めできるならいいか」
桜子はそう言って、数分の間、狭い試着室の中で私をいろいろな方向から眺めていた。
嫌な気はしないからいいのだが。
私たちが試着室を出ると、さっきのような私たちに注目する視点は無くなっていた。
流れで私の分だけ洋服を買ってしまったが、桜子は自分の洋服を買わなくてよかったのだろうか。
そう思い私は桜子に聞いた。
「桜子さまは、ご自分のを買わなくてよろしかったのですか?」
私がそう問いかけると、桜子は私の全身を眺めながら悩むそぶりを見せた。
いったいどうしたのだろうか?
「雫、少しだけ向こうのベンチで待っていてもらえるかな?」
「わかりました」
私は桜子にお願いされた通り、店から少し離れたベンチに腰を掛けて待つことにした。
桜子は何をしようとしているのだろうか?
何かサプライズだろうか?
そんな風に私は少しだけワクワクしながら待っていた。
数分後、私の耳が後ろから歩いてくる足音を捉えた。
私は桜子が帰ってきたと思い、笑顔で振り向いた。
しかし、そこにいたのは桜子ではなく―
「前田さんじゃん、学校辞めたくせに、なんでそんなお洒落な格好して、こんなところに遊びに来てるの?」
私の元同級生だった。




