第8話 相談
「ちょっと待って。つまり、その戦争はたった1冊の本が原因で起きたっていうの?それも、魔導書でも何でもない、ただの小説が?」
「ええ、不思議なものでしょう?まあ僕自身、歴史の知識として知っているだけで実際に目の当たりにしたわけではないので、本当のことだと断言はできませんが」
目の前の少年、蘆堵宗太と名乗るこの人物はなかなかに博識であり、異世界の様々な書籍についての知識を有している。彼の話を聞くというのは、これだけ本に囲まれた生活をしている私にとっても、なかなか新鮮な体験だ。
「それに、本が人に与える影響というのは、なにも大掛かりなものに限りません。例えば、幼少期に読んだ童話のお姫様に憧れたり、僕ぐらいの年頃で悩む主人公に自己投影をしたり。人の感情、思想、夢など、色んなものに密接に関わっています。かく言う僕も今の自分の構成要素として、いろいろな本の存在があることを自覚しています」
穏やかな口調でそう告げる目の前の少年は、何かを懐かしんでいる様にも見える。
「そうですね、これは僕の持論なのですが。物語は。言葉というものは。人々にとって最も身近な魔法なんだと思います」
「見かけによらずロマンチストね」
魔法。こちらの世界では当たり前の物だが、彼のもといた世界では存在しないものだと聞く。母に読み聞かせてもらった時の、物語に入り込んだようなワクワク。新たな知識を得た時の世界の広がり。あの世界が色づくような摩訶不思議な瞬間は、確かにある種の魔法ともいえるかもしれない。
……あの子は、そんな体験をもうどれだけしていないのだろう。
「どうかしましたか?」
「いいえ、なんでも」
顔に出ていたようで彼から指摘を受けてしまった。それを咄嗟にごまかすと、目の前の少年は数秒間をおいてから口を開いた。
「時にルーレさん、1つご相談があるのですが」
「相談?私たち会ったばかりよ」
「ダメでしょうか?何分、こちらに召喚されて間もないですから。頼れる人脈などほとんどないもので……」
照れくさそうな笑みを浮かべる少年。確かに、異世界召喚は向こう側から承認を受けて行われるものではない。私は城に雇われている身なのであまり強くは言えないが、こちらの事情で一方的に連れてこられた召喚者たちに、多少なりとも同情の念はある。それに、彼はここまで面白い話をしてくれた相手だ。
「聞くだけよ」
「十分です。ありがとうございます」
ぱあっと嬉しそうな顔をした後、深々と頭を下げる少年。私は小さくため息を吐いた後、頬杖をついて彼の言葉の続きを促した。
「それで?相談っていうのは?」
「相談というよりは、伺いたいことでしょうか。現在、この国エラクトリアにて、最も優秀な魔法使いとはどなたなんでしょう?」
もっとも優秀、ね。
「立場という点で、誰もが挙げるのは宮廷魔導士のジジイでしょうね。多岐に渡る属性魔法を扱える、『色彩』の加護も持っているし」
大抵の場合、与えられた加護で適性が発現するのは1つの属性のみだ。その点ジジイは性格もろもろ気に食わないところはあるが、周囲とは一線を画す存在であるのは間違いない。
「……」
だが、私の答えを聞いても、納得がいかないのか。少年は顎に手を当てて考えるような仕草をする。
「なにか気になるの?」
「その宮廷魔導士の方って、僕が会おうと思って会える方でしょうか」
「ん?会った事はあるはずよ。異世界召喚の総括責任者だったし、現場にいたんじゃない?フードを深くかぶって、顎髭大量にはやしたジジイ」
私がそう言うと、少年は数秒思案し、一瞬難しい顔を浮かべてから再び口を開いた。
「あの方と一対一で話すことってできます?」
「普通は難しいわね。あれでも魔導士のトップだし。でも、異世界人のあなたなら、貰った『加護』を餌にして直接話す機会くらいはあるんじゃない?」
宮廷魔導士ともなればそれなりに忙しい立場。だけど、あのジジイは立場よりも魔法の研究に目がない。異世界召喚実施が決まった際に、異世界召喚の資料確認に図書館にやって来たこともあったが、その時に「うっひょー!楽しみじゃあ!」と騒がしくしていたのを覚えている。あんまりうるさいからひっぱたいてやった。
だから、召喚された異世界人なら対話機会の取り付けは一般人よりはるかに容易だ。
「じゃあ、厳しいか」
しかし、目の前の少年は小さくそう呟いた。
「厳しい?どういうこと?召喚現場で魔法暴発させた?」
私は揶揄うように言う。というか、ささやかな願望だろう。あのジジイはうるさいし臭いしやかましいしうるさいし、あと煩いしで図書館に来るたびに困らせられたのだ。だからたまには痛い目に遭ってもらいたい。召喚者は魔法の扱いに長けていないので、魔法のコントロールを失敗し、あのジジイに攻撃したなんてあればそれは最高の笑い話だ。
だが、目の前の少年は期待とは裏腹に首を横に振る。
「僕、加護を貰えなかったんですよ」
「……え?」
加護を貰えなかった?
「え、あなた、召喚者よね?異世界人よね?」
「ええ」
「それなのに加護無し?」
「水晶玉の判定上は、そうでしたね」
そんなことがあり得るの?
「ちょ、ちょっと待って頂戴」
私は慌てて自分の首にかけてある鍵を手に取り、図書館端にある資料庫へと向かう。ガチャリと施錠を解除し、少し埃っぽい室内へと小部屋へ足を踏み入れた。
「チッ、あのジジイ、また違う場所に返して……」
異世界召喚に当たって、書庫内の魔導書が用いられる。だが、この魔導書は非常に重要なものであるため、原則持ち出し禁止。今回の異世界召喚のように持ち出しが行われた場合は、儀式終了後に速やかに書庫に戻すことになっている。あのジジイは元あった場所とは違う場所に返しているが。
返された本を抜き取り、ぺらぺらとめくって内容を確認した。
異世界召喚は膨大な魔力リソースを使って行う大規模儀式魔法。ただでさえ非常に高度で難解な魔法であるうえ、天体の状況などの制約が多い分、得られる効果が非常に絶大なものとして知られている。
当然ながら、異世界人は本来こちらにいない。悪い言い方をすれば異物だ。そんな異物を神アルノヴァが見逃すことなどない。しかし、慈悲深いアルノヴァはその異物を排除するのではなく、その異物を受け入れるべく彼らにこの世界で生き残るための術を与える。それこそが異世界召喚の根本の原理だ。
私は魔導書を正式な場所に丁寧に戻した後、今度は過去の召喚記録帳簿を手に取った。
「……やっぱり、いない」
異世界召喚が行われたのはこれが初めてではない。数えるほどではあるが、過去にも数回行われ、その都度召喚者たちの加護について記録を残している。しかし、その名簿を確認しても加護無しの存在は確認できない。
今日はずっと図書館に籠りっぱなしだったので、今回の召喚に関して私は詳細を把握していないが、こんなすぐばれる嘘をつくとは考えづらい。となると、本当に加護無しが?儀式で何か手違いでもあったのか?
「あの~?」
後ろからの声に振り向くと、書庫の入り口付近に少年が立っている。
「大丈夫ですか?何か手伝いましょうか?」
「いえ、大丈夫よ。それより、この部屋には入らないでね。一応、機密情報の塊だから」
「は、はい」
私の指摘に苦い顔を浮かべながら両手をあげて数歩後ろに歩く少年。私は帳簿を棚に戻した後、資料庫を出て鍵を閉めた。
小さくため息をついた後、私は目の前の少年を見て言う。
「確認するけど、加護がないのよね」
「らしいです」
「あのジジイと話したいと思ったのはそれが理由?」
「はい。でも、多分厳しいんですよね?」
「……そうね」
彼が加護を持っている前提で話を進めていたが、こうなれば話は別だ。魔法至上主義なあのジジイが加護無しの人間にまともに取り合うとは考えにくい。
そもそも、加護無しなんて聞いたことがない。この国において、加護は必ず与えられるものだし、加護に伴う魔法を扱えるようになる。もちろん、その内容は圧倒的な殲滅力を誇る攻撃魔法だったり、あるいは日常生活をちょっと便利にするものだったりと様々で、個人差はある。しかし、大なり小なり加護は持っているのが当たり前だ。異世界人の場合は、「大」の方の加護を与えられるはずなのに……それじゃあ、この少年は一体?
「申し訳ないけど、さっきの相談なら他を当たって頂戴。私の手には負えないわ」
「そう、ですよね。すみません、ありがとうございます」
くるりと背を向けて図書館入り口へ歩き出す少年の背は少し寂し気に映った。