(36) 踏み出す勇気
「本当にひとりで大丈夫かい?」
桜子が私の頭をギュッと抱きながら、私に問いかける。
桜子が心配に思ってくれるのはものすごく嬉しい。
でも、これは私が向き合わないといけない問題なのだ。
桜子の背中に腕を回し、力強く抱擁する。
私は大丈夫だからと伝えるように。
「私は桜子が待っていてくれるのなら、どんなに辛いことでも頑張れるよ。ありがとう」
「でも……いや、愛する妻のことを信じて待つことにするよ」
桜子は下手くそな笑顔を浮かべて私を送り出してくれた。
不安にさせてしまって申し訳ない。
だからこそ、不安でも私を送り出してくれた桜子には感謝している。
良い成果を持ち帰ることができるように、今日は頑張らなければ。
「それじゃあ、行ってくるね!」
私は心理的に重たい扉を開いて廊下へと出た。
宿の廊下を歩いて、エントランスから外へと出る。
時刻は二十時の少し前。
外は雪が降ってもおかしくないほど気温が低かった。
少し薄い服装で来てしまったことを今更ながら後悔する。
「うぅ……寒い……」
部屋に一度戻ろうかと考えた。
しかし、そうしてしまうと、私はもうあの人に会う勇気が出せないかもしれないと思い、そのまま行くことにした。
私は今、ひとりで近くの温泉施設へと向かっている。
温泉に行くとなれば、普通であれば足取りは軽くなりそうなものであるが、私の足取りはとても重たかった。
「会いたくないけど……会わなくちゃ」
今日は母親と会う約束をした日だ。
なぜあの時、あの場で話をしてくれなかったのかは考えても分からなかった。
でも、このモヤモヤも実際に話をすれば晴れるはずだ。
「高校生ひとりでお願いします」
受付のお婆さんに入湯料を支払い、脱衣場へと足を踏み入れる。
温泉施設のエントランスに着いた時から思っていたが、あまりに人がいない。
「それもそのはずか」
人口の少ない離島の温泉施設なのだから、当然と言えば当然だ。
私は脱衣所で服を脱いだ。
私は知らない人に裸を見られるのが好きではない。
だから、温泉など滅多に行かないのだが、今回ばかりはしかたない。
でも―
「どうせなら桜子と来たかったよ……」
私の口からはそんな小言が溢れていた。
明日にでも桜子と一緒に来よう。
私はそう心に決め、浴室の扉を開いた。
白い湯気とともに、温かく湿った空気が流れ込んでくる。
中に入ると浴室は想像以上に広かった。
きっと、島民が多かった頃はもっと多くの人が訪れていた場所だったのだろう。
建物の老朽化具合を見ても、かなり限界といった感じだ。
「数年後もまた桜子と来れたらいいな……」
風呂椅子に座り、身体を洗う。
こうして、身体を洗っていると自分の身体の変化を改めて実感する。
桜子と出会ったばかりの頃はまともに食事も取れていなかったため、身体が細かった。
しかし、今は健康的な生活をしているため、健康的な肉付きになっている。
「ありがとう……」
桜子と生活を共にして、私も成長しているのだ。
私はあの頃の受け身な私じゃない。
今ならちゃんと母親とも向き合えるはずだ。
「よし!」
自分の頬を両手でペチペチと叩き、気合いを入れる。
そして、気合いが衰える前にサウナの扉へと手を掛けた。
時刻は約束の二十時ぴったり。
「今度こそはちゃんと話してもらうよ。お母さん」
「ええ……ここでなら」
こうして私と母親の数ヵ月ぶりの対話が始まったのだった。




