(1) あの夜の約束
自由気ままに百合を書いている者です。是非手に取って頂けると嬉しいです。
暗闇の中、目を焼くスマホの画面が私に深夜になったことを伝える。
十六歳の女子高校生がこんな時間に一人で外出しているというのに、スマホの画面には親からの心配のメッセージ一つ見当たらない。
まあ、そもそも親の連絡先はもう消したんだけどね。
私がスマートフォンの電源を落とすと、視界が深海のように暗闇に包まれた。
高架橋の上で、伸ばす目的を失った私の長髪が風に乱される。
「どうしてこうなったんだろう」
私、前田 雫は今、高架橋の縁で眼下の樹海を眺めている。
人生の最後の景色となる樹海の眺めは、格別に綺麗というわけでもなく、どこにでもありふれていた景色だった。
でも、人生最後の景色だと思うとなんだか感慨深く思えてしまって、私は静かに見つめていた。
こんな時に、星の光でも出ていれば、きっともっとましな景色になっていたに違いない。
いや、私には星の光一つないこの暗闇がお似合いか。
「ここから飛び降りればまたお姉ちゃんに会えるのかな」
そんなことをしたら、お姉ちゃんはきっと怒るだろう。
でも、私はもう孤独な人生に疲れてしまった。
人の暖かさが恋しい……。
「独りぼっちは寒いよ」
どこまでも続く眼下の樹海が、私の独り言を吸い込んでいった。
ここなら誰にも迷惑をかけずに死ぬことができる。
私が死んで困る人がいるとは思えないが。
「よい……しょっと……」
高架橋の粗末な柵に足をかける。
今はこの粗末な柵だけが私の命を支えている。
いっそ足場が崩れてくれれば幸せなのに。
そうなれば、私は意図しない事故死だ。
自殺じゃなくなる。
来世はきっと幸せになれるはず。
でも、神様は無情で、そんな奇跡を起こしてはくれないらしい。
「お姉ちゃん、私も今行くからね」
胸のポケットにしまった大切な物の所在を指先で確認し、私は目を閉じて重心を前に傾けた。
致死性を伴う心地よい浮遊感が私の身体に伝わる。
はずだった。
「待って」
私の後ろから中性的な声が聞こえる。
その瞬間、私はものすごい力で後ろへと引き戻された。
あまりに突然のことに私は受け身も取れず、アスファルトに尻もちをついた。
しかし、まったく痛みは感じない。
あまりの驚きに、痛覚が仕事をしていない。
「あ……ぁ……」
驚いた私の喉が声にならない音を絞り出す。
誰もいないことを何度も確認したはずだった。
それに、五月のこんな肌寒い夜に外を、ましてや森の中の高架橋を歩いている人などいるはずがない。
なのになぜ。
「ひとまず、落ち着いて」
しなやかな細い腕が私の肩にまわされる。
お日様のような匂いがする。
どうやら私は後ろから抱きしめられたらしい。
背中から体温を感じる。
「暖かい……」
人の暖かさ感じたのはいつぶりだろうか。
知らない人に触れられただけなのに、凍った心が少しだけ溶けた気がした。
でも、この暖かさも私という人間を知れば、すぐにいなくなってしまうはずだ。
いつか消える暖かさなら、もういらない。
だから、優しくしないで欲しい。
「私はもう疲れたの……だから死なせてよ……」
私は声を震わせながら、顔も知らない誰かに懇願した。
人生の最後に、人の暖かさに触れさせてくれたことには感謝している。
でも、私はもう決めたのだ。
「放して!」
私は力いっぱいに暴れながら再度懇願する。
しかし、細い腕はどこにこんな力があるのだと思うほどに力強く、私を放さない。
私はどうしてこんなにも細い腕を振り払えないのだろうか。
まるで、私の身体がこの暖かさから離れたくないようではないか。
「お願い……」
私の願いも虚しく、呪いのような温かさは私を放さない。
私がなおも抵抗を続けていると、優しい声が私の鼓膜を震わせた。
「人生を捨てるくらいなら私に頂戴」
予想外の言葉に私の思考が一瞬フリーズする。
この人は一体何をふざけたことを言っているのだろうか。
優しい声が再び私の鼓膜を震わせる。
「欲しいものは何でも用意するから」
今私が欲しいものは、私を苦しみから解放してくれる死だけだ。
それ以外はもう何も欲しいと思えない。
しかし、相手は私の返事を聞かぬままに再び私に願う。
「だからお願い、私のものになって」
今度のお願いは命令のようにも聞こえた。
しかし、どうしてこの人は私のことが欲しいのだろうか。
私は空っぽだ。
おまけに、底に空いた穴から大切な物がどんどん流れ出していく欠陥品だ。
これまでも誰からも必要とされてこなかった。
私はいるだけで人を不幸にしてしまう。
なぜ、そんな私を欲しがるのだろうか。
「私なんているだけ邪魔ですよ」
私は腕の主を不幸にしないためにはっきりと告げた。
しかし、それを聞いた相手はさらに語気を柔らかくして私に言った。
「こんなかわいい子、いくらいても困らないよ」
この人は本当に何を言っているのだろうか。
もしかしたら、この人は私を抱きたいだけの変態男なのだろうか。
最近は華奢な男性も多い。
きっとこの人がそうなのだ。
「そんなの……おかしすぎますよ」
私の口元は思いがけない状況に笑っていた。
普通は自殺寸前の女の子を助けてそんなことを言う人はいない。
でも、いつでも死のうと思えば死ねるのだから、人生の最後に誰かの役に立てるのであれば、それもいいのかもしれない。
「いいですよ、最後にあなたのわがままに付き合ってあげます」
私がそう答えると、私の肩にかかる腕の力が弱まった。
今、目の前の闇に走って飛び込もうとしても、相手はおそらくそれを許さないだろう。
そう考え、私はあきらめて後ろを向いた。
変なことを言ってくるバカの顔を覚えて、冥土の土産とするために。
「えっ……」
振り向いた私は絶句した。
そこにいたのは私の想像していたバカそうな男ではなく。
「女の子?」
そう、そこにいたのは、しなやかな身体に学生服を纏い、美しく長い白色の長髪を風に揺らす、長身の少女だった。
目の前の少女を照らすかのように空の雲を割り、月が出てくる。
月光に照らされる少女はキラキラしていて、とても美しかった。
「綺麗……」
私が呆然として見つめていると、少女は微笑み、言った。
「私の運命の人、見つけちゃった!」
絶句する私を置いてきぼりにして、眼前の少女は子供のようにはしゃいでいた。
一体彼女は私に何を望むというのだろうか。
私が尋ねようとしたその瞬間。
死への恐怖で張りつめていた私の意識は、直前の驚きで限界を迎え、糸が切れたように暗闇に落ちていった。
落ちていく意識の中で私が見た少女の姿は、まるで暗い夜空に輝く星のようで―
ただただ、美しかった。
◇◇◇
食器の擦れるような音に眠りを妨げられ、私の意識が覚醒する。
見慣れない天井、自分のものではない匂いのするベッド。
まったく覚えがない。
ここは一体どこなのだろうか?
「私は……死んだの?」
自分の頬をペチペチと叩きながら自問する。
高架橋の柵に足をかけたあたりから記憶があまりない。
私が一生懸命思い出そうとしていると前方から突然声がかけられた。
「いや、君は生きているよ」
突然の声に驚き、体がビクンと跳ねる。
毛布に隠れながら、恐る恐る前方を見ると、そこには白髪の少女が座っていた。
私は震える声で目の前の少女に問いかける。
「あなたは……誰?」
私がそう問いかけると、目の前の少女は宝石のような浅葱色の瞳を丸くして、逆にこちらに問いかけてきた。
「私は星野 桜子だ、まさか昨日のことを覚えていないのかい?」
向こうは私のことを知っているようだが、私はさっぱりこの少女のことを覚えていない。
覚えていないはずなのだが……。
何かが私の記憶に引っかかる。
目の前の桜子と名乗る少女からするお日様のような暖かな匂い。
この匂いを私はどこかで嗅いだことがある。
「こうしたら思い出すかな?」
桜子はそう言うと、ベッドに乗って私の背後に回り、肩に腕をまわしてきた。
私は突然のことに逃げ出そうとしたが、がっちりと抱きしめられ、逃げられなかった。
たしかに、この匂い、暖かさ、身体が覚えている。
私の中でおぼろげだった記憶が、だんだんと鮮明になっていく。
そうして私は、自分の記憶の霧が鮮明に晴れた瞬間、大声で叫んでしまった。
「あなたはあのときの変態男!」
私が突然叫んだものだから、私を背後から抱きしめる柔らかな身体がこわばってしまった。
申し訳ないと思ったけれど、今は状況確認が先だ。
私の背後から正面へと戻った桜子は、私を見て微笑んでいた。
男じゃないでしょ?と私に問いかけるように。
一つに結われた長い白髪、柔らかそうな桃色の唇、吸い込まれてしまいそうなくらい美しい浅葱色の瞳、どこを見ても彼女は可憐な女の子だった。
どこからどう見ても男の人ではない。
「昨日君を寝かしつけたときに、私が男であるという誤解は解いたはずなのだがね」
私が目の前の少女に寝かしつけられた?
一体何を言っているのだろう?
そう考えたのも束の間、自分のものではない寝室で寝ていることが、決定的な証拠であることに気づき、私は顔を赤くした。
顔を赤くして黙り込む私をからかうように桜子が冗談を言う。
「でも、こんなにかわいい私が男だったら、いろいろとお得過ぎると君は思わないかい?」
「いや、お得って何ですか!」
私は思わず反射でツッコミを入れてしまった。
そんな私の様子を見て、桜子は笑いながら謝罪する。
「すまない、冗談だよ」
そう言って、桜子は幾分か真剣さを取り戻した瞳を私に向け、これまでの状況を説明した。
昨晩、私が高架橋から飛び降り自殺をしようとしていたところを桜子が引き止め、私の人生は約束により、彼女のものになったらしい。
いや、私、人生安売りしすぎでしょ。
ただで捨てようとしてた人が言うセリフじゃないけど。
「なんとなく話は分かりました」
意識がもうろうとしていたとはいえ、約束は約束だ。
私は約束は破りたくない。
トラウマが蘇る。
だって自分の不義理で嫌われるのは嫌だもん。
「それで、私は何をすればいいんですか?」
私は桜子の奴隷になる覚悟で問いかけた。
桜子がどんなにひどいことを命令しても、私は彼女に尽くさなければならない。
私が桜子の言葉を怯えながら待っていると、彼女はなぜか意外そうな顔をして私に言った。
「えっ、別に何もしなくていいのだけど」
「いや、じゃあなんで拾ったんですか!」
思わずまたツッコミを入れてしまった。
私、コメディアンの才能あるかも。
いや、じゃなくて……。
本当にこの人は何を考えているのだろうか。
もしかして私は、本当にやばい人に拾われてしまったのではないだろうか。
私が身の危険を感じ、この家からの脱出経路を探していると、桜子が笑いながら私に言った。
「じゃあ、君は道端に死にそうな可愛い子猫が捨てられていて、その子を拾ったときに、何か見返りを要求するのかい?」
それは卑怯だ。
言い返したくても言い返せない。
私が何とかして言い返そうといろいろなことを考えながら口をもごもごさせていると、桜子は勝ち誇ったような笑みを見せながら言った。
「じゃあ、そういうことで」
私は言い返せなかった悔しさをしぶしぶ胸に閉じ込め、代わりに小言を言ってやった。
「その猫が凶暴なライオンに育たなければいいですね」
私が小言を言いつつもしぶしぶ納得すると、桜子は満足げに微笑んだ。
初めて見た時も思ったが、桜子の微笑みはまるでモデルさんみたいに美しい。
私が桜子の美しさに見惚れていると、彼女が何かを思い出したように突然声を出した。
「あっ!そういえば君のために朝ごはんを作ったんだよ!」
桜子が私の膝の上にお盆とお皿を乗せた。
さっきの食器の擦れる音の正体はこれか。
私がモヤモヤを解決したところで皿の方に目を向けると、そこには黒い円盤状のものが載せられていた。
一体、このダークマターは何なのだろうか……。
「一体これは何なのですか?」
私の心の声と思わず出た素朴な疑問が一致した。
私の問いかけを受けて、桜子は自信満々な顔でダークマターを指さして、説明し始めた。
「これは私のスペシャルパンケーキさ!」
「いや!これ私の知っているパンケーキじゃありませんよ!」
私が何度目か分からないツッコミを入れてから、さらに立て続けに言う。
「こんなの毎日食べさせられたら、すぐに死んじゃいますよ……」
自殺しようとしていた私だが、さすがに死因がダークマターの食べすぎは笑えない。
お姉ちゃんに向こう側で会った時にあきれられてしまう。
お姉ちゃんが一瞬だけでも笑ってくれるのであればそれも悪くないかもしれないが……。
「とにかく!朝ごはんはもういいです!」
私はそう言って、お皿を桜子に返した。
すると、桜子は不服そうに唇をとんがらせながら言った。
「いつもよりは上手にできたと思ったのだがな……」
えっ……この人毎日これよりひどいの食べてるの?
桜子の美貌があのダークマターによって作られているのであれば、ぜひ美容雑誌に情報を売りたいものだ。
そんな訳ないだろうけど。
私が絶句しながらそんなことを考えていると、桜子はしょんぼりとしながらパンケーキであったであろう物を片付けた。
そして、その代わりにと、私に代替案を提示した。
「では、お風呂とかはどうかな?」
たしかに、昨日かなり冷や汗や脂汗をかいたこともあり、身体はベトベトだ。
いい匂いのする桜子の隣に、私が汗臭いままいるのも世間が許してくれなさそうであるため、私はお風呂に入らせてもらうことにした。
「では、お風呂をいただきます」
「よかった、お風呂はあっちだ」
桜子が、廊下の先の脱衣所であろう場所の扉を指さしたため、私はそちらに向かった。
本当は昨日死んでいたはずなのに、私は今、まだ二本の足で立っている。
その事実を未だに頭が受け止められていない。
私は昨日、死んでおくべきだったのではないのだろうか。
私と生活すると桜子が不幸になってしまうかもしれない。
それどころか、そもそも私は、こんなに完璧な桜子のために何ができるというのだろうか。
何もしなくていいと言われても、さすがに何もしないのはあまりに落ち着かない。
それじゃあまるでペットではないか。
「服は私のものを適当に置いておくよ」
後ろから桜子の声が聞こえる。
完璧そうな桜子に欠点でもあれば、そこを私の存在理由にすることができるのだが……。
そういう意味では料理では役に立てるのかもしれない。
でも、それだけなのもな……。
そんなことを考えながら、私が脱衣所の扉を開けた瞬間―
「あの、ここってゴミ屋敷か何かですか?」
私は思わず、後ろにいた家主の方を振り返って問いかけてしまった。
脱衣所の中は、服や靴下が散乱しており、足の踏み場がなかった。
洗面台の鏡も水垢だらけだ。
廊下を歩いているときから、床に物が散乱していたから、何かがおかしいとは思っていたが……。
「……」
家主からの返答はない、どうやら無言を貫くようだ。
「あの?聞いていますか?」
私は家主の顔をじっと見て、追及を続ける。
すると家主の方が先に根負けした。
「家事が何もできない、ずぼらな人間ですまない!」
桜子は私に謝罪した。
あんなにも美しい、モデルみたいな人がこんなにずぼらとは誰も想像しないだろう。
その事実があまりに面白くて。
「あはは!」
私は思わず大笑いしてしまった。
こんなに面白い光景を見て、笑わずにいられるわけがない。
こんなに笑ったのはいつぶりだろうか。
笑いすぎて、枯れていたはずの涙が溢れ出してきた。
すると、桜子が恥ずかしそうに顔を真っ赤にして叫んだ。
「いいじゃないか!そんなに笑わないでくれよ!」
桜子が赤面しながら、顔を両手で覆い隠している。
私がこの家でするべきことが見つかったかもしれない。
こんな私を拾ってくれたこの人のためにできること。
「昨日私になんでもしてくれるって言いましたよね?」
正しくは、『欲しいものは何でも用意するから』と桜子は言ったのだが、少しだけ曲解させてもらった。
私が桜子にそう問いかけると、彼女は頷いた。
「ああ、もちろんだよ」
ただ、そこで桜子は渋い顔になり―
「でも、掃除は苦手なんだよな……」
と言った。
私は桜子に掃除をさせるつもりはない。
むしろその逆である。
「いえ、あなたに掃除はさせませんよ」
私の要求、それは―
「ご主人様、そこにあるメイド服一式をお借りしてもよろしいでしょうか?」




