第2話 一筆
「ねえ、私たち、本当に異世界にきちゃったの?」
「俺だっていまだに信じられねえよ」
召喚者一行は宴会準備が整うまでの間待っていてくれと、大きめの部屋に通された。ぐるりと見渡した段階でもこの部屋のランクが高いことは容易に窺える。革製のソファ、飲み物の入ったグラスや、フルーツと思わしきものを盛った銀食器がいくつも並んだテーブル。映画でしか見たことがないような暖炉、値段の張りそうな絨毯。まあ、これくらいならドッキリのセットとして用意できないこともないだろう。
問題なのは別だ。
「すっげェ……」
「どう考えても日本じゃねえよな。いや、海外でもこんな街並みあるか?」
部屋の奥、バルコニーから見える景色があまりにも非現実的だったのだ。石畳の街には田舎でさえ見かける電柱も電線もない。そもそも一番に見えるのはお城の中庭や、そこを歩く甲冑姿の兵士など。今いる場所が本当にお城なのだと突き付ける眺め。
そして極めつけには───
空に浮かぶ、八面体のような物体。透明なそれは、僕たちの世界で発表すれば大騒ぎになること間違いなしの、異常な未確認の天体。我が物顔で空に浮かぶそれは、ある種の恐怖さえ覚えるようなもの。
この世界は、日本、海外どころか、地球ですらないのだと証明していた。
全くの未知の場所。先ほどの玉座のまでの他の人の視線と合わせて、僕の中では様々な不安が掻き立てられていた。これが、想像力豊富な僕の夢であってほしいとひたすらに願うも、醒めてくれる気配はない。
そして、そんなマイナス感情が生み出す妄想は、良くない方へと加速していく。
「……」
家族はどうしているだろう。クラス丸ごとの誘拐事件、捜索願はもう出されているだろうか。大々的に報道されているのだろうか。
あるいは、魔法という何でもありの力で、そんな事実すら無かったことにされてはいないだろうか。
魔王を討伐すれば元の世界に戻ることができる、その言葉は本当に真実なのだろうか。
そんな不安を共有したくて、僕は視線を空から室内へと戻す。
「俺の加護すごくね!氷魔法だぜ!氷ってクールだよな!」
「いいなぁ、俺なんて筋力アップだぜ。地味すぎる……」
だが意外にも、クラスメイトは状況に適応しつつある。まるで、不安を抱く僕がおかしいかのように。
『加護とは神からの祝福です。強大な加護を授かった皆さまは、それだけ神から愛されているということに他なりません』
玉座の間の魔導士様のそんな言葉を思い出す。もとより、自分が神に愛されるような人間だとは思っていない。そもそもの話、本当に愛されていればこんな世界を超える拉致になんかあっていない。その点で言えばクラス全員もといた世界の神には愛されていないんだろうけど。加えて僕はこっちの神にも愛されていないらしい。僕何かした?
しかし……愛、ね。
これは僕個人の考えなのだが、愛とは、すなわち安心だ。愛を与えられることは、ひとえに安心を生む。つまり、加護が神の愛ならば、加護を与えられるということは安心を得ることと同義……
もしそれに、魔法的な効果が関与していたとしたら……いや、やめよう。想像を膨らませすぎるのは僕の悪い癖だ。証拠もないのに考えすぎて結局動けないなんて、これまで何度繰り返したことか。
こんな曖昧なものに思考を割くよりも、明確な違和感を追求した方がまだ有意義だ。僕はバルコニーから室内へと歩みを進め、テーブルの上の紙ナプキンを一枚、手に取る。ドア付近に控えたメイドさんの視線から隠れるようにクラスメイトの影に移動した後、胸ポケットからお気に入りの万年筆を取り出し、紙ナプキンに短い文を綴った。
「ふー」
紙ナプキンに軽く息を吹きかけて、インクを乾かす。そっと手でなぞり、インクが手に付着しないのを確認。文字を内側にし、小さくそれを折り畳んで、掌の中に隠すようにして持つ。
そのまま、目的の人物の近くまで歩み寄った。
「ねえ、これすっごく美味しくない!?」
「そうだね」
グラスを片手に他の子と話に興じる。みんな、よくもまあ、深く考えずに食べ物や飲み物に口をつけられるものだ。毒とまでいかなくても、何か入れられている可能性もゼロじゃないだろうに。それこそ、魔法で何かされているかのせいだって……
「有紗、全然飲んでないじゃん!……もしかして甘いのあんまり得意じゃない系?だったらそれウチに頂戴!」
「う、うん。いいよ」
「やりぃ!」
私の手からワイングラスを取り上げてそれを一思いに煽るクラスメイト。甘いのはむしろ好きなのだが、警戒心というものはないのだろうか。この子をはじめ、クラスメイトの半分くらいは既に飲食物に手を付けている。
「……?」
手を引っ込めようとした時、先ほどまでワイングラスを握っていた手に、別の感触があることに気が付いた。不思議に思って手を覗いてみれば、何やら畳まれた紙がある。いつの間に……誰かの能力?でも、玉座のまでテレポート、アポーツ系の加護を授かった人なんていなかったような……
「どしたの有紗?」
「う、ううん、何でもない」
私は咄嗟に拳を握り、手を背中の後ろに隠す。この際、別に手段はどうでもいい。このような隠れるやり方をしてきたということは、周りに行動を知られたくない、バレたくない「誰か」の仕業だ。
「ごめん、私ちょっとお手洗いに」
「おっけー」
私はクラスメイトに一言告げて、入り口付近のメイドさんのもとまで歩いていく。
「すみません、お手洗いはどちらでしょうか」
「はい、ご案内します」
メイドさんに連れられ、部屋を離れて歩くこと少し。お手洗いまでやって来た私は、個室に入って手にしていたメモを広げた。
「!」
どうして……?
広げた紙ナプキンに書かれていた内容を読み、激しい動揺が走る。
落ち着いて、落ち着くのよ、渕上有紗。冷静さを失ってはダメ。今必要なのは、これについて彼と話すこと。
深呼吸した私は紙をそっと手放し、ぱちんと指を鳴らす。すると、紙ナプキンがごおっと炎を纏い、瞬く間に炭へと変わった。