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悪魔と女刑事  作者:
3/3

02 神の御加護があらんことを

女刑事主人公が悪魔シンに出会って“ある提案”をされる話。

ああ主よ、お応えください。

なぜ私にこのような試練を与え給うたのですか?















┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈















 極彩のネオンに照らされた夜の街に突如轟いた銃声。

 直後、鋼を引き裂くようなけたたましいブレーキ音がその場にいた人々の耳を劈き───車両同士が衝突する激しい衝撃音が悲劇のフィナーレを飾った。





 事故による被害者(死亡者)は2名。

 1人目は30代女性E。職業・歌手。

 2人目は40代男性K。職業・不詳。

 ───そして、重要参考人1名。

 20代男性S。職業・ナイトクラブ経営者。





 通報を受け現場に到着した捜査員が周辺への聞き込みを行ったところ、重要参考人Sが事件発生の直前まで1人目の被害者女性Eと親しげに話している様子を数名の通行人が目撃していたことがわかった。事件現場の道端でSとEが別れの挨拶を交わした直後、背後から猛スピードで走ってきた乗用車の運転席から男が拳銃を取り出し、すれ違いざまに2人に向けて計8発の銃弾を発砲。被弾したEは即死した。

 乗用車に乗っていたのは2人目の被害者男性Kだった。Kは2人を銃撃したあと数十メートルの距離を走行したのち、対向車線のトラックに正面から激突。こちらも即死だった。

 以上のことから、被害者2名の間で起こった何らかのトラブルか過去の怨恨が事件発生の原因ではないかとみられている。

 ……ただし、一つだけ不可解な点がある。

 Kの拳銃から発砲された8発の銃弾はすべてEに“のみ”命中していたのだ。Eは全身を銃弾で蜂の巣にされ穴だらけであったにも関わらず、彼女のすぐ近くに立っていたはずのSの身体には弾痕どころか、かすり傷一つ見当たらなかった。

 つまり、無傷だったのである。

 なお重要参考人Sは現在、事件担当刑事からの事情聴取に応じているとの報告を受けている───。








┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈








 金曜日の夜は誰も彼もが浮かれている。

 ふわふわと落ち着きのない気分は注意力を散漫にさせ、いつもなら容易に察知出来るはずの些細な危険でさえ、夜の帳の向こうへと遠ざけてしまうのだ。普段の平日に比べて交通事故の発生件数が抜きん出て多いのも、その所為だと言えるだろう。

 今宵命を落とした2人の被害者たちもまた、帳のすぐ向こうまで迫っていた命の危険を察知することが出来なかったのだろうか?

 ……それとも、彼等の命を奪った“危険”は作為的に仕組まれたものだったのだろうか?

 黄色と黒のバリケードテープで封鎖された事件現場の光景を思い出す傍ら、私は今しがた聴取した情報を手元のメモ帳に箇条書きで書き記していた。しかし、紙面を走るペンの動きは徐々に鈍くなり、やがて完全に止まってしまう。

 どうしても納得がいかない証言が目の前にあるからだ。



「……すみません、もう一度確認させてもらえます?」



 口を開きつつ、先程自分でメモ帳に書き殴った情報を頭の中で反芻したが……やはり馬鹿らしいとしか思えなかった。


「2人同時に銃撃されたにも関わらず、弾が命中し絶命したのは彼女だけ。一緒にいたはずのあなたには1発たりともかすりもしなかったなんて……、そんなこと有り得るはずないと思いますけど?」


 被害者のすぐ傍に立っていたのに1発も被弾することなく無傷で生還するだなんて偶然、そうそうあるはずがない。

 わたしは顰めっ面を引っ込められないまま顔を上げ、目の前の人物に今一度向き直った。


「随分と幸運だったようね。神の御加護かしら?」


 わざと皮肉めいた口調を選んだ私の問いかけに対し、その人物は組んでいた長い脚を悠然と組み替えながら、その口もとに冷笑を浮かべる。




「俺は神に祈ったりなどしない。」




 大きな革張りのソファに深々と腰掛け不遜な態度で私の事情聴取を受けるこの人物こそ、今回の事件の重要参考人だ。

 彼の名前は、シン。

 そして此処は、彼がオーナーを務めるナイトクラブ『暗点』のメインホールだ。

 なぜ私が彼のナイトクラブに来ているのかと言うと、答えは簡単。『暗点』が1階に店を構える高層マンションの真正面が事件現場であり、被害者女性Eはこのクラブの常連客だったからである。彼女と面識があり、かつ自身も事件に巻き込まれたシン───気は引けるが、ここでは名前で呼ぶことにする───から話を聞こうとした。……のだが。

 事件発生直後であるにも関わらず、動揺するどころか実にあっけらかんとした様子の彼が突然「喉が渇いた。酒を飲みたいんだが。」と言い出し、こちらの返事も待たずにクラブの中へ歩き去ろうとしたため、慌てて追いかけてきたのである。


「だったらなに?とっても悪運が強いとか?」

「本当に俺の悪運が強いんなら、これほどつまらない事情聴取に付き合わされて時間を無駄にすることはなかっただろうぜ。」

「あなたは事件の重要参考人なの。聴取を受けるのは当然よ。」

「そうか。では、その重要参考人とやらの貴重な時間を奪ってまで行った事情聴取の結果はどうだ?何かめぼしい収穫はあったのか、刑事さん?」


 シンは手元のクリスタルグラスに注がれた琥珀色のウイスキーを煽りながら、形の整った凛々しい眉をわずかに引き上げると、子どもを揶揄うような口振りで私にそう問いかけた。……今更言うまいと思っていたのだが、警察から殺人事件の事情聴取を受けている人間の態度とは思えない。とてつもなく傲慢な振る舞いである。


「ご心配どうもありがとう。おかげで余計に謎が深まったわ。」

「熱心にメモをとっていたが、無駄な努力だったようだな。」

「メモはただの情報整理のためのツールよ。大切なのは集めた情報を正しく並べ替えて分析することなの。」

「で、その分析結果は?」

「被害者と一緒に襲撃を受けたにも関わらずあなただけが無傷で済んだなんてどう考えても不自然だよ。私が気づかないとでも思ったの?」


 私からの疑いの眼差しをシンはまるで気にしていない様子だった。そればかりか、陳腐なおとぎ話を聞かされた子どものように白けた顔をしながらグラスに口をつけ、酒で喉を潤している。

 ……なんだろう。ちょっとムカついてきた。


「あなたは被害者男性と裏で何らかの取引をしていた。つまり、グルだったって可能性が出てきたってわけ。」

「随分と短絡的な発想だな。期待ハズレもいい所だ。」

「だったらもっとまともな証言を聞かせて。嘘か本当かどうかもわからないデタラメな作り話じゃなくて。」

「言っておくが、俺は嘘は吐かない。愚かな人間(おまえ)達より余程正直者だぜ?」


 それは私だけではなくこの世界に生きる全ての人類を見下しているような発言だった。

 気怠げな声色とともに向けられた冷ややかな嘲笑。

 この世の全てを見透かすような真紅の双眸。

 彼から向けられる全てが無性に私の心を苛立たせて……同時に彼に強く固執させようと仕向けてくる。

 刑事をしていれば、相手からこのような挑発を受けることは日常茶飯事である。もっと口汚く罵られたり激しく捲し立てられることだって珍しくない。それに比べれば、シンの口調はとても落ち着いていて言葉の端々からは高い知性と教養が感じられ、その佇まいは威厳と品位に満ちている。

 しかしその一方で、初対面の相手の弱点をこれほど的確に探り当て、切り込んでくる狡猾さと容赦の無さを持ち合わせている。そしてそれらを実に上手く使い分けながら、真綿で首を締め上げるかようにじわじわと相手を追い詰めていくのだ。



「どうした。努力が水の泡になるのは初めてか?」



 急に押し黙った私をシンは興醒めしたような眼差しで見据えてくる。

 毒を宿した薔薇のような両瞳はひどく冷たく、無感情で、非情だ。まるで人の心を持たない悪魔のように。




「……勘違いしないでくれる?」




 でもね。私が屈すると思ったら大間違い。




「私は、一刻も事件を解決するべく誠意を持って重要参考人の事情聴取に臨んだつもりよ。」




 相手が悪魔だろうと閻魔だろうと、私は決して怯まない。




「だけど肝心の相手はその誠意に応えるどころか、信憑性に欠ける馬鹿げた証言を繰り返してばかり。…挙げ句の果てには私の刑事としての職務を侮辱して誇りを踏み躙り、悦に浸る最低な男だった。」




 凍てついた赤い瞳を真っ向から睨みつけ、言葉を続ける。




「あなたの言う通り、完全に時間を無駄にした。遅れを取り返さなきゃならないからそろそろ捜査に戻らないとね。見ての通り私はものすごく忙しいの。酔っ払った“正直者”との楽しいお喋りはこれでお終い。それではごきげんよう。いい夜を。」




 息継ぎすらそこそこに矢継ぎ早にすべての反論をぶちまけた私はそこでようやく息を吸い込んだ。両方の肺が新鮮な酸素で一気に満たされていく。

 心臓の鼓動が早い。

 我ながら随分強気な言葉ばかりを投げつけてしまったような気もするが、今更謝罪するつもりなどない。

 強いて問題点を挙げるのであれば、恐らく機嫌を損ねたであろうシンが今後警察の事情聴取に応じる可能性が皆無になったことくらいだ。これは正直勿体無いことをしたと思う。だが後悔はない。



(こんな悪魔の手なんか借りなくても、犯人は必ず逮捕してみせるんだから!)



 そう決意を固め素早く踵を返したわたしは、




「───面白いな。」




 背後から聞こえた低い声に 思わず立ち止まっていた。

 ……鉄杭で床に磔にされたように、足が動かない。




「この俺にここまで反抗的な奴は未だかつて現れなかった。」




 後ろでシンが立ち上がった気配がした。コツ…コツ…と、上質な大理石で拵えられた床を彼の革靴が踏みしめる音がゆっくりと近付いてくる。




地上(ここ)に来てからというもの、飢えた俺の腹はいつまで経っても満たされなかった。空腹で、退屈で……死んでしまいそうだった。」




 一歩、また一歩。その歩みは、ようやく見付けた獲物との距離を詰める獣のようだった。

 彼の気配がすぐ後ろまで迫っているのを感じ取った直後、背後から不意に伸びてきた大きく無骨な手に顎を掴まれた。シンの手だった。慌てて身を捩って振り払おうとしたが───抵抗は許されなかった。




( なに、これ……!? )




 私の身体はどこからともなく現れた得体の知れない赤黒い霧に絡みつかれ、自由を奪われていたのだ。



「ちょっと!離しなさい!」

「…ほう?この力を見てもなお俺を恐れないとはな。ますます興味をそそられるぜ。」



 人智を超えた力を目の当たりにして動揺してもなお自分を睨めつけてくるわたしをシンは心底愉快そうに見下ろしてくる。先程までとは打って変わって、冷ややかだった赤い双眸は僅かな期待と興奮を孕んでいるように見えた。

 一体、私の何にそこまで興味を持ったというのだろうか。



「いいだろう。捜査に協力してやる。…ただし、」



 彼が笑う。

 形の良い唇を弓形に引き上げて。

 立ち上げられた白銀の前髪が僅かに被さった高い眉骨の下にある長い睫毛に縁どられた瞼のその奥で輝く真紅の双眸を、ゆるりと細めて。

 圧倒的で完璧なその美しさを、悪魔でさえ魅入られてしまうほどに罪深いと、思った。

 


 ( ───駄目だ。)

 (今は、今だけは気をしっかり持たなくちゃ。)



 これから彼が提示してくるであろう交換条件を一言一句聞き漏らさぬよう、両脚に力を込めて床を踏みしめ、両手の指先を強く握りこむ。どんな奇想天外なことを言われようと決して狼狽えることがないよう、覚悟を決めてシンの言葉を待つ。


「重要参考人なんてありふれた立場じゃつまらない。特別な役職(ポスト)を用意してもらう。」

「…どういうこと?」


 大きな手に顎を掴まれたままの私は視線だけをシンの方に向けつつ、眉を潜めた。それに気付いたシンは情けをかけるかのように私の顎を自分の方に優しくクイッと引き寄せる。

 私とシンの両瞳が至近距離で交差する。

 目の前の赤い瞳にクラブの照明が映りこんで…まるで地獄の炎のようにゆらめいている。


「そうだな。例えば……」


 















市警(おまえたち)専属のコンサルタントってのはどうだ?」

















 

 ……どうやら神はこの善良な私に御加護を与え給うどころか、非情にも見放したようだ。










┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈










 残念ながら私には厚い信仰心はない。

 だから聖書を読んだことはないし、毎週日曜日に教会に通うことはないし、勇気や心の支えを得るために十字を切ることもない。

 けれども。




「…………正気?」

「これ以上ないほどにな。」




 今だけはこれを言っても許されると信じたい。








 ───Oh my God(神の御加護を)









 to be continued.

▶Next story「調査記録報告書」

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