第9話 疑念
図書館の中はかなり暗かったので、廊下に出ると光がまぶしい。一瞬目が眩み、腕を持ち上げて光を遮ること数秒。
目が少し慣れてきたかと思い、腕を下げると───
「すぅ、すう……」
「え、リディアさん?」
小さく寝息を立てているリディアさんの姿があった。……立ったまま。
「器用だなぁ」
立ったまま眠るとか寝相が良いとかの次元ではない。しかもすんごい穏やかな顔してるし。横になって熟睡してもここまでリラックスして寝ている人なかなか見ないぞ。
「よっぽど疲れてたのかな」
宴会の規模を考えれば、メイドさんたちはかなり忙しかったことだろう。それに、僕のように初めて会う異世界人とのコミュニケーションで無意識下で相当なストレスを与えられたはずだ。1人になって気が緩んだ瞬間眠りに誘われるのも分からなくはない。……立ったまま眠りについたのはちょっと理解しかねるが。
しかし、これは僕にも責任の一端があるだろう。僕はリディアさんと別れて図書館に入出するとき、「帰っていていい」とか「もう大丈夫」とか何も言わなかった。少し話しただけでもリディアさんの優しい性格はよく分かる。そんな彼女の性格とメイドという立場が相まって、一応客人の立場である自分を置いてどこかに行くことなどできなかったんだろう。あるいは、ルーレさんのへそを曲げさせて、早々に追い出されるかもと心配して控えていたのかもしれない。僕の言葉足らずだった。
「リディアさん。リーディーアーさん!」
「んっ……えへへ、そのパンは、あげませんよぉ」
起きねぇ。立ったままここまで熟睡するとかもはや才能だろ。なんだこれ、どうすればいいんだ。
体を揺するとかしたいところだが、勝手に異性の体に触れても良いものか。元の世界では良かれと思ってやった行動のせいで手首に冷たい金属の輪っかが通されるという話もあったりなかったりする。こっちの世界ではセクハラの概念はないかもしれないが、だれかたまたま通りかかって目撃されるとどうなるか分かったものではない。かといって、このまま放置するわけにもいかない。
「うーん……」
「蘆堵様」
「うわっ!?」
急に背後から聞こえた声に思わず飛びのく。ドクンドクンと心臓が驚きで強く拍動しているのを感じながら僕は振り向いた。
そこにいたのは1人のメイドさん。そのメイドさんは僕と目が合ったことを確認し、丁寧に頭を下げてきた。先ほど、城の裏手にいるリディアさんのもとまで案内してくれた、落ち着いた雰囲気のあるメイドさんだ。
「あ、あの時の。えっと……」
「マーガレット=オルベールと申します」
そう言ってマーガレットさんは再度深々と頭を下げる。その所作一つ一つが非常に洗練されたものであることは素人目にも明白だ。リディアさんの動作にまだぎこちなさが残っていたのと比較して、かなり長いこと城に勤めているのだろうと容易に想像がつく。その割には見た目が若い気もするが。
「どうしてこちらに?」
「宴会が終わり、召喚された勇者の皆様を既にお休みいただく部屋の方へとご案内しております。途中離席された蘆堵様の案内は私が勤めさせていただきたく、こうしてはせ参じました」
宴会が終わったということは、ルーレさんとは相当長い間話し込んでいたようだ。時計がないから気が付かなかった。
マーガレットさんの指摘でそんなことを考えていると、彼女は僕の後方、すなわちリディアさんの方を軽く見て、小さくため息をついてから続けた。
「申し訳ございません。リディアはこの仕事に就いて長くなく、加えてどこでも眠れてしまう体質なもので」
マーガレットさんは本当にバツの悪そうな顔をしてリディアさんに歩み寄る。そして、そのまま数度頬を叩き、反応が見られないので───リディアさんの大きな胸を、鷲掴みにした。
「!?」
「ひゃあああああああ!?」
大きな悲鳴を上げてリディアさんが自身の胸を両腕で抱き寄せて守るようにしながら飛び起きる。その様子を見てもマーガレットさんは全く取り乱すことなく、淡々と告げた。
「静かになさい」
自分が揉んどいて何その塩対応。
「レット姉!?」
「業務中はその呼び方はやめなさいと言ったでしょう」
「う。メ、メイド長……」
どうやらマーガレットさんはメイド長さんらしい。しかも、レット姉という愛称からも、この2人は仕事以外での交流があったと見える。
「リディア、あなた客人を前に居眠りとはどういうつもりですか」
「え?……あ、あああああ蘆堵様!す、すみません!お見苦しいところを!ってうわっ!」
リディアさんは、チラリとマーガレットさん越しに僕の姿を発見し、慌てて駆け寄ってきたかと思えば足をもつれさせたようでガクンと体が倒れる。
僕はそれをなんとか正面から受け止めた。
「だ、大丈夫ですか」
あと、ありがとうございます。立派なものをお持ちですね。お餅ですね。胸に伝わる感触凄いです。
リディアさんはゆっくり顔をあげて、僕に抱き止められたという事実を認識するや否やみるみる顔を赤く染める。そして驚くような速さで僕と距離を取り、早口で捲し立てた。
「す、すみません!すみません!本っ当にすみません!!う、うううう」
「気にしないでください。そもそも、僕が図書館に長居しすぎたのが良くなかったんですから。ずっと待っててくれたんですよね。ありがとうございます、リディアさん」
「い、いえ……」
「リディア、もう今日は休みなさい。蘆堵様の案内は私がしておきます」
「で、ですが」
リディアさんはちらりと廊下の奥と僕の間で目線を動かしながら、マーガレットさんの指示につっかえながらも答える。勝手に客人を放り出すのは無責任だと考えているのかもしれない。しかし、そんな彼女にマーガレットさんは続ける。
「早くしなさい。口元に涎の跡が残っていますよ」
「!?」
その指摘でパッと口元を両手で覆ったリディアさん。そしてすぐに頭を下げる。
「で、では失礼します……蘆堵様、ご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ありませんでしたっ」
よほど口回りを見せたくないのか、リディアさんは頭をあげるとすぐに踵を返し、急足でその場を後にする。その去り行く背中に僕は少し声を張って言った。
「全然そんなことないですよー。ありがとうございましたー」
リディアさんの背中が廊下の突き当りを曲がって見えなくなるまで見届けてから、僕はマーガレットさんの方へと向き直る。
「可愛らしい方ですね」
「メイドとしてはまだまだですが」
「そうなんですか?色々気遣っていただける気持ちが、僕はとても嬉しかったですよ。そういう気持ちは接客される側にも伝わりますから」
「もったいないお言葉です」
確かに、マーガレットさんの立ち振る舞いなどと比較すると、リディアさんにはこれから学ぶことが山積みなんだろう。でも、メイドという奉仕する仕事において最も重要なことの1つは、この気持ちなのではなかろうか。素人なのでバチバチの本職の方を前に偉そうに言えないが。
「それでは参りましょう」
「わざわざすみません。お手数おかけします」
「いえ。これもメイドの務めですから」
そう告げて歩き出すマーガレットさんの後に僕も続く。
この城に限らないが、大きな建物というのは得てして迷いやすい。例えばホテルなんかで部屋の場所が分からなくなった経験がある人もいるはずだ。僕もある。そんなときに頼りになるのが案内板だが、生憎とこの城には設置されていないらしい。今はマーガレットさんだけが頼りだ。はぐれると多分迷うだろう。つまり、離れられない。
そんなことを自分に言い聞かせながら、燭台が一定間隔で並ぶ、代わり映えのない廊下をひたすら歩んでいく。ただ、歩けども歩けども似たような景色が続くのは少々気味が悪い。だから僕は軽く世間話に講じることにした。
数歩前を歩むマーガレットさんに話しかける。
「マーガレットさん。メイド長ということは結構長く働いているんですか?」
「メイドの中では長い部類になるかと思います」
「そうなんですね。しかし、これだけ広いとお仕事も大変でしょう。リディアさんのように他のメイドさんの教育もあるでしょうし」
「問題ありません。それが私のなすべき仕事ですから」
マーガレットさんはこちらを振り返ることなく、また歩みのスピードを緩めることもなく、淡々と僕の質問に答える。
「凄いですね、僕なら音を上げてしまいます。責任感のある方なんですね、マーガレットさんは」
「恐縮です」
「あ、ところで1つ良いですか?」
「なんでしょう」
「この道、本当に僕の部屋に向かってます?」
ピタ、と前を歩く彼女の足が止まる。
「なにか気になることでもありましたか?」
こちらを振り向くことなくそう尋ねるマーガレットさんに、僕は思っていることを告げた。
「いや、大したことじゃありませんよ。ただ、何となく人気がないなぁと。それに、僕の記憶が正しければこっちは宴会前の待機室とは別方向です。こう言っては何ですが、若者というのは飲み食いした後は騒ぎたいものなんですよ。しかし、僕はずっと図書館にいたのにも関わらず、外から声が聞こえなかった。就寝部屋がこっちの方向にあって、みんなを既に案内したのなら、図書館前を横切るクラスメイトの声が聞こえても多少聞こえてもいいのに」
それに、別れる前のリディアさんの視線が向けられた廊下とも逆方向だ。あのタイミングで僕と廊下を交互に見たのなら、視線の先に就寝部屋があると考えるのが普通。
やれやれ、と両手をあげていると、コツ、と静かな靴音が響く。彼女が振り向いた。
「それで?ここは何処で、僕は何処に連れていかれているんですかね。マーガレット=オルベールメイド長」
「……」
口は開かれない。鋭い2つの眼が、僕をまっすぐに見つめていた。