(24) 努力の結晶
梨沙さんとの特訓から一ヶ月と少しが経ち、十月半ばになった。
「明日はついに文化祭だね」
私にメイクされる桜子が、私に話しかける。
「そうだね、なんだか私まで緊張してきた……」
桜子の身体はきついダイエットの結果、出会ったころよりも素晴らしい状態になった。
そして、私のメイクもなかなかなものになった……と信じている。
「文化祭が終わったら祝賀会をやろう!」
桜子がそう提案する。
先のことを考えれば少しは気が紛れると、緊張する私に気を遣ってくれたのだろう。
「いいね!桐谷さんと来てくれるといいな!」
たしかに、先のことを考えていると、少し緊張が弱まった。
私も桜子も、あとは努力してきたことをぶつけるだけだ。
もう、心配することはない!
だから、きっと何事もなく無事に終わってくれるはずと―
この時の私はそう信じていた。
◇◇◇
「いってらっしゃい!また後でね!」
そう言って、私は桜子を文化祭に送り出した。
桜子たち学生は、事前準備のために少し早い時間に学校に集合することになっているそうだ。
親や知り合いなどの生徒の関係者は、その後の時間に学校に行くことになっている。
けれど、ひとつだけ懸念点がある。
それは―
「雨がひどくならなければいいけど……」
テレビのニュースでは雨が徐々に強まる予報が出ている。
雨が降ってしまうと荷物の持ち運びや移動が大変になってしまう。
けれど、今さら天候について文句を垂れていても仕方がない。
私は自分に口紅を塗ったあと、メイク道具が雨で濡れてしまわないように慎重に梱包してバッグに詰めた。
梱包していると、メイク入れの中に紙が一枚入っていることに気がついた。
『雫は私にとって、世界で一番のメイクさんだ。期待してるよ』
桜子からの短いメッセージだった。
その一言だけで胸が暖かくなった。
しかし、それと同時に、今日は桜子のためになんとしてもメイクを成功させなければと気が引き締まった。
「桜子はどうして緊張させるようなこと書くのかなぁ?」
私はそんな文句を言いつつも、それが桜子らしいと思い、笑った。
今日まで私も桜子も頑張ってきたのだ。
ダイエットや勉強だけじゃない、私たちの出会ってからの五ヶ月間が今日のメイク、そしてモデルウォークには詰まっている。
だから、きっと大丈夫だ。
私と桜子の思いを舐めてもらっては困る。
「なんとか優勝させてみせる!」
私はそう言って覚悟を決めた。
◇◇◇
はずだったのだが―
「嘘……でしょ……」
私は駅の電光掲示板を見て絶望していた。
電光掲示板には全線運転休止の文字見えた。
どうやら雨が強くなった影響で電車が止まってしまったらしい。
「私はどうすれば……」
タクシーを使うべきだろうか。
私はそう考え、タクシー乗り場へと向かったが、同じような状況の人が溢れかえっており、とてもじゃないが乗れる状況ではなかった。
バスなどの公共交通機関も同様で、完全にパンクしていた。
つまり私は出遅れたのだ。
「ここから十駅……」
今からこの雨の中を走ればなんとかなるのだろうか?
いや、無理だ。
間に合うわけがない。
でも―
「私が簡単に諦めるわけにはいかないの!」
私はそう言って、レインコートを着て雨の中を走り出した。
間に合うか間に合わないかなんて関係ない。
きっと、そうしないと私は後悔する。
そう思ったから地面を蹴ったのだ。
「待っててね!桜子!」
◇◇◇
私の身体は桜子のダイエットに付き合ったこともあり、そこそこ仕上がっていた。
だから、以前は少し走るだけでバテていた身体も、過酷な道中になんとか耐えてくれていた。
「あと……七駅!」
開演までにあと二時間しか猶予がない。
かなり絶望的な状況ではある。
でも、今は信じて走り続けるしかない。
私は走って―
「あと六駅!」
走って―
「あと五駅……!」
走って―
「……四駅」
限界が来た。
身体が……動かない。
転んで擦りむいた傷がジクジクと痛む。
「もう……無理なのかな……?」
私の口からついに弱音が溢れてしまった。
開演まであと二十分しかない。
桜子たちはスマホの使用を制限されているため、連絡を取ることもできない。
きっと、桜子は私が来るのを待ってくれている。
「ごめん……なさい……」
私は、桜子が残したメッセージを再び読んで、悔しさで涙を流した。
きっと、桜子は怒らないで私がここまで頑張ったことを褒めてくれるだろう。
でも、それでは私も桜子も不完全燃焼で終わってしまう。
だから―
「走らなきゃ……」
私はそう呟いて足を引きずりながら歩みを進めた。
しかし、上がらない足のせいで段差に足を引っ掻けて転んでしまう。
痛かった。
でも、立ち上がった。
こんな雨なんかに、私と桜子の出会ってからの日々を否定させてたまるかと。
私がゆっくりと歩みを進めていると進行方向から原付のような排気音がした。
そして、その排気音は私の前で止まり―
「雫ちゃん!乗って!」
知っている声が私の頭にヘルメットを被せた。
顔を上げるとそこにはヘルメットから茶髪を生した少女がいた。
「桐谷さん……どうして……?」
そう、そこにいたのは紛れもなく私の知っている桐谷さんだった。
そういえば、以前に原付の免許を持っていると話をしていた。
「電車が止まって、交通機関も麻痺してる中で雫ちゃんならどうするかなって考えたの!やっぱりラコも雫ちゃんも似てるわ!なんでそんなにバカみたいに頑張れるのよ!」
「でも、桐谷さん……学校は……」
「もちろん、勝手に抜け出したから校則違反よ!でもそれはいいの!だって、私はふたりの親友が泣く顔なんて見たくない!」
なんていい人なんだろう……。
思わず涙が溢れた。
「ほら!これはふたり乗りしてもいいやつだから安心して乗って!」
たしかに、ずっとめそめそしているわけにもいかない―
「すみません……よろしくお願いします!」
そう言って、私は桐谷さんの後ろに跨がった。
桐谷さんは、私が座ったのを確認して原付を走らせ始めた。
よく見てみると、桐谷さんはレインコートのようなものを一切身に纏っていなかった。
きっと一分一秒でも私の所に早くたどり着くために、着替えないで来てくれたのだろう。
綺麗な制服は雨で染みだらけだった。
「桐谷さん!服が!」
「学校に替えがあるから気にしないで!」
「すみません……」
「謝らなくていいのよ!それよりもありがとうって言ってもらった方が百倍元気が出るわ!」
桐谷さんは桜子と同じようなことを言ってくれた。
どっちが先にこの言葉を言い始めたのかは分からないが、その言葉はとてもありがたかった。
「ありがとうございます!」
「よし!それでいいのよ!法定速度一杯で飛ばすから掴まっててね!」
そう言って、桐谷さんは原付のスピードを上げた。
ふたりで力を合わせて間に合わせてみせる。
だから―
「待っててね、桜子!」
◇◇◇
「お待たせしました!」
そう言いながら、私は目の前の控え室の扉を勢いよく開いた。
室内にいた生徒の目線が私に集まり、恥ずかしい。
でも、今はそんなことどうでもいい。
「雫!どうしてそんなにボロボロに……もしかして走ってきたのかい!?」
綺麗な洋服に身を包んだ桜子が、驚きながら私を出迎える。
話したいことは沢山あるが―
「私のことは後でいいから!さっさと準備しなさい!」
「でも……」
「でもじゃない!私が頑張ってここまで来たのを無駄にしないで!ちゃんとステージの上で証明してみせて!」
「……分かった!」
このとき開演までにあと五分しかなかった。
いつも通りの時間をかけたメイクはできない。
でも、妥協はしたくない!
「やってみせる!」
私はメイク箱を開き、道具を取り出した。
短い間ではあったが使い込んだことで、どこに何があるのかは全て分かっていた。
そして、何百回も練習したことで、迷うことなくメイクを行うこともできた。
このときの私はきっと、プロのメイクさんと遜色ないような動きをしていたのだろう。
「凄すぎる……」
「あの子一体何者なの?」
後ろから私を称賛する声が聞こえる。
でも、そんなもの今はどうでもいい。
「桜子はそんなに不安そうな顔をしないで!私のせっかくの作品が映えないじゃない!スマイル!」
私がそう言うと、桜子は笑顔を浮かべてくれた。
そう、それでいい。
これが私の大好きな桜子の顔だ。
「もう少しで終わるからね!」
私はそう言って最後に口紅を塗ろうとした。
しかし―
「無い……」
そう、そこには口紅が入っていなかった。
おそらく、私が家で自分に使った後、入れ忘れてしまったのだろう。
でも、このままでは未完成のまま桜子を送り出してしまうことになってしまう……。
どうすればどうすればどうすれば……。
「ごめん、口紅を忘れちゃった……」
私はどうしようもなくて桜子に謝った。
私はどうして肝心なところでミスをしてしまうのだろう……。
私が自責し、うつむいていると、目の前の桜子が私の顎に手を添えた。
「口紅なら……ある」
桜子はそう言うが、口紅なんてどこにも見当たらない。
私の視界のどこにも口紅は無かった。
あっ……。
でも、そこで私は桜子の考えに気付いた。
たしかに、私から見えないところに口紅はある。
でも……それを使うためには……。
私がそう躊躇っていると柔らかな感触が私の唇に当たった。
桜子が私にキスしたのだ。
「嘘!」
「もしかしてあの人桜子先輩の恋人さんなの!?」
後ろから歓声が聞こえる。
そりゃそうだ。
学校の憧れであろう桜子がいきなりキスを、ましてや同性とキスをしたのだから驚くはずである。
恥ずかしい……。
しかし、その甲斐あって桜子の唇にはうっすらと口紅がついた。
私はそれを軽く塗り広げ、色を確かめた。
それは奇跡的に、私が目標としていた桜子の唇の色を生かせるいい薄さだった。
これでメイクは完成だ。
開演まであと一分。
なんとか間に合わせた。
「行ってきなさい!私と桜子の努力の結晶を見せつけてきて!」
そう言って、私は桜子の背中を押した。
「ありがとう!世界で一番綺麗な私を見せてあげるから、楽しみにしててくれ!」
桜子はそう言って、係の生徒に連れられて舞台裏の方へと消えていった。
桜子がいなくなると―
「ねえねえ!あなたは桜子先輩の彼女さんなの?」
「メイク上手すぎてビックリしました!」
そんな声とともに私の周りに人が集まる。
人と話すのは苦手なんだよな……。
私がどうしようかとあたふたしていると―
「ほら!あなたたちはさっさと観客席の方へ行きなさい!」
着替えてからやって来た桐谷さんがそう言って、私を助けてくれた。
「副会長!?申し訳ありません、すぐに向かいます!ほら!みんなも!」
私の周りの生徒たちが離れていった。
助かった……。
私が胸をほっと撫で下ろしていると、桐谷さんが暖かいお茶のボトルを手渡してくれた。
「雫ちゃん、お疲れ様!」
「ありがとうございます!桐谷さんがいなければ間に合いませんでした!」
「雫ちゃんがあそこまで走って来てくれていなかったら、それこそ間に合わなかったから、こちらこそありがとうだよ!」
桐谷さんのその言葉に、私はようやく仕事が終わったのだと安心した。
安心すると、濡れた身体の冷たさや擦り傷の痛みを感じた。
きっと、さっきまではアドレナリンが出過ぎて、なにも感じていなかったのだろう。
「うっ……」
「雫ちゃん!」
その場に倒れそうになった私の身体を桐谷さんが支えてくれた。
暖かい。
「そこの椅子に座って!私、救急箱と着替え持ってきたから!」
そう言って、桐谷さんは私の傷の治療を始めてくれた。
「雫ちゃんは無理しすぎなのよ!」
「心配かけてごめんなさい……」
「いいのよ!私も、桜子のためにここまで頑張ってくれる雫ちゃんだからこそ、安心してラコを託せたわけだし!」
「ありがとうございます……」
そんな話をしている間に、私の傷の応急処置が終わった。
まだ痛むが、これで動ける。
あとは―
「この服を借りてもいいんですか?」
私は桐谷さんから渡された服を見てそう聞いた。
渡された服がこの学校のジャージだったからである。
「多分バレないから大丈夫よ!あと、それ私のじゃなくてラコのやつだから!」
それは果たして本当に大丈夫なのだろうか……。
でも……身内の服だからセーフ。
私はそう自分を無理やり納得させた。
ジャージに着替えると、ジャージからは大好きな匂いがした。
着ているだけで、心まで暖かくなる。
そんな匂いだった。
もちろん桜子のサイズだから、私にはブカブカだったが、そこは裾を曲げてなんとかした。
これで準備は整った。
「桐谷さん!行きましょう!」
「そうね!私たちの努力の成果をラコに見せてもらいましょう!」
そうして、私と桐谷さんは観客席の方へと走っていった。




