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悪魔と女刑事  作者:
2/3

01 退屈しのぎ

女刑事主人公が悪魔シンをペントハウスまで迎えに行く話。

街の中心に聳え立つ高層マンションの最上階。

そこには、退屈を嫌悪する悪魔が棲んでいる。















┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

















 このエレベーターに乗るといつも思う。

 このまま天国まで昇っていってしまうのではないかと。













 軽快なベルの音とともに扉が開いた。

 目の前に現れたのは、一流ホテルのスイートルームすら霞んでしまうほどにラグジュアリーで洗練された空間。



「……シン?起きてる?」



 広すぎる室内を見回しつつ部屋の主に呼びかけてみるも、あの剣呑な低い声は返ってこなかった。

 しかし部屋の奥の方から微かに水音が聞こえてくる。…どうやら私を呼び出したあの“悪魔”は優雅に水浴び中らしい。



「ホント、マイペースなんだから……。」



 溜息を吐き、項垂れる。

 もういっそ一人で出発しようかとも思ったが、相棒(※こう呼ぶのは大変不本意ではある)を置き去りにして仕事に向かうのも気が引けるし、部屋まで来てしまった手前引き返すのも面倒なので、仕方なくここで待つことにした。

 手持ち無沙汰なのに任せて部屋を彷徨きながら内装やインテリアを何気なく観察する。部屋の中央に鎮座する立派なグランドピアノは傷一つなく磨き上げられており、薄暗い照明の光を反射してつややかに光っている。



「彼、ピアノも弾くんだ。」



 そう言えば、オルガンを演奏すると聞いたことがあった気がする。音楽への造詣が深いのだろうか。

 日頃から飄々とした態度で周囲を翻弄するシンは常に予測困難だ。趣味嗜好もまったく読めない。彼の以外な一面が垣間見えた気がして、不意に興味をそそられた。

 その時だった。




「───弾いてくれるのか?」




 ガチャッという扉の開閉音とともに背後から聞こえた声。

 深みがあり、どこか気怠げにも思える低音。

 振り向いた視線の先にいたのは他でもないこの部屋の主・シンだった。濡れた白銀の髪をバスタオルで無造作に拭きながら、ゆったりとした足取りでこちらに歩いてくる。……半裸で。



「ちょっと!何か着てよ!」

「着てはいないが身に付けてるだろ。」



 腰に巻いたバスタオルをおもむろに顎で指した後、こちらを揶揄うような視線を向けてくる。彼の血のような真紅の瞳はいつも息をのむほど怪しげな輝きを湛えているが、今は人間に悪戯して悦に浸る悪魔を彷彿とさせた。

 否、実際悪魔なのだが。



「“服を”着て!」

「客人のくせに文句が多いな。」

「招いたのはあなたでしょ?それとも、地獄には客人を半裸でもてなす文化でもあるの?」

「世界には理解困難な文化が多々あるものだ。……地上(ここ)では人の家で勝手にルームツアーを始める習慣があるらしいからな?」

「……。」



 ぐうの音も出ず、黙秘する。

 状況を整理してみよう。まず、招いたのは向こうである。事件現場への同行を求めたところ、有無を言わさぬ口調でペントハウスまで迎えに来るよう言われ、渋々署から車を走らせやって来たのだ。

 しかしよく考えてみれば、部屋の内装やインテリアを勝手に物色したのは些か不躾だったかもしれない。自分のプライベート空間に他者が踏み入ることを嫌がる気持ちは私にもわかる。……わかるのだが。



「………だったら部屋まで呼ばずに下のフロアで待たせておけばいいじゃない。」



 何度でも主張しよう。私は呼ばれたから来たのである。

 唇を尖らせむくれるわたしの様子をシンは愉快そうに観察しながら軽く口角を引き上げた。



「俺は外で女を待たせるなんて馬鹿な真似はしない。」



 言いつつ髪の水気を充分に吸い取ったバスタオルをソファの背もたれに放り投げると、そのままゆるやかな歩みで今度はウォークインクローゼットに入っていく。どうやら、やっと服を着る気になってくれたようだ。

 


「だったら!次からは私が来るまでに身支度を整えておいてよ!」



 クローゼットの奥で衣服を選んでいるであろう彼に聞こえるようにわざと声を張り上げると「そんなに一生懸命叫ばなくても、おまえの声はよく聞こえるぜ。」とまた笑われた。

 ……人を待たせているくせになんて不遜な態度なんだろうか。



「それで?今日はどんな事件なんだ。」



 クローゼットの奥からシンが質問する。離れているのに不思議とよく通るその声は、事件に興味津々と言うより気紛れな出来心で質問しているように聞こえた。

 今回の事件の捜査が自分にとって“退屈”か、それともささやかな“退屈しのぎ”となりえるのかを、見極めるために。



「現場は五つ星ホテルのスイートルームだよ。」



 昨夜当該ホテルでは、セレブ限定の社交パーティが開催されていた。主催者は世界中で知らない者などいない某有名女優で、彼女と親しい俳優仲間や映画監督、スーパーモデル、ファッションデザイナー、ヘアメイクアップアーティストなど数多くの著名人が参加しており、文字通りたいへん盛り上がっていたという。

 


「パーティは主催者の誕生日パーティを兼ねていたらしいんだけど…その彼女が今朝、宿泊していたスイートルームで何者かに殺害された。第一発見者は彼女のマネージャーよ。」

「誕生日パーティに殺されるとは、彼女の手元には随分熱烈なプレゼントが届いたようだな?」



 皮肉めいたブラックジョークを口にするシンの感情は声色からはまったく読めない。事件の経緯を面白がっているようにも、呆れているようにも、興味がなさそうにも聞こえる。

 彼が何を考えているのか気になりつつも私は話を続けた。



「被害者は背後から刃物で背中を深く刺されていたわ。遺体が何処かから運ばれてきた形跡もないことから、室内で殺害されたものとみられる。そして犯人はおそらく、彼女がスイートルームに宿泊していることを初めから知っていた。そして、」

「気安く彼女を訪ねて行けるほどに親しい人物、か。」



 シンが話の続きをなめらかに攫っていく。離れた場所で身支度を整えながら事件の概要説明を聞くだけでなく、脳内で情報を瞬時に整理し、推理したのだ。

 相変わらず頭の切れる男である。



「ご明察。じゃなきゃ、彼女が部屋に入ることを許すはずがないもの。」

「となると、犯人の目星は粗方ついてくるな。俺が居なくてもすぐに解決するんじゃないか?」



 シンはまたしても試すような言葉を寄越してくる。

 わたしは肩を竦め、彼に協力を要請した一番の理由を今更ながら口にする。



「パーティの参加者は100人以上よ。被害者と親しい人物だけリストアップしたけど…かなりの人数なの。しらみ潰しに取り調べていたら時間がかかりすぎるわ。」

「友人が多いのも考えものだな。」



 心底面倒くさそうなため息が聞こえた。こればかりは私もシンに全面的に同意したい。



「取り敢えず、当日のアリバイが無い人物から順番に当たっていく。あなたは私と一緒に捜査に同行して、何か気付いたらすぐに教えて。……わかった?」



 確認のため問いかける。



「……。」

「……?」



 しかし突然シンからの返事が途絶えた。私は眉をひそめる。先程まで衣擦れやチェストを開け閉めする音が聞こえていたはずのクローゼットからは物音ひとつ聞こえない。



「シン?」



 もう一度呼びかけるが、やはり返事はなかった。

 まさか、悪魔の力を使って現場まで瞬間移動でもしたのだろうか。我ながら子供じみた妄想だと思ったが……未知数の力を持つあの男なら大いに有り得る。



「ちょっと、シン!?」



 相変わらず予測不可能な悪魔の行方を確かめるべく、私は遠慮なくウォークインクローゼットの中へ足を踏み入れた。先程勝手に部屋を物色したことにお小言をもらったばかりだが、今はそんなこと構っていられない。市警専属のコンサルタントを現場に連れて行くのが私の今の仕事なのだから。

 早足でクローゼットの入口を潜ろうとした、その時だった。



「わ、っ!?」



 タイミング良く(悪く?)身支度を終えて出てきたシンに真っ正面からぶつかりそうになった。思わず声を上げ、慌てて歩みを止める。……危なかった。もう少しで彼の懐に飛び込むところだった。自分の反射神経と体幹に心から感謝するべきだろう。




「部屋を物色するだけじゃ物足りなかったか?」




 頭一つ分以上ある高さからこちらを見下ろしてくるシン。

 彼がクローゼットに入ってまだ10分と経っていなかったが、その逞しい体躯は既にしっかりと衣服を身に纏っていた。

 糊の利いた白いシャツ。その上からつやのある上質な生地で誂えられた黒のベストを身につけ、彼の脚の長さをより際立たせる同色のスラックスを穿いている。

 ベストの襟ぐりの真上までボタンが外されたシャツの下からは鍛え抜かれた厚い胸板がわずかに覗き、首元には黒革のベルトにシルバーの飾りをあしらった重厚なチョーカーが光っている。

 隙のない、完璧な出で立ちだった。

 ああ、こうして見ると、本当に───。




「見とれてるのか? この俺に。」




 耳もとで聞こえた低い声にハッと我に返った。

 すぐ目の前まで接近した彼の赤い双眸がこちらを真っ直ぐ見つめていることに気づいて、途端に鼓動が早まる。

 ……悔しい。腹立たしい。

 これほど容易く人心を掌握できる彼が。

 そして、この恐ろしくも美しい悪魔に一瞬でも見とれてしまっていた、自分自身が。



「自惚れないで。事件のことを考えてただけだよ。」

「それにしてはボーッとしすぎだぜ。過労で疲れてるんじゃないのか?」

「かもね。いっつも自分勝手でマイペースなコンサルタントに振り回されてばかりだから。」



 キッ、と眼力を強め上目遣いで睨みつけた。

 しかしシンは事も無げにその視線をそよ風のように受け流す。




「悪魔は常に自分の欲望に忠実だ。そう容易く人間の言いなりにはならない。」




 そう。

 シンはいつだって傍若無人だ。遠慮も容赦もしない。

 なのになぜか人々を惹きつけてやまない。わたしでさえ時に惹き込まれそうになる。

 ───彼の瞳に。




「欲望に忠実なのは犯人も同じよ。だからこそあなたの能力で炙り出すの。そして必ず罪を償わせる。」




 ───欲望を見抜く、この真紅の双眸に。

 捜査への決意を胸に凛とした眼差しでシン見返す。

 私の視線を受けたシンは依然として無表情を崩さなかったが、不意に長い睫毛に縁どられた瞼をわずかに伏せた。



 

「罪人を追う罪深い悪魔、か」




 そして、形の良い唇の端をゆっくりと引き上げる。




「面白い。案内しろ。」

「言われなくても。ホラ、行くよ!」




 いよいよ待ちくたびれていた私は彼の手を引いて歩き出す。

 エレベーターの前に立ってボタンを押すと暫くして軽快な音とともに扉が左右に開いた。

 狭い空間が急速に下降していく感覚を全身で感じながら私は事件現場への道順を頭の中で再確認する。その横には、相変わらずすましてはいるがどこか上機嫌にも見えるシン。

 腕を組んで悠然と立つそのさまからは人間が持ち得ない濃密な存在感がある。

 それは、彼が“人ならざるもの”だからなのだろうか。







 ───時折、思う。

 我々人間が目を背けたくなるような残忍な殺人事件でさえ、彼にとっては本当の意味での“退屈しのぎ”にすらならないのだろうと。

 初めて出会った時、彼は私に言った。「地獄に嫌気が差したから逃亡してきたのだ」と。

 しかし人間の私からすれば、悪魔の退屈を紛らわせ、欲望を満たせるほどの何かがこの世界に存在するのだろうかと考えずにはいられない。







 彼は何を求めてこの地上に降り立ったのだろう。

 ここでの暮らしに、彼が満足する日が果たして訪れるのだろうか?






 しかし今、はっきりしていることが一つだけある。

 この悪魔はやっと、見つけたのだ。












 獲物(犯罪者)を狩る、束の間のハンティング・ゲーム(退屈しのぎ)を。













┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈






「ほら行くよ。早く乗って!」

「断る。…この車は狭すぎてまるで檻だ。俺の車で行くぞ。キーを取りに戻るから少し待て」

「……」




 そして我々人間もまた、彼の退屈を紛らわせるための玩具にすぎないのかもしれない……。





 to be continued.

▶Next story「神の御加護があらんことを」

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