(2) 新しい日常
「いかがでしょうか、ご主人様」
私は、丈の長いメイド服のスカートを指先でつまみ上げ、桜子に問いかけた。
メイドの作法は知らないが、きっとこれで合ってるのではないだろうか。
そんなプロ意識の欠片もないメイドの真似事をしていると、桜子はとても満足したような笑みを浮かべ、私に言った。
「すごく良く似合っているよ」
桜子は目を輝かせながら、私の写真を撮っている。
先ほどからカメラのフラッシュが止まらない。
カメラで撮られる機会なんてこれまであまり多くなかったので緊張する。
嫌な気はしないのだが、なんだかとても気恥しい……。
「まさかこんなに喜んでいただけるとは思ってもいませんでした……」
私はあまりの熱量にさすがに引き気味であった。
私はそんな桜子の様子を見て、ある一つの可能性にたどり着き、それを言葉にした。
やっぱりこの人―
「こんな立派なメイド服が家にあるなんて、やっぱりご主人様は変態さんなのですか?」
「やっぱりってなにかな?私はまだ一度も変態っぽいことしていないはずだが?」
「まだってなんですか……」
桜子は不思議な人だ。
桜子とは口下手な私でもなぜか普通に話すことができる。
「でも、私から一つだけお願いをしてもいいかな?」
桜子が私に尋ねる。
桜子が私の主人であると、他ならない私が定めた以上、断る理由もない。
「なんなりと」
「そのご主人様呼びを止めてくれるかい?」
「なんとお呼びすればよろしいでしょうか?」
「名前でいいさ、その方が距離が近い感じがして気楽だからな」
「それでは、今後は桜子さまとお呼びいたします」
「あと敬語を使わなくてもいいのだが……」
「いえ、これはメイドの流儀ですので」
アニメや漫画に出てくるメイドの真似をしているだけで、誇りもプライドも何もないが、この方が面白いのでそうすることにした。
「可愛いからそれは許そう」
「やっぱり、桜子さまはへんた……何でもありません」
「?」
目の前の変態は私の言い掛けた言葉にニコニコしながら首をかしげている。
この人絶対に聞こえてて煽ってるよな……。
何ターンか私が一方的にツッコミをする会話をした後、私は改めて桜子に言った。
「私、前田 雫は本日よりメイドとして桜子さまにお仕えさせていただきます」
桜子の瞳を正面から見つめ、宣言する。
そして、スカートをつまみ上げながら、
「どうぞよろしくお願いいたします」
そう言って頭を下げた。
どうせ終わる人生だったのだ。
だったらせめて、最後くらいは誰かの役に立ちたい。
少なくとも桜子に対してはそう思えた。
「ああ、よろしく頼むよ」
桜子が私の頭を撫でてくる。
子供じゃないんですけど……。
そんなことされると恥ずかしくなってきてしまうではないか。
危うく出鼻を挫かれてしまいそうになったが、私は平静を装い、お風呂へ足を進めた。
「では、私は早速お風呂をいただきますね」
「私も一緒に入るとしよう」
「ダメですよ、やっぱり変態さんじゃないですか」
そう言って、私はそそくさと扉の内側に入り、扉を閉めた。
思わずほころんでしまった口元を見られてしまわないように。
◇◇◇
「えぇぇ!」
お風呂から上がった私の姿を見て、桜子は尻もちをついた。
それもそのはずだ。
だって桜子からしたら別人がお風呂から出てきたようなものなのだから。
「伸ばしっぱなしだった髪の毛を切ってみたのですが、お気に召しましたでしょうか?」
私は腰上程まであった髪を肩にかからない長さに切っていた。
自分で言うのも何だが、意外とうまくいった。
才能があるのかもしれない。
私、美容師とか向いてたりして。
なんて、そんなことを考えていると、桜子が前回以上に目を輝かせて、私のことを褒めちぎった。
「うん、とてもよく似合っているよ!」
桜子が鼻息を荒くして私の写真を撮り始める。
もしかしたら、この変態は私が髪を全剃りしていても可愛いと言って写真を撮るのではないだろうか?
「お気に召して頂けたようで幸いです」
正直、髪を自分で切ったのも初めてだったし、気に入ってもらえないかもと内心不安だった。
だから、気に入ってもらえたようで正直ほっとしている。
絶対に桜子には言わないが。
その後、桜子が満足するまで写真撮影タイムが続いた。
桜子が満足したようにスマホをポケットにしまったのを見て、私は言った。
「それでは、ただいまから私はメイドとして働かせていただきますね」
「よろしく頼むよ、雫」
私は桜子の熱のこもった視線を背中に浴びながら、その場を後にした。
二時間後
「ようやく家がまともに使えるようになりましたね」
桜子に入らないように言われた一室を除いた全ての部屋の片づけを終えた私は、彼女と自分の分のコーヒーを淹れていた。
「本当に雫はすごいな。私の築き上げてきた汚部屋をものの二時間で片付けるなんて」
「汚部屋の自覚はあったのですね、桜子さま」
「あれでも、努力はしていたのだがね」
「将来結婚したらどうするのですか……こちらコーヒーです」
桜子にコーヒーを手渡す。
「私にそんな日が果たしてくるのだろうか……ありがとう」
私と桜子は向かい合う形で座り、コーヒーを口に含んだ。
自分で言っていて思ったのだが、私は桜子が結婚したらどうなるのだろうか。
そのままメイドとしていられるのか、それとも捨てられるのか。
「まあ、この変態さんは当分結婚できなさそうなので、まだまだ先の話ですが」
「だから、それは私が一番わかっているって……」
そんな軽口を叩いた後、私と桜子は今後の話をする。
「そういえば、雫は私と同じくらいに見えるが、学校はどうするんだい?」
「辞めます」
「でも、メイドの片手間にでも行っておいた方が気晴らしにもなるのではないのかい?」
「行きたく……ないです」
私は頑なだった。
もう、あんな場所には行きたくない。
思い出すだけで、脳内に嫌な声が響き、カップを持つ手が震えてしまう。
「なるほど……気が利かなくてすまない」
そんな私の様子を見て、桜子が頭を下げる。
「いえ、桜子さまは悪くありません」
私は意図せず重くしてしまった空気を変えるために、逆に桜子に質問した。
「そういえば、桜子さまはおいくつなのですか?」
「私は17歳で高校三年生だ」
「ということは、私よりも一つ上ですね」
私がそういうと、桜子はにやにやとしながら言った。
「桜子お姉ちゃんって呼んでもいいのだよ、桜子先輩もいいな……」
お姉ちゃん……。
ああなるほど、そういうことか。
ようやく私が桜子と自然に話せる理由が分かった気がする。
でも、この理由は桜子に対してあまりに失礼だ。
私は確信を胸の奥にそっとしまった。
「いつまでその変態ムーブが続くのですか……」
年齢を聞いたことで、私が桜子の容姿を見たときに感じた年上感が、見間違えでなかったのだと分かった。
さらに桜子と私ほどの体格差があれば、昨日の夜に私の身体を抑え込めたことにも納得できる。
もちろん、私が全力を出せていなかった可能性の方が高いが。
「では、桜子さまが学校に行っている間、私は家で家事をさせていただきますね」
「家事……そうしてもらえると嬉しいよ!」
桜子は途中、私の全身を見て、何かを思い出したように少し暗い顔をしたが、嬉しいと言って笑ってくれた。
私と桜子はその後、お互いの生活について話し、生活の方向性を定めた。
話を終え、私がキッチンに二つのカップを運んでいると、背後で桜子の声がした。
「雫は私の前から消えないでね」
声のトーンを落とし、今までとは違う口調で桜子は私に言った。
まるで私ではない人に話しかけているような、そんな感じだった。
「かしこまりました」
私はそれに驚いたことを悟られぬように、短く一言だけ答え、キッチンの奥へ引っ込んだ。
出会ってからの短い時間の中で、桜子があのような態度を取ったのは初めてだった。
「そんなに私のことが気に入ったのかな?」
私は一人、洗い物をしながら首をかしげ、小さくつぶやいた。
◇◇◇
私が桜子に拾われてから二日が過ぎた。
今日は日曜日である。
私は早起き……というよりも悪夢で目が覚めてしまうため、桜子よりも早く起きていた。
私は桜子から貸してもらった来客用の布団を彼女のベッドの隣に敷かせてもらい、そこで寝ている。
桜子は私と一緒に同じベッドで寝ればいいと言ったが、さすがにそれは落ち着かないので断った。
だって、あんな美少女の横で安心して寝られるわけないじゃん!
緊張するに決まってる。
私はそんなことを考えながら、朝食の用意を済ませ、まだ寝ている桜子を寝室に起こしに行った。
「おはようございます、桜子さま」
私が掛け布団の山に声をかけると、山がもぞもぞと動いた。
私はもう一度山に声をかけた。
「起きてください、桜子さま」
私が声をかけると、山から手と足が勢いよく飛び出してきたが、そこで中身は再び力尽きたようだ。
こうなっては仕方がない。
「約束通り、強制執行いたします」
そう言って、私は桜子の布団を引きはがし、カーテンを開けた。
「う……うぅ……」
桜子が辛そうに縮こまる。
子供か!
この人は家事ができないだけでなく、朝にも弱い。
一体、今までどうやって生活してきたのだろうか?
「桜子さま、そろそろ起きないとご飯が冷めてしまいますよ」
私がそう言うと、桜子は目を閉じたまま駄々をこねるように言った。
「じゃあ、起こして」
そう言って、桜子が私に手を伸ばしてくる。
子供か!(二回目)
「仕方がありませんね」
私があきれながらそう言って、手を掴んだ瞬間だった。
「かかったな!」
私はものすごい力で、桜子の胸元に引きずり込まれ、抱きしめられた。
「さっ……桜子さま!何をするんですか!」
私は突然のことに気が動転し、叫んでしまった。
しかし、そんな私のことを意に介さず、桜子は私を抱きしめ続ける。
桜子の耳元でのささやきが、私の鼓膜を震わせる。
「雫は本当に可愛いな」
桜子の寝起きの暖かな体温が私の身体に伝わってくる。
「変態……」
悪態をつきつつも、私はそれが何だかとても心地よく感じて、徐々に抵抗する力を失っていった。
三十分後
ようやく解放された私は、怒り顔で料理を温めなおしている。
「雫、さっきは本当にすまなかった」
桜子が反省しているのかいないのか分からない表情を私に向けながら謝罪する。
「突然あんなことしないで下さい……」
私は赤くなる顔を桜子に見られないようにしながら言う。
でも、さっきみたいなのは別に嫌いじゃない。
すると、私が照れた顔を隠しきれていなかったのか、私の顔を見た桜子が嬉しそうに言う。
「そろそろ雫も私のことが好きになってきたか!」
桜子が目を輝かせながらこちらを見ている。
だから、私はジト目で応答した。
「いえ、好きとは一言も」
「なん……だと」
桜子は机に突っ伏して落ち込んだ。
私の何がそんなにいいのだろうか。
「そういえば!」
桜子がそう言って再び顔を上げる。
また何を言い出すのかと私が身構えていると。
「昨日の私の結婚の話だが、雫が将来、私の妻になるというのはどうだろうか?」
「は?」
想像の斜め上の内容に思考がフリーズする。
そもそも私たちは女同士ではないか。
「桜子さま、私たちは女同士ですよ」
「そうだな」
「しかも、結婚は好きな人とするものですよ」
「そうだな」
「じゃあ、どうして私なんですか?」
「君が好きだからだよ」
はっきり言ってこの人は頭がおかしい。
何がどうなれば、ついこの前拾ったばかりの私のことを好きになるのだろう。
それとも私はからかわれているのだろうか。
「なんにせよ、お断りさせていただきます」
私ははっきりと断った。
「私、人を好きになったこととかないので、好きとかよく分かりませんし」
私がそう言うと、桜子は笑顔になり、言った。
「問題はない、結婚できるようになるまでに時間をかけて私のことを好きにさせるさ」
私がこの人と結婚する。
そんなの無理だ。
私にはそんな資格はない。
だって私は……。
「できるもんならしてみてください、私は手ごわいですよ」
私は自分の過ちを隠すように虚勢を張ったのだった。
◇◇◇
一日が経ち、月曜日になった。
「桜子さま、行ってらっしゃいませ」
学校に行く桜子に私は声をかける。
「ああ、行ってくるよ」
そう言って、玄関の扉を開けた桜子が、再び扉を閉めて戻ってくる。
何か忘れ物でもしたのだろうか。
「何か忘れ物ですか?」
「そう、大事なこと忘れてた」
私の身体が桜子のしなやかな身体に包み込まれる。
不意打ちだったため私は逃げられなかった。
なんだか今回はやけに力強い気がする。
「もしかして桜子さま、今朝私がハグを避けたの怒っています?」
私は昨日と同じ轍を踏まないように、桜子を起こすときに手を握らなかった。
そこで私が取った手段というのが……。
「ああ、怒っているとも、メイドたるものがなぜ主人をベッドから転がし落とすというのだ」
「だって桜子さま、私が手を掴んだら引き込む気満々だったじゃないですか……」
二度も同じ手には引っかからない。
抱きしめられてしまったら、なし崩しに受け入れてしまいそうだから。
そう、今みたいに。
恥ずかしいのに、なんだか離れ難いこの熱に侵されてしまう。
でも、そろそろ時間だ。
「ほら、桜子さま!そろそろ離れてください、遅刻しますよ」
私がそう言うと、桜子は渋々離れて私に背を向けた。
桜子の暖かな体温が離れることに、少しの寂しさを覚えてしまった自分がいた。
お姉ちゃんともこんなやり取りをして笑いあっていた記憶がある。
懐かしいな……。
私が感慨にふけっていると、桜子が満面の笑みを浮かべながら私に声をかけた。
「雫成分を吸収できたことだし、今度こそ本当に行くことにするよ」
そんなにニコニコされたら、こっちまで嬉しくなってしまうではないか。
「行ってらっしゃいませ」
私はそう言って、桜子を見送った。
鍵が閉まったのを見て、私は一安心する。
私の顔は赤くなっていないだろうか。
桜子に抱きしめられると私の中の何かがおかしくなる。
「なんだか、私まで変態になってきてる気がする……」
二時間後
私は一通りの仕事を片付けた。
結局、仕事を終らせても私の脳裏から桜子の抱擁の感覚が離れることはなかった。
本当に変な気分だ。
そろそろちゃんと、気持ちを切り替えなければならない。
私は自分の頬をペチペチと叩き、気持ちを無理やり切り替えた。
「よし」
私は桜子が家にいない間、基本的な家事をしている。
それでも、仕事が終わった後は時間が余るため、料理の勉強をしている。
桜子は私の料理を喜んで食べてくれる。
昨日も朝昼晩とおかわりまでしてたくさん食べてくれた。
「私のせいで桜子さまが太ってしまったらどうしよう……」
私は太って、家事もできなくて、朝も起きれない桜子を想像して頭を抱えた。
私が桜子をちゃんとお世話しなくてはならない。
うん、決して妻としてではないよ。
もしかして、ダメな夫を演じるという桜子の作戦だったりするのだろうか?
私としても死ぬまで(いつ死ぬかはまだ未定だが)はそばにいるつもりだ。
私は桜子のことが嫌いではない。
桜子といると、楽しくて気が緩んでしまう。
なんだかとても幸せな気持ちになるのだ。
でも―
「でも、その幸せは桜子さまを一生幸せにしてあげられる人に与えてほしい」
桜子の優しさは、私のようないつ死ぬか分からない人間にはもったいない。
お姉ちゃんのような人生を桜子には歩んで欲しくない。
だから―
「私が桜子さまの妻になるわけにはいかないんですよ」




